No.167
超兵器が生んだ怪物、ディック・ザ・ブルーザー

レトロなマニアなら「生傷男」ディック・ザ・ブルーザーの名前にはすぐ反応するだろう。
「世界で一番危険な男」「地球一のタフガイ」。

1929年6月27日インディアナ州ラファイエットの出身。
本名はリチャード・アフィルス。
高校、大学を通じてフットボールの名プレイヤーとして活躍したが
破天荒な性格から退学処分の連続で、一時は酒場の用心棒になっていたこともある。
1954年にビル・ロンソンとT.ステッカーにスカウトされて24歳でプロレス入り。
あまりにも試合が過激という理由でニューヨークのMSGでは永久追放になっている。
(以上The Wrestler BEST100より)

MSG永久追放の経過については何度か引用している「F.ブラッシー自伝」から抜粋してみた。
「1957年、ブルーザー&ドクター・ジェリー・グラハム組は、マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)で
エドワード・カーペンティア&アントニオ・ロッカ組に敗れた。
ロッカが勝利の喜びに浸っていると、グラハムがつかみかかり、流血の惨事に発展した。
ロッカが敵の頭をコーナーポストに叩きつけて、血まみれにしたのだ。
ファンは暴徒と化し、リングに殺到した。
ブルーザーはそこに立ったまま、詰め寄ってくる観客を次々と客席に投げ飛ばしていた。
300人近くの観客が負傷し、500個の椅子が潰れ、ふたりの警察官がケガをした。
(中略)
ニューヨーク州アスレチック・コミッションはどんな罰則を課すか決定するまでMSGでの試合を中止した。
そして次のような決定が下された。
ブルーザーは生涯ニューヨーク州でレスリングをすることを禁止されたのだ。(後略)」

ブルーザー初来日は昭和40年11月、日本プロレス。
ジャイアント馬場と復活したインタナショナル選手権の王座決定戦(2連戦)を争う。
11月24日の大阪では馬場に0−2のストレート負けだが、2本とも反則負け。
で馬場が第3代王者に認定される。
蔵前での2試合目は馬場の初防衛戦として行われたが
1-1の後両者リングアウトで馬場の初防衛を許したが
国技館の床板を踏み割って凶器にしたという伝説が残っている。
また昭和47年11月27日の国際プロレス愛知県体育館大会では
C.リソワスキーとのコンビで保持するWWA認定世界タッグ選手権の防衛戦を行ったが、
金網デスマッチによって行われたこの試合、
対戦チームのS.小林、G.草津に加えて阿部修レフェリーまでノックアウトした生傷・粉砕コンビは、
試合ルールをアメリカで行われている「エスケープ・ルール」と勘違いしたのか
また国際側のルール確認が不徹底だったのかは不明だが
流血してダウンしている対戦相手を金網の中に置き去りにしてさっさと退場してしまったため試合は無効試合に。
この不完全な結末に観客の怒りが爆発、暴動寸前の騒ぎとなった。

かように行く先々で暴走の嵐を繰り返す男である。
出所未確認だが鉄人ルー・テーズなどは「ブルーザーとは絶対戦わない、○○と試合をするつもりはない」と公言していたそうである。
このブルーザーの、暴走の根底は何なのか。
普通に考えればMSG永久追放など、連続して騒ぎを起こせばトラブル・メーカーとしてプロモーターから敬遠されてしまい、
試合数が減って収入減となることは明白だが・・・。
ブルーザーは試合に出れなくて収入が減ることになってもおそらく何の問題もなかっただろう。
なぜなら彼は億万長者だったからだ。

「“生傷男”ディック・ザ・ブルーザーがインディアナポリスに構える邸宅は、
広い前庭、プールや馬場のある内庭、
そしてその後方には珍しくも築山(つきやま)を作った庭園付き・・・・・という豪華なもの。
もっともこの家、ブルーザーの血しぶきあげるファイトの代償として、一代で買ったものではなく、
彼の母親が富豪でその遺産を相続した家だから、ブルーザーは一jも支払ったわけじゃない」

別冊ゴング昭和51年10月号にはそのような記事がある。
ブルーザーの家は母親が富豪だったということだ。
ではその・・・ブルーザーの母親はどうやって億万長者になったのか。

「学生時代に無頼の限りをつくし、七つの大学を渡り歩いた
“生傷男”ディック・ザ・ブルーザーは、実は母親が大変な億万長者だったのだ。
ネバダ州リノ郊外の荒地をさりげなく所有していたのだが、
太平洋戦争中にそこがアメリカ軍部の原爆実験地として買い上げられることになり、
不毛の砂漠は一朝にしてアフィルス家(ブルーザーの本名)に巨万の金をもたらした。
(中略)
もともとその土地は、リノでバクチ宿を経営していたブルーザーの母親が、
無知なインディアインから詐欺同然にとりあげたもの。
借金のカタに所有権を手にいれ、そして軍部に売ったのだ。
ブルーザーが子供の頃のことで彼に責任はひとつもないが、
母の死後、その遺産を引き継いで億万長者になった彼も
よくよく変な星のもとに生まれたことになる」

別冊ゴング昭和51年12月号からの引用である。
ブルーザーの母親が所有していたネバダ州の土地はアメリカ軍部が購入した。
彼女は億万長者になった。
軍部が買い上げた土地は原爆の実験場となった。
億万長者の家に生まれ母親の死後遺産を相続したディック・アフィルスは
経済的には困らないから何でもかんでもし放題。
学生時代はフットボールを経験したが
「合法的に相手を殴れる」商売、プロレスラーの道を進む。
リングの上でも無法ぶりは衰えることがなかった・・・。
そういったストーリーか。

ブルーザーの得意技にアトミック・ボムズアウエー(原爆落とし)という技がある。
コーナー最上段によじ登ってダウンしている相手に向けて落下して踏み潰す、という技だが
この技の名前は誰がつけたのだろうか、ブルーザー本人ということはないのだろうか。
もしそうだとすれば、彼は彼に巨万の富を与えるきっかけとなった、
しかし日本人にとっては大きな災厄となったあの原爆に何がしかの敬意のようなものを抱いていたのだろうか。

(2004.1202)
参考:The Wrestler BEST100 昭和56年 日本スポーツ出版社
別冊ゴング昭和51年10月号、12月号 日本スポーツ出版社
「フレッド・ブラッシー自伝」2003年エンターブレイン社

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