No.48
ジャケットマッチ列伝 13


93年末、約50年の沈黙を経て世界舞台に登場したグレイシー柔術は
第一回アルティメット大会にかつて木村政彦に敗れたエリオ・グレイシーの息子ホイスを出場させ、
ホイスはW・シャムロック、G・ゴルドーといった日本でも有名な選手をことごとく秒殺しトーナメントを優勝した。
この大会が現在の総合格闘技の世界的なムーブメントの始まりになったという事に異論を唱える人は少ないだろう。

ホイスは道着をつけてファイトする。
第2回アルティメット大会では大道塾の空手家市原選手と対戦したトーナメント一回戦がお互い道着を着用してのファイトだった。
結果はホイスが道着を有効利用しての三角締めで勝利。
続いてホイスはオランダの巨漢柔道家(柔術の経験もあったらしい)レムコ・パドォールと対戦、
指をうまく使って相手の襟を放さず、送り襟絞めで秒殺。結局第2回トーナメントも制覇し、これで2連覇を飾った。
当時ブラジルの柔術のマウントポジションに有効な手段を他競技の選手は知りえず、しばらくは柔術側の圧勝が続いた。

しかしグレイシーハンター桜庭の登場、
さらにマウントポジションの研究などもあり次第に柔術、グレイシー一族の敗北するシーンもさして珍しいものではなくなった。

今回の吉田対ホイスは判定をめぐって禍根を残しそうだが
ジャケットマッチにおけるオリンピック級柔道選手の実力を満天下に見せ付けたという点での意義は大きい。
今後の展開に期待したい。    

                 (おわり)

(旧演撃カフェ 2002/09/07 4796ほか)
参考:ザ・格闘技 小島貞二 昭和51年朝日ソノラマ
今世紀最強の格闘技名勝負集100 平成元年 日本スポーツ出版社

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