No.7
昭和54年サマー・ファイトシリーズ開幕戦、 クレイジー・レロイ・ブラウン初来日第一戦



↑ゴング昭和54年2月号より

レロイ・ブラウンはヘッドバットが得意な巨漢の黒人選手。
スキンヘッドでもありブッチャーの背が高くなったような選手と考えてくれればイメージできるだろう。
初来日第一戦は新日本プロレス・サマー・ファイトシリーズ開幕戦、昭和54年6月29日、テレビ生中継だった。
シングルマッチ、対戦相手はストロング小林。
ストロング小林・・・・・
昭和49年、日本中のプロレスファンを熱狂と興奮の坩堝に叩き込んだ伝説の名勝負アントニオ猪木戦から何年たったのだろうか。
当時の小林はジュニアヘビー級という新ジャンルを引っさげて登場した藤波辰巳にナンバー3の座を奪われ、
まだまだ地味ながらその後ろをひたひたと追いかけてくる長州力の存在をも意識しなければならないという厳しい位置にあった。
その小林が開幕戦で初来日の外国人選手相手。
以前なら山本小鉄や木戸修の役回りだったやられ役、いまどきの言葉で言えばジョバーである。
これから1ヶ月以上のシリーズで売らなければならない初来日の外国人選手に
テレビ生中継の開幕戦で勝つわけには行かない、と考えるのが普通だろう。
そんなことしたら選手の商品価値が暴落だ、お客が呼べない。
が、しかしストロング小林は
「かつて国際のエースだぜ・・・」
若き筆者は確かにそう思いながら生中継のテレビを見ていた。

レロイ・ブラウンのマネジャーみたいな雰囲気でマサ斉藤がリングへ上がった。
このシリーズというか当時斉藤は外国人側でファイトしていた。
なにやらデモンストレーションをやる構え。
斉藤は中に水の入ったビンを手に持っている。
ブラウンは両手をひざに当てて顔を前に突き出す。
筆者はこの時点で斉藤が何をやりたいかは大体わかった。
だけどそれはプロレスの「試合前」のデモンストレーションにしては常軌を逸していた。

マサ斉藤は中身の入ったビンでブラウンのひたい―前頭部を殴りつけた。
「ビンが割れても平気な石頭」おそらくそういう部分を見せたくてのデモンストレーションだったと思う。
しかし、ビンは割れなかった。
場内が妙な雰囲気になったのがテレビの画面からもわかった。
斉藤は2発、3発と続けてブラウンの前頭部を殴打した。
しかし、ビンは割れない!
興奮とも嘲笑とも判別できない歓声が聞こえる。
斉藤はあせっているようだった。
しかしビンが割れないのにやめるわけにはいかない。
テレビ生中継だ。
斉藤は意を決しように両手でビンを持って、再びブラウンの前頭部を殴打した。
最後の殴り方はそれまでのものは角度が違っていた。
ようやくビンは割れた。
しかし、ブラウンの額も割れた。
血がしたたりはじめた。
流れ出る血を手のひらでぬぐったブラウンは自分の指に付着した血を舌を出してペロペロとなめだした。
かなりグロテスクな光景だった。
まだ試合は始まっていない。

どんな風にしてストロング小林とレロイ・ブラウンのシングルマッチが始まったかは覚えていない。
飛び散ったビンのかけらがどう始末されたかも記憶に残っていない。
その前のデモンストレーションがあまりにも強烈な、笑うに笑えない展開だったので
若き筆者の脳内にはそればかりが記録されてしまい、
印象が薄い試合の始まりの部分はすっ飛んでしまったのだろうか。
試合は早々と場外戦になり、ストロング小林が折りたたみ椅子でブラウンの頭部を殴りつけた。
しかしブラウンはタフネスを強調したいのかひるまない。
そのままリング内に戻ると小林は再び椅子でブラウンの頭部を殴った。
ブラウンは逆襲とばかりに椅子を持ったままの小林にヘッドバット。
2、3発ヘッドバットが決まったか小林はダウン、3カウントを聞いた。
試合時間は3分ぐらい。
ブラウンは立ち上がるとコーナーに下がって背をもたれ、再び自分のひたいの血を手でぬぐってなめていた。


↑別冊ゴング昭和54年8月号より

試合前のデモンストレーションをマサ斉藤がアドリブで行ったとは思えない。
生中継での失敗は編集のしようがないし致命傷になるからだ。そんな危険なことを斉藤が独断で行ったとは思いづらい。
とするとブラウン売り出しのために団体側からの指示というか要望があって
それにのっとって斉藤が動いたと考えるのが妥当ではないか。
斉藤は後年の猪木との「闘魂ライブ」リマッチでの「ギブアップまで待てない」番組内での手錠を使ってのアピールといい、
たけし軍団のご意見番としてマットに上がった
「イヤー・エンド・イン・国技館」でのビッグ・バン・ベイダー初登場への関与といい、
アングルへのかかわりが顕著に見られるのである。

それはともかくブラウンのデモンストレーションは失敗だったといっていいだろう。
残った結果はこういうことだ。
「かつて国際プロレスのエースであり猪木と歴史に残る30分近い名勝負を繰り広げたことのあるストロング小林が、
試合開始直前のデモンストレーションの失敗で頭に負傷している初来日の外国人レスラー相手に
自分が手に凶器の椅子をもっているのにもかかわらず3分でフォール負けした」
この試合が小林の凋落のスタートだったわけではないだろう。
しかし斉藤とブラウンの無様な、滑稽というには笑えないデモンストレーションで
グロテスクにデフォルメされたこの試合を終えたとき、
小林の胸中に去来したものは何だったのだろうか。

昭和54年6月29日
新日本プロレス 埼玉・大宮スケートセンター
8.45分1本勝負
○レロイ・ブラウン(体固め、2分49秒)ストロング小林●

(2003・0810)

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