No.285
自分の持ち歌をリングで披露した輪島功一
↑月刊ゴング昭和47年4月号より
(文中の試合とは別の写真です)
亀田家次男・大毅が試合勝利後のリング上でカラオケにてフォルテシモなど歌を歌った映像を見て
「前も世界戦で勝ったあとリング上で歌ってた選手いたなあ・・・」とおぼろげな記憶を探ると・・・。
そうでした、元WBA世界ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)王者の輪島功一。
彼が試合勝利後のリングでマイク持って歌っているのをテレビで見ました。
しかし、調べてみると意外な事実が・・・。
1972年の10月、輪島2度目の王座防衛戦。相手はトリニダード・トバコの長身黒人選手マット・ドノバン。
試合は実力差が歴然で3ラウンドで輪島がダウンを取って圧勝のKO勝ち。
その後場内にこの年4月にレコーディングした自分の歌「炎の男」がかかって輪島がマイクを持って熱唱。
場内の観客は思わぬパフォーマンスに大喜び。
ところがこれ、実際は歌ってなくてテープにあわせたいわゆる「口パク」だったようだ。
『したたり落ちる汗をぬぐおうともせず。
テレビ局の用意したテープに合わせて口をパクパク。
そしてリング狭しと大見得を切る。
ボクサー輪島から歌手輪島の本領発揮である。
その迫真の演技にファンはだれ一人としてテープに合わせて歌っていることに気がつかない。
調子に乗った輪島は三番を歌い始めたが、テープがストップしてタネ明かし。
大笑いとなったが、ファンはこの至れりつくせりのサービスに大喜び(後略)』
「テレビ局の用意したテープ」とあるがこれは前回の防衛戦、
同年5月のドメニコ・チベリア戦が1RKOで輪島の勝利となったこと、
今回のドノバンも下馬評では弱い挑戦者だったことから再び輪島の圧勝が予想され
フジテレビ側が「早く終わった時の余興」として用意していたらしい。
それにしてもあれが口パクだったとは自分も今回の資料を見つけるまで全く気がついてませんでした。
ということはカラオケながら自分の肉声で歌ったのはやはり亀田大毅が初めてなのか。
しかし輪島は自分の持ち歌だからなあ、その点では勝ってる(笑)。
さすれば亀2号もさっそく自分オリジナルの歌のレコーディング、企画に入るか。
1972(昭和47)年10月3日 東京・日大講堂
「WBA世界J.ミドル級タイトルマッチ」
観衆1万人
1.4回戦
○石川公康(判定)川上好輝●
2.4回戦
○竹森留男(KO、3R2:32)桜井久夫●
3.4回戦
△佐々木行夫(引き分け)根本正次△
4.東日本新人王予選4回戦(J.ライト級)
○小久保憲(判定)小林志郎●
5.東日本新人王予選4回戦(フライ級)
△藤田裕一(引き分け)上山斎△
*規定により延長一回でポイント数の多い藤田を勝者扱い。
6.東日本新人王予選4回戦(フライ級)
○松山光友(判定)青柳伸●
7.6回戦
○小林和昭(KO、2R2:57)根岸宏●
8.WBA世界J.ミドル級タイトルマッチ15回戦
○輪島功一(KO、3R0:53)マット・ドノバン●
*輪島が2度目の世界王座防衛。
(2006.0814)
『』内、ベースボールマガジン社 ボクシングマガジン1972年11月号より引用
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