二・次・障・害・に・対・す・る・治・療・と・ケ・ア・
前章の外科手術に代表される西洋医学に対して、ここでは様々な東洋医学の治療師の方々にお話をうかがいました。西洋医学とはまた違った視点からのアプローチ、個性的で独自の思想性を持つ東洋医学の治療法の可能性に、我々もある種の新鮮さと希望を感じずにはいられません。今まではあまり馴染みがなかった方もいられるでしょうが、これからの日々の健康管理のためにぜひお役立てください。
なお後半には当会医療問題担当の天野が、日常生活の中で手軽にできるケアについて紹介しています。
・鍼・灸・治・療・に・つ・い・て・
鍼灸師 伊藤 昇氏
西洋医学偏重の弊害が少しずつ人々に理解されるにしたがい、その可能性が年々注目されている東洋医学。その中でも身近な医療として知名度も高く、皆さんの生活に定着しているであろう鍼灸治療ですが、実際に気軽に治療院を訪ねているかと言えば、そうでもないようです。どうやら積極的に来院する足を遠のかせている大きな原因が、2つの壁として存在するようです。
まず第一の壁は、鍼・灸に対する悪いイメージです。これはとても単純ですが、厄介な壁になっています。治療に対するものではなく、鍼自体、灸自体のイメージの問題です。
鍼にはどうしても注射針というイメージが重なり、そのイメージは鍼を刺される恐怖心や刺した痛みへの不安を誘発します。灸も同じで、もぐさを肌の上で燃やされるという恐怖や火傷への不安という形で悪いイメージを定着させています。
そこで現実はどうか、鍼はそんなに太いものか。いいえ、違います。日本の鍼はとても細く、直径0,14〜0,34mmの範囲のものが使用されています。これは医療用注射針の最も細ものより、なおはるかに細いものです。日本ではこのとても細い鍼を刺すために、鍼管(しんかん)という金属の筒を発明したぐらいですから・・・。灸のもぐさにも大きいというイメージがありますが、一般的に使用する大きさは米粒大、あるいはその半分の半米粒大という小ささなのです。
次に第2の壁とは、鍼灸の効果は漠然と知っているが、では具体的な治療法は?何で効くのか?という基礎知識が全く無いという不安。これが壁になっている。この不安解消のため一般的な鍼灸治療について説明致します。
鍼灸治療には、またも大きく分けて2つの治療法が存在します。皆さんご存じ、中国4千年の歴史と共に発達してきた東洋思想の中から生まれ、古典的治療体系を基盤として行われている経絡(けいらく)治療です。治療理論は下記のとおりです。『人体は自然の一部であり、人体には自然界から与えられたエネルギーである「気」が満ちている。その「気」が順調に循環している状態が健康であり、「気」の滞りが体の不調に結びつく。人体の気の通り道がすなわち経絡であり、その経絡の皮膚上の中継点である経穴(けいけつ)、つまりツボに刺激を与えることにより「気」の流れを調整し、治癒へと導いていく。』
この治療法の特徴としては、「気」の調整が目的であるため、鍼の刺激は最小限(筋肉に浅く刺す)で、必ずしも患部に治療を行うとは限りません。「気」の調整の確認は手の脈で行います。
2つ目の治療法が、症状に応じた治療法です。経筋治療とも言います。この治療法の治療理論は現代的で、下記のとおりです。
『体の不調は心身の疲労より発生する。その疲労はたとえ精神的な影響であっても必ず筋肉系に異常をもたらす(筋肉の凝り、緊張、疼痛、感覚異常等)。故に、その部位への鍼灸の治療により、結果的に不調は改善される。』
この治療法の特徴として、治療部位は患部もしくは患部に関係する筋肉系に行い、鍼の刺激量は経絡治療よりも多く、その時々で変化します。またこの治療法は、鍼・灸の直接的効果を期待した治療法でもあります(鍼を刺すことにより筋の緊張が緩和、灸をすることにより炎症が消える等)。
2つの治療法を紹介致しました。ここで一つことわっておきたいのですが、2つの治療法が必ずしも単独で行われているわけではなく、多くの先生はどちらかを重点にしながら2つをアレンジして、自分の治療法としているのが現状です。
以上、鍼灸の妨げとなっている2つの壁について説明しました。この説明により少しでも壁が低くなることを望みます。
最後に、障害を持つ皆さんの鍼灸治療ですが、治療する側と患者さんである障害を持つ皆さんとの信頼関係がしっかりできたと前提して、私としては症状に応じた治療法である経筋治療を適応させていくことが適切だと考えます。健常者の数倍もの疲労を強いられる障害を持つ皆さんの筋肉系は、想像以上に緊張し、こわばり、引きつれ、固まり、縮みます。それらの過労の蓄積による影響は、深部つまり血管・神経・骨・脊髄にまで達することが考えられる現状から、二次障害の予防に、筋の疲労除去を目的とした鍼灸治療は効果を発揮するものと考えます。
カ・イ・ロ・プ・ラ・ク・テ・ィ・ッ・ク・と・は・
新宿カイロプラクティック院 徳義 公明氏
二十数年前ならいざ知らず、いささかながらも市民権を得たカイロプラクティックは、その考え方、テクニックもかなりの部分、他の手技療法に取り入れられ、次第にその境界線が分かりにくくなっています。
私見ですが、カイロプラクティックとは考え方です。本来の現代医学・東洋医学同様、生き物としての人間に備わっている自然治癒力を最大限尊重します。この際、カイロプラクティックは、背骨と神経の関係に注目するわけです。背骨の歪みによって脊髄神経の出入口である椎間孔が狭くなったりすると、神経根が圧迫を受け、自律神経が正常に働かなくなり、自然治癒力を低下させ、様々な疾病に及んでいくと考えるのです。もちろん、現代医学も同様なのですが、内科医は背骨と内科的疾患との関係を重要視してくれませんし、整形外科医の多くはレントゲンに映る大きなズレは見ても、骨を支える軟部組織(靱帯・腱・筋肉)の微細なアンバランスが背骨の歪みを作るとは考えていないようです。
では、背骨の歪みとは具体的に何に起因するのでしょうか。背骨が勝手に一本の柱として立つわけではありません。筋肉が背骨をあるべき形に立たせるのです。
その筋肉の性格の一つに、適度に使われないと、どんどん筋が萎縮していくということがあります(廃用性萎縮)。不良姿勢を続けていくことにより、使う筋肉、使わぬ筋肉に差が生じ、筋のバランスが前後左右に崩れ、一つ一つの背骨を傾けたり、回転させたりします。それが骨のズレです。もちろんズレといってもごく小さいものですが。
カイロプラクティックは、背骨の位置関係を、なるべく小さな合理的な力でもって正常な位置に戻し、その人の自然治癒力を願います。と同時に、均整のとれた筋力の維持を目指すため、日常の姿勢指導、運動指導などが、骨の矯正以上に大事な使命となります。カイロ=ボキボキのイメージが定着していますが、背骨の矯正はあくまで二次的なものだと理解してほしいと思います。と同時に、カイロ=腰痛・肩こり等というイメージも、過去のカイロプラクティックに携わる先生方の安易な商業至上主義の結果だと思います。背骨を正しくすることによって、神経系統、特に自律神経系統を整え、人体の恒常性維持を目指すカイロプラクティックは、本来、予防医学として位置づけられるべきものと思います。では、皆様にとっての本題。身体障害者に対して、カイロプラクティックは何を成しうるか。
障害者の場合、姿勢指導・運動指導といっても限界があるわけです。その人なりの施療となります。いたずらに矯正を求めず、例えば、緊張によりある関節が屈曲したままになっているとすれば、許される範囲で伸展していきます。車椅子生活を強いられる人には、車椅子上で丸くなりがちな背骨を伸ばす努力をします。運動性などは求められぬでしょうが、固まりがちな関節に可動性を求めたり、補給されにくくなっている関節滑液が活躍できる空間を確保しようとします。
狭く狭く使いがちな体の空間を拡げ、開放していくイメージを持ってもらえばいいでしょう。
なお、2、3付け加えれば、カイロとはギリシア語で「手」の意味、プラクティックは「技術・実行」の意味で、百年ほど前カイロプラクティックを体系づけたアメリカ人によって名付けられました。
現在、欧米・豪・ニュージーランドなどでは公認の医療(定義はメスと薬を使わぬ医療)として社会的認知を受け、六年生の大学も多数存在しています。残念ながら、日本では国から医療行為として認められるに至っていません。健康保険が適用されない理由でもあります。
日本においては、その資格に対する基準もなく、カイロプラクティック師といっても玉石混淆、患者さんにとっては迷惑な状態が続いているのが現状です。
「・気・」・に・よ・る・治・療・
藤田 俊紀氏
今私がやっているのは気功の治療ですが、もともと大阪にある明治鍼灸学校に行きました。明治鍼灸はもともと西洋医学的考え方を受けついでいました。それが、西洋医学で東洋医学を割りきろうとした。いわば首だけすげ替えると同じような状態になってしまった。そのために確信持った治療ができなくなってしまったのです。つまりバックボーンがなくなることは、自分の故郷がなくなることと同じです。
東洋医学というのはいわば体のバランスを大切にする考え方です。陰陽五行という、すべてのことを木・火・土・金・水に分け、そのバランスがくずれてくると体のあちこちに異常を起こしますよ、だから体のバランスが大切だよ、ということです。西洋医学はどちらかというと悪いところだけを取ります。膝が痛いと言えば、膝を手術します。いい悪いではなく、考え方としては全体を見るのと局所を見るのとの違いは大きい。両方見るのが大切なのに、そうなっていません。私は明治鍼灸に入ったけれど、西洋医学的にやっていて「あ、痛い」といったそこに鍼を打つというやり方にばかり進んでしまって、なぜ良くなるのか分からなくなってしまっていました。例えば痔を治す時、天中といって、頭のツボにお灸を据えたりするが、こう
いうことは西洋医学では考えられないことです。こういうことをどんどん切り捨てて教えたので、治療の自信がなくなってしまいました。一応免許を取り卒業したが、自分に自信がないので試行錯誤が始まりました。鍼、温灸、灸頭針(鍼の頭部に灸をつける)など色々やりました。
東京に帰ってきて、あるきっかけで鍼灸治療院の雇われ院長になり、色々なことをやりました。鍼の埋め込み式もやってみた。ぎっくり腰の人が私の鍼で治って鼻が高かった。
ところが、決定的にダメージを受けたのは、ほとんど同じ症状の人に施したのにもかかわらず、治らないでかえって痛みが増したというのです。この時腰の骨がずれているのがわかったので、カイロプラクティックを紹介したら、治ったとお礼を言いにきてくれた。これで神田にあるカイロの学校に、働きながら通い始めました。カイロの学校では、「カイロは哲学」だと言われ、自分の中にバックボーンの哲学がないんだとわかった。まだ学校が新しいということもあり先生も燃えていて、「哲学だ!」となり、自分も「哲学とは」を勉強した。カイロは手で骨を治すという感じの言葉だが、二つのやり方がある。メジャー方式といって一つか二つのところをちょっと治療して治すやり方と、曲がっている背骨を全部まっすぐにするナショナル方式の二つです。
東洋医学の哲学を強調するようになった。ほんのちょっとの力で効くんだ、というやり方。その時神経レベルであればあるほど、下のほうに効く。それは頸椎の1番と2番で、そこをほんの少し動かして治すやり方を掲げた(ストレートカイロ)。
34歳のころカイロの治療院を自分でやりはじめた時は、カイロ一本でやりました。メジャーだ!とそればかり追っかけ、そこでオーリング検査も取り入れました。オーリング
というのは、生体内の情報を指と指の筋力変化として捉え、検出する方法。親指と他の指で輪を作り(アルファベットのOの形)、それをこじ開けるときの抵抗力の強弱で判断するんです。もともとこれは西洋医学の医者が発見して、今世界的にも広がっています。こ
れを普及させた浦野先生というカイロの治療師の下で、助手もしました。
頸椎1番〜2番だけでは治らない場合もあった。そこで、さらに考え追求する中で、「脳幹」(西洋医学的には、脳のうち中脳・橋・延髄を指す)という考え方にたどり着いた。ここはコンピューターで言えば情報を収集するもとのところで、生命に一番関与している。たとえ大脳をやられても麻痺しながらも生きている。ところが脳幹をやられると即、死なんです。それが脳死です。ものすごい重要なんですね。
色々治療をやっていて、最終的には脳幹というところの治療だな、ということがわかったものの、脳幹はどうやっても触れない、お手上げ。でも、もしかしたら「気」でできるかなと思って、やったら治った!その方法で治るのは、脳幹の異常緊張を解放してあげたからだ、というのが今の考え方。脳幹やられたらもうおしまい、ということは脳幹の緊張を緩めればすべてに通じるんです。どんな治療法も最終的にはそこに行くなと考えました。その治療は「気」による治療だなあーと。
もう一つは、好転反応が出るのはどうしてか。例えばコンピューターは人間によく似ている。ディスプレイがあり、キーボードがありますよね。いわば脳幹の部分、情報収集の部分があります。ストレスがいっぱいたまるとキーボードに打ち込まれて、入力される。
それがたまってくると、ディスプレイに呼び出される。風に吹かれただけで、そこでちょっとした気候の変化でも、ディスプレイに呼び出される。ちょっとしたことで出るということは、許容量いっぱいだからです。
私の治療は、その入力した情報を消去する治療法だから、消去するためにも一度ディスプレイに呼び出さねばなりません。呼び出した時は、入力したときと同じ症状としてディスプレイに写る。これが好転反応ということです。だから一時的には前よりかえって悪い状態になります。でも、好転反応として必ず悪い症状が出ますよと言っているが、実際はなかなか理解してもらえない。出れば出るほど効果のある治療なんだが、なかなか理解してもらえません。体というのは不思議なもので、体がガチガチになって痛さも感じないところから、治療して柔らかくなっていくと、今まで何ともなかったのが痛くてしょうがないということが続くことがある。それは、脳幹が緩んでいるな、回復しているんだなという自信があります。本人は痛くてたまらないし、良くなっていると思えないけど、やっているうちに本人も自覚できるぐらいに良くなります。
消去のためには、色々な方法があっていいと思っている。例えば局部マッサージをしても、それは必ず脳幹にいっている。気持ちがよいというのは、脳幹がそう感じているんですね。ただ、局部をやるだけではなく、メジャーのほうがもっと良いけれど。
脳幹の近くに枕を置いて、枕を軽く叩く、振動を送ると、全身が緩み、気持ち良くなります。脳幹の緊張が緩む。宇宙はリズムだから、朝があって昼があって、夜があるとかね。あらゆるものはリズムによって成り立っているんです。
今困っている問題は、治療できにくくなっている。何故かというと、今、世の中がおかしい。働きバチとか馬車馬みたいに働いている人がいっぱいいるでしょう。体の調子が悪くなるというのは、体が「何か変だよ」と教えてくれているんです。治療することによって、何かおかしいと感じてくれるならいいけど、逆に馬車馬の鞭の役目をしてしまってい
る。治療すると、またずーっと突き進んでいく。繰り返し繰り返し、そのことをその人は気づきません。
「気づきの治療」になれたらいいな、と思っているけど、そこまで気づいてくれる人は少ない。頭では分かっても、悪くなるとまた来ます。「言ったとおりにやっているの?」と聞くと、「えへへへ・・。」といった具合。俺は今、ジレンマに陥っています。
カイロの治療院を始めた頃は、時間はあるが患者さんが来ない。その時間に障害者のことで何かできないかと、国立市の福祉事務所に行ったことから始まって、障害者の知り合いが広がっていった。障害者の治療も増えていったのが、13〜4
年前。実際、障害者の治療をやってみて、効果があり、のべ50人ぐらいの人を治療してきました。障害者だからといって同じで、まず脳幹をゆるめてから、局所をやるスタイルでやってきた。
二次障害で言えば、一次障害は色々なことによって脳に障害が起こったり、異常緊張が起こるわけでしょう。これは、医者とは違う考え方ですが。脳の表面に緊張が起こるということは、深いところで常に緊張が起こっていることですから。大脳は表層意識、脳幹は潜在意識なんですね。この脳幹の緊張をゆるめることは、体も相当ゆるむ。例えばアテトーゼが少なくなるとか。治療でアテトーゼは相当取れると思ってます、全部無くなることは疑問だけど。
脳の異常緊張があることによって起こる緊張は、二次障害だと言える。積み重なってきての緊張だから、最初の緊張の前までは取れるはず。みんなの言う二次障害というのは、今までできたことが急にできなくなったことととらえているようだけど、俺はその手前の潜在意識の状態で、どんどん障害がたまってきて、ボンと出てきたのが二次障害と言っているんです。例えば、小さいころはアテトーゼひどくないのに、だんだんひどくなる。それは二次障害だ。赤ちゃんの時は全身を使ってそれなりに自由に動ける。それを、「ちゃ
んと歩け」「健常者に近づけ」などと言って、周りが押さえにかかる。そこから、二次障害が悪くなっていく。障害者仲間に口コミで広がっていき、2時間もかかって治療に来てくれていたが、自分から出向こうと、世田谷にも治療に来るようになった。もっと深いところの「気づきの医療」ができないかなと思うようになった。そのためには、裸のつきあいができないとまずい。障害者と一緒にいると、わりと裸のつきあいができますね。
障害者の人は好転反応が強い。揺り戻しがすごいので、健全者の3分の1ぐらいから始めるようにしています。
オーリングは検査で、色々なことに使えます。植物でも切ろうとしてはさみを持っていくと、植物が反応するということ聞いたことあるでしょう、電流が走って。それと同じことが人間の体にも言えます。体の悪い部分に刺激を与えると、信号が脳幹に送られて、一瞬緊張して、指で作ったリングがパカンと離れてしまう。手品みたいなんだけどすごい論理的なもので、一種の検査方法と考えてください。
煙草を口にくわえただけでも比較できますよ。体は煙草が悪いと知っているから、指と指が開いてしまう。白砂糖と黒砂糖をなめてみてもわかります。ある薬がその人に合うかどうかを調べることも可能です。オーリングによって、もっとよい治療を追求していけた点で良かったと思っています。すごいですよ、人間の体って。
オーリングというのは、筋肉の力を試すのじゃない。微妙な流れ、命令系統を見ている。ちゃんとやれば誰でもできるようになるが、いいかげんにやるとめちゃくちゃになる。
めちゃくちゃにやり始めた途端に、信用できなくなるでしょう。一つは疑わないで、ちゃんとした気持ちで向き合ってやれば、できます。
人間のなかにも、宇宙のリズム、太古のものが流れているから、それに沿っているときはすごくいい。そうじゃないと、バランス崩れちゃう。これだけ世の中が便利になったのは近々100
年で、それ以前は、毎日毎日を充実して満足して、ゆったりと生活することが基本だった。「発展」なんて考えていないし、「発展」がいいことだなんて考えていな
い。単調な生活を楽しんでいた。それが宇宙のリズム。現代の生活はそれから見ればすごくストレスのたまる生活。オーリングというのはそういうところからの情報を知らせてくれる。そうすると色々なことが分かってくる。だけどメンタルなものだから、疑いだすと全然教えてくれなくなっちゃう。意識を太古のほうに戻してやるといいが、現代の疑いの意識の方へやるとだめ。でも、15年間やってきて、これは絶対指針にはなると思うね。100%信じちゃまずいというのはあるし、自分のなかにも揺れがあるけど。基本的なところ、例えばタバコとかだったら、一番分かりやすい。
障害者の人はまず何よりも二次障害で苦しんでいる。何だかんだと言っても、苦しみを取り除くことから始まる。苦しみを取ってあげたい!というのが、まず治療者の立場としては、俺のなかにある。
それと同時に、自分自身が今まで一人でやってきたけど、限界だなっていうのがあって、例えば世田谷のあれ(報告集、第1版)を読んだときに、「ああ、こういうのっていうのは必要だよな」と。俺の治療が正しいから、ということじゃなくて、みんなと一緒になって手を結んでやっていくことが、本当の医療のあり方だろうなって。障害者と老人というのは、底辺にいますね。底辺からの声が起こらなきゃだめだ。それが、大きな言葉で言えば日本を良くする一歩になるんじゃないかな、というのが俺の考え方です。もう健常者の治療をいくらやっても「気づいて」くれない。痛めつけられている人というのは、痛めつけられた人の気持ちが良く分かる。健常者は自分が病気になって初めて気づくけど、治ってしまえばすぐ忘れちゃう。でも障害というものは一生治らないわけで、いつも痛みというのは持っている。それは普遍的なものだなっていう感じ。人の痛みを感じられないということは、もう自分の神経が麻痺していること。宇宙と自分というのは、切り離されているものではなくて、「宇宙」即「自分」と同じわけだから。地球が汚されているということは、自分の中にもどこか同じようなものがある。宇宙が痛めつけられるということは、自分にも痛みがきているんだ、と。そこでうなずける人達というのは、日本の中で誰かというと、やっぱり痛めつけられている人達だ。今、この場所にそういう人達がいる。
痛められた人には、痛められた人の気持ちがすごくよくわかるというところから始まりたいな、と思っています。
二・次・障・害・の・予・防・と・治・療・
「自立の家」をつくる会医療担当 天野 誠一郎(脳性麻痺者)
脳性麻痺者ならば、二次障害は誰でも発症しうる。しかし、何も怖がることはない。というのは、その発症が軽い段階ならば日常的な治療やケアで十分に克服できるのである。
しかもそれは友達同士でも行える治療や方法である。脳性麻痺による筋肉疲労(こりやしびれ)の治療の方法である。
僕が他の多くの脳性麻痺者に対して伝えたいことは、脳性麻痺による筋肉疲労という二次障害の軽症の段階ならば、特別な医療技術がなくても十分に治療は可能だということである。そして友達同士でも治療しあえると僕は思っている。このことをみんなに知ってもらいたいのである。その前提として、まず脳性麻痺者の体について、それから二次障害の起こるしくみについて知っていただきたい(「脳性麻痺者の二次障害」の章を参照)友達同士でも可能な筋や筋肉のほぐし方を紹介しよう。この方法は、健全者にも応用は十分に可能である。脳性麻痺の場合は一方向のみに力が入りつづけることに問題があるが、健全者もデスクワークなど同じ筋肉の使い方をしている。一番に何に注意してほしいか
と言えば、筋や筋肉を治療、ほぐすつもりが、方法や手順を間違ったためにけがをしてもらいたくないのである。ここでは、筋や筋肉が無感覚の段階で、それ以上の悪化はない人を前提として、話を進める。つまり、二次障害の結果による骨の磨耗や脊髄神経の圧迫そのものへの治療、対応は僕の守備範囲ではないことはご了解ねがいたい。ただ、筋や筋肉がほぐれ、元の弾力性を取り戻し、その結果身体機能が元に回復することはあると思う。
・筋や筋肉をほぐす際の注意・
・脳性麻痺者の筋や筋肉のほぐし方であるが、それらが無感覚状態であれば、その体全体は、血行不良となっていて体は冷えている。そして、一方向の力の方向へと個々の筋や筋肉は固まっている。こういう状態の時にいきなりマッサージをするとねんざをする。
・また、体の末端からほぐさないことである。例えば、手首からほぐした場合、その上の腕の部分は固くこっているのに、手首より下はほぐれると、その接点である手前の関節に無理が加わりねんざの原因となる。あるいは、腕の上は固まっていて、手首より下はほぐれていると、手首の関節部分に力関係が生じて、痙攣を起こす場合もある。僕自身も足首をいきなりほぐすとよく痙攣を起こす。
ねんざや痙攣を防ぐためには、体の末端からほぐさずに、体の中央つまり体幹の一方向の力の集中点からほぐすべきである。内側方向へと力が入る人は、へその下あたりが集中点だとすると、そこからほぐすべきである。
・脳性麻痺者の体全体は、一方向の力の方向へと骨・骨格・筋肉もゆがみ、かたよっている。成人している脳性麻痺者は、このゆがんだ体勢がパターン化しているし、バランスを取っている。このパターン化に至るまでの歴史や蓄積もあるから、このパターン化の矯正治療は注意した方がよい。その人にとって肯定できる姿勢かもしれないのであるが、しかし、そのパターン化そのものに無理があって、二次障害の原因になっている人もいるかもしれない。それにしても、長年にわたる姿勢としてある場合は、今日明日で矯正はでき
ないし、無理はしない方がよいと思う。体全体の矯正は徐々にすべきと考える。
以上の3点を注意した上で、筋と筋肉のほぐし方を実践してもらいたい。
・脳性麻痺者の筋や筋肉のほぐし方について・
・体をリラックスさせるようにする。
深呼吸をし、その後、静かに息を抜く。これをしばらく繰り返す。
・体を温める。温かい物を飲む方法もある。つまり、体の内側から温めて、同時に外側も温めていけばよい。
・不随意運動の方向の集中点、例えば、内側への力が入る人はへそのあたりから、マッージをする。
・集中点より、放射線上にマッサージの方向を体の末端へと広げる。
・集中点を中心に凝っている部位をほぐす。この時にマッサージをする人が鍼灸師ならば、鍼を打っても良い。
・・のように、中心点より放射線上にほぐす。鍼を打つ。
・集中点より、少しずつ筋肉と筋をのばす。伸ばす方向は、不随意運動の方向とは逆方向とすること。
・・と同様に、集中点より、放射線上に、末端へ向けて少しずつ伸ばす。
・体の全体の歪みを矯正する。
・可能ならば、筋力トレーニングを行う。
内側の方向への力の場合は、外側の反対側の筋肉と筋力はあまりない。したがって、これらの筋肉に力をつけ、力の入れ方を学ぶ。そうすることで、一方向の力へ対抗し、または鎮めることがある程度は可能となる。
昔の脳性麻痺者に対する訓練は、例えば、腕が上方に上がる反射不随意運動の人の場合、それを押さえるために、その腕に重しを乗せるというものだった。脳性麻痺者は、重しを乗せられた結果、余計に腕が反応してしまい、その腕は上方に上がってしまっていた。
そのおかげ?で、腕の筋肉は余計についてしまったのである。
最近の訓練はこのようなことはせず、上記のように行う。そうすると、軽度脳性麻痺児は(子供の時点で行えば)歩行が可能となる事例も出ている。これは、あくまでも推察の域ではあるが、ひょっとすると一方向以外の筋肉の力を入れることを学ぶことは、脳の運動野も刺激するような気がする。つまり、運動機能の回復かもしれない。
・回復にともなう痛みの発生・
無感覚状態という重症の症状となっている筋や筋肉を治療し効果が出てくると、痛みが生じる。これは治療の方法が誤っているのではない。筋や筋肉の悪化する順番は、「こり→痛み→しびれ→無感覚状態」である。そして、治療が効果を上げて回復過程に入ると、「無感覚状態→しびれ→痛み→こり→完治」という逆の過程をたどる(前記藤田氏の言葉で言えば、「好転反応」であろうか)。通過点として痛みが現れるが、それとは知らず治療が不適切だったために、また痛みが出てきたなと思ってしまい、治療を中止する人もいるが、そうではない。
まず最悪の状態である体が痛みに適応しているところの無感覚状態がある。そして、治療し回復するにつれ、血行が良くなり痛みという感覚が戻ってくるのである。したがって、回復過程における痛みは、完治に至るまでの通過点である。もしも痛みが不安ならば、
鍼治療ならば、その治療しに対して率直に相談してみてほしい。この通過点を乗り越えれば痛みは消え、完治へと至るはずである。完治に至までの期間は、悪化していっただけの同じ時間が必要となると考えたほうが妥当である。
・二次障害を予防するために・
生活上の注意
・私の場合は、台所仕事やデスクワークはなるべく介護者にしてもらう・杖歩行をやめて、車椅子に乗る。結果として、消化不良がなくなった。
・車椅子の軽量化。私は手動の車椅子を一人でこぐが、チタン製8.2kg
で腕と肩への負担が少なくなった。
・食生活上の注意としては、糖分を取りすぎると、体内のカルシウムを消費し、体が硬くなり凝りやすくなる。したがって、糖分は控え、カルシウムや緑黄色野菜を取る。・脳性麻痺者に効果のある治療法・
具体的な治療方法には、ハリ治療、ストレッチ(ストレッチについて、前述の・から順番に、体をほぐしながら、実行してほしい。)温熱療法、カイロプラクティック(カイロプラクティックもストレッチと同じ注意が必要と思える)、気功、等々がある。
僕の場合は、7日間に1回程度、鍼、ストレッチ、カイロ、温熱療法をうけている。1人の鍼灸師が全部熟知し、こなしてくれている。他に気功師も、別にいる。自分のあった治療方法や、治療師(医師)をいかに見つけるかだが、まず、体当たりで体験し、自分で確かめることだと思う。僕が、この文章を書けるのは、自分だけで脳性麻痺の問題を抱え込まず、様々な医者、友人と出会っているからである。直接に、その医者と出会い、相談している。
1人で悩まず、様々な方面の治療師に相談してみることをお勧めする。とはいったものの、一般開業医はほとんど脳性麻痺者のことを知らない。特に鍼灸師は怖がるし、嫌がる。鍼を打つ瞬間に、体が動いてしまうからである。治療を受ける側も、初診だと緊張が強くなり、余計に自分の体を制御できなくなる。だから、よくある話だが、脳性マヒ者は鍼灸治療院で診察拒否に会う。では、どうするかである。
まず、鍼灸師に、治療前に脳性麻痺者の体の特徴を説明する。そして、不随意運動があるために、体は凝りやすいのに鍼が打ちにくいということ、しかし鍼治療に慣れてゆくにつれて、この不随意運動は少なくなっていくことも伝える。だから、気長に付き合ってほしいと述べておくようにする。このようなことを伝えることで、鍼灸師側もそれなりの身構えができるし治療法を工夫してくれる人もいる。
ぜひ頑張ってトライしてほしい。
・自動車の運転をする方のために・
私の場合は、肘が持ち上がらないため自動車の手動装置をフロア式とした。私は自動車の運転を両手だけで行う。右手だけで、ハンドルを回し、左手でアクセルとブレーキの操作をするのである。
このアクセルとブレーキの手動装置についてだが、運転席の座席の左前方に突き出ているレバーを、押すとブレーキがかかり、引くとアクセルを押すこととなっている。この手動装置の軸は、普通はハンドルの軸のぼうに取り付ける。ハンドルの軸のぼうは床から、手前斜めに向かって、突き出ている。このようなぼうの中間付近に、手動装置を取り付けるのである。この中間付近より、左横方向に、ぼうを伸ばす、このぼうが手動装置となるわけである。床から、手前斜め上方にでているハンドル軸のぼうに取り付けているのでブレーキをかける時は、斜め下へ押し込むこととなる。アクセルを作動させる場合は、逆に手前斜め上方に、この手動装置を持ち上げることとなる。
ブレーキ作動はともかくとして、このアクセル作動時の腕の使い方は非常に疲れる。走行時も常時、この手動装置レバーを持ち上げつづけるのだ。腕と肩を使う動作となる。そして、私の場合は肘が上方へ上がる反射不随意運動があるので、この動作は肘が上がりやすい動作となってしまう。
一時期、このタイプの手動装置で自動車の運転をしていたが、これをフロア式手動装置とした場合、事態はかなり好転する。フロア式は、運転席の左前方付近に穴をあけ、そこに直接に手動装置レバーを取り付けるシステムである。その穴より上方へレバーを突き上げるやり方である。このレバーを前方へ水平に動かすブレーキ作動となり、手前、水平にひっぱるとアクセル作動となるのである。水平の前後の動作となり、持ち上げる事はなくなっている。したがって、肩と腕の負担は軽減される、私はこのフロア式を使用している。
将来的にはECVTとしたい。オートマチック車は、前進へギアを入れておくと、アクセルを作動させなくても自動車は少しづつ、進んでしまう(クリープ現象)。これが手動装置の場合は、信号待ちの時に常に前進しようとする自動車をブレーキで押さえている感じである。信号待ちの回数が増えるとかなりつらいこととなる。これをECVTというオートマチック車とすると、このクリープ現象が全くないので、相当に楽になると思う。この場合、車内をフル・フラットにし、バックドアより乗り降りすることになる。