小田急線沿線に住んでいるものですから、そこからちょっと日帰りで行ける温泉というのを、執拗においもとめています。東丹沢山麓の七沢温泉はその一つ。小田急電車に乗り込んで、新宿駅から町田駅を過ぎて神奈川県へ入ると、通勤圏の住宅街の中に、田んぼや畑が目立つようになってきます。そして、東の遠方に目をやると、連なる山々が、だんだんこちらへ接近してくるようになります。電車の中は都会の通勤電車、車外はどことなくローカル線風ののんびりした雰囲気さえ立ち込めてきて、そのアンバランスさはちょっとした面白さを感じます。もちろんこの辺は、高度経済成長前までは全くの田園地帯で、神奈川県の有数の都市の一つ、相模原市は今でこそ人口六〇万ですが、一九五四年(昭和二九年)にやっと市政を敷いたくらいです。これは、全国各地の多くの小都市と同じくらいの時期です。だから、その発展ぶりは、すさまじかったということでしょう。こうして電車に乗っていると、東京から離れれば、離れる程、昔の風景っぽくなってきて、さながら過去に向かって絵巻物をみているようです。藁葺きの民家や、舗装していない農道がないのは、致し方ありませんが・・・。

 

そして山梨県西部に源を発し相模湾に注ぐ相模川の鉄橋をわたると、神奈川県中央部の中心地・厚木に到着します。東京の盛り場的な賑わいで、大きな駅ビルを中心に、多くの人々が行き交う商店街があります。ここからバスに乗って厚木の繁華街を通り過ぎ、住宅密集地と田畑がまじっている光景を目にしながら、小川というにはやや大きな玉川の橋を渡ります。その川沿いの県道を、丹沢の麓に向かっていくと、左右には里山が連なり、晩秋にはオレンジ、黄金色、赤に彩られた木々の葉が視覚を楽しませてくれます。宅地化が著しい中で、玉川もなんとか清流を保っているようで、釣り糸を垂れる人々がところどころに目につきます。快晴の深き青の空の下、前方に見える丹沢の峰々と沿道の里山の紅葉、そして空の青を写す玉川のせせらぎ・・・。東京から僅かの所にこんな風景があるんですよ。秋はいいねえ〜。

 

そして、宮ケ瀬ダム方面の県道から玉川の支流沿いの道と分岐点に、室町時代に築城された七沢城跡に建てられた県立リハビリセンターがあります。そこでは、温泉療法が行われているそうです。その支流沿いの道をさらに上流にむかうと、九軒ほどの宿が立ち並んでいる七沢温泉に到着します。特にここの最奥の宿は、小川の上流にふさわしい狭い沢をのぼったところに、覆いかぶさるような樹木を背景にしてひっそりと建っていて、ちょっと秘湯気分。温泉がなかったら、どこにもある、里山の小川の上流といった感じで、そこがまた親しみを感じさせます。厚木の喧騒がうそのようですわ!

 

湯はしっとりと肌にすべすべ感をもたらす、PH九.五〜一〇.五の強度のアルカリ泉。これは全国でも有数のもので、ふわっとしたやさしいお湯です。特に、七沢荘の湯は、全国美肌湯コンテストの九位にランクされているとのこと。それによく温まるし、筋肉痛、胃腸病、腰痛、火傷、皮膚炎、リュウマチ等にも効くそうです。ただ、すべりやすい泉質なので、入浴のときは、足元には暮れぐれも気をつけてください。でもちょっと残念なことに車椅子で宿泊できるのはこちらが確認したところ、七沢荘のみで、日帰り入浴が可能な宿は先述の宿と福元館の二軒です。福元館には、昭和初期に、時の官憲に拷問され死んだ抵抗作家・小林多喜二の、小説を執筆するために泊まった部屋が現存しているそうです。また、車椅子での利用は困難ですが、玉川館ではかつて、山本周五郎、中村雨紅、田河水泡、和田傳等の文人・漫画家が宿泊し、創作活動を行っていたといいます。このように、古くから良い湯治場として知られていました。実は泉質だけでなく、歴史も指折りの温泉のようです。

 

前々回の中川温泉の項でもちょっと触れた、七沢温泉の奥に聳える大山は、「雨降り山」として、相模地方の農民の間で信仰の対象でした。日照りが続く時は、農民達が大山詣でを行い、雨を乞うたそうです。また七沢には、童謡「夕焼けこやけ」の碑があります。

かつての農村風景を想像しながら辺りを眺めると、なんとなくその歌の世界を思わせるロケーションでもあり、一泊して夕焼け空を眺めたくなってきます。同じ神奈川でも、箱根とかと比べると、チョー渋めの東丹沢地域。まだまだ、幾つか鉱泉があります。探索しがいのあること間違いなし。東京付近からなら日帰りでも、激しい時の移り変わりの始まりから今日までの間を、さーっと追ったような雰囲気のする、安い旅ができますよ!