No.163
1978年、A.猪木欧州遠征試合記録


↑ゴング昭和54年1月号より
第2戦猪木対R.ボック


1976年の「世紀のスーパーファイト」対モハメッド・アリ戦の世界衛星中継の実現により
試合の批評はともかくとして世界中にその名前を広めることに成功した
「燃える闘魂」アントニオ猪木。その結果として世界各国からの招聘要請があり
同年12月のパキスタン遠征でのアクラム・ぺールワン戦を皮切りに
今まで遠征の経験がないような地域に猪木は行くこととなる。

1978年、西ドイツ(当時)のローラン・ボックの招きによりヨーロッパ遠征を敢行した猪木だったが
初のヨーロッパマットは受身のとりづらい硬いマット、不慣れなレフェリング、ラウンド制、国境越えの長距離移動、
加えて当時のヨーロッパ中の格闘家が集結したようなメンバーとの連日連夜の対戦という「死のハード・スケジュール」。
消耗した猪木を叩き潰すといったボックの策略だったかどうかまでは知る由もないが
猪木は負傷を押して6カ国をまたにかけ23日間で20戦を戦い抜き、
僅かに「1敗」でこの「欧州世界選手権シリーズ(正式名称不明)」を乗り切った。



【1】1979年11月7日(現地時間、以下同)
西ドイツ・ラーベンスブルグ・オーバーショワルツェン・スタジアム
▽4分10ラウンド
○A.猪木(体固め、5R1:33)W.ルスカ●

【2】11月8日
西ドイツ・デュッセルドルフ・フィリップス・ホール
▽4分5ラウンド
○A.猪木(反則、5R3:40)R.ボック●

【3】11月9日
西ドイツ・フランクフルト・フェストホール
▽3分15ラウンド
○A.猪木(逆エビ固め、4R1:15)カール・ミルデンバーガー●

【4】11月10日
西ドイツ・ハンブルグ・スポーツホール
▽4分10ラウンド
△A.猪木(10回引き分け)ジャック・デラサルテス△

【5】11月11日
西ドイツ・ハノーバー市・メッセホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(逆腕固め、5Rタイム不明)ジャック・デラサルテス●

【6】11月12日
西ドイツ・ベルリン・ドイッチェランドホール
▽4分10ラウンド
▲A.猪木(両者リングアウト、5R1:11)R.ボック▲

【7】11月13日
西ドイツ・カッセル市・エセスホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(体固め、5R0:53)ジャック・デラサルテス●

【8】11月16日
西ドイツ・キール・コンサートマネージメント
▽4分10ラウンド
○A.猪木(腕固め、4R2:20)ウィルフレッド・デートリッヒ●

【9】11月17日
西ドイツ・ミュンヘン・セベルスメイヤー・スポーツホール
▽4分10ラウンド
△A.猪木(10回引き分け)W.ルスカ△

【10】11月19日
スイス・バーゼル市・セントヤゴス・スポーツホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(反則、5R2:35)ジャック・デラサルテス●

【11】11月19日
オーストリア・ウイーン市ウイナー・ホーレン・スタジアム
▽4分10ラウンド
○A.猪木(反則、4R1:32)オイゲン・ウィスバーガー●

【12】11月20日
西ドイツ・ザールブルッケン・ザーランドホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(体固め、4R0:57)ジャック・デラサルテス●

【13】11月21日
西ドイツ・ルートウィフハーヘン・エバートホール
▽4分10ラウンド
▲A.猪木(両者リングアウト、4R2:51)ウィルフレッド・デートリッヒ▲

【14】11月23日
オランダ・ロッテルダム・マホイ・スポーツランド
▽4分10ラウンド
△A.猪木(10回引き分け)W.ルスカ△

【15】11月24日
西ドイツ・ドルトムント・ベストフォーレンホール
▽4分10ラウンド
△A.猪木(10回引き分け)オットー・ワンツ△

【16】11月26日
西ドイツ・シュツットガルト・キーレスバーグ
▽決勝戦4分10ラウンド
●A.猪木(10回判定)R.ボック○

【17】11月26日
ベルギー・ルーティッヒ・カントリー・ホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(逆さ押さえ込み、4R1:42)チャールズ・ベルハルスト●

【18】11月27日
ベルギー・アントワープ・スポーツパレス
▽4分10ラウンド
○A.猪木(反則、4Rタイム不明)W.ルスカ●

【19】11月28日
西ドイツ・シュウェニケン・アルセラングホール
▽4分10ラウンド
○A.猪木(反則、2R終了)W.ルスカ●

【20】11月29日
オーストリア・リンツ・スポーツホール
▽4分10ラウンド
△A.猪木(10回引き分け)オイゲン・ウィスバーガー△

【番外】11月29日
スイス・チューリッヒ
▽エキシビジョン
A.猪木(勝敗なし、10分)ルーズ・ハンスバーガー



【1】ルスカはいわずと知れた猪木の「格闘技世界一決定戦」の第1戦の相手。
ミュンヘンオリンピック柔道重量級、無差別級2階級制覇の超強豪。
5Rスタミナ切れのルスカからアリ・キック、バックドロップでフォール勝ち。

【2】ヨーロッパの帝王、と当時称されたローラン・ボックとの初対戦。
場外戦で流血したボックが猪木の首を絞める暴走で反則負け。

【3】ミルデンバーガーは第1戦終了直後猪木に挑戦を表明、急遽ツアー第3戦で対戦が決定。
西ドイツ出身の白人ヘビー級ボクサー、元世界ランキング3位。
1966年にフランクフルトで当時WBC世界ヘビー級王者だったM.アリと対戦、善戦するも12回TKO負け。
猪木対ミルデンバーガーはフィルム映像(当時の新日本の海外遠征の試合では多かった)で
テレビ朝日「ワールド・プロレスリング」のレギュラー時間枠内で放送され、実際にリアルタイムで見た。
猪木は急遽決まった一戦に、チャック・ウエップナー戦で使用したオープン・フィンガー・グローブを用意できるわけもなく
双方とも8オンス通常のボクシング・グローブ着用での対戦。
猪木、ミルデンバーガーのボディブローでダウンするも、
4ラウンド宙を舞っての回転蹴り(のちに延髄斬りと呼称される)で相手の後頭部を痛打。
ダウンしたミルデンバーガーに「ボクサー殺し」の逆エビ固めを決めギブアップ勝ち。
同じボクサーのチャック・ウエップナー戦とほぼ同様の勝ち方。
試合終了後、第2戦で因縁のローラン・ボックがリングに登場、
ボクシンググローブを装着し始める。
「俺もボクシンググローブでやってやる」という対戦アピール。
この時が動いているボックを始めてみた機会。
厚みのあるしかし引き締まった肉体に驚嘆。

【4】ジャック・デラサルテス(Jack D'Lasartesse)は1930年スイス出身のプロレスラー。
貴族の出らしい。
1960年にはアメリカ遠征でニューヨークMSGに登場、アントニオ・ロッカに勝ち越したり、
バディ・ロジャースのタッグ・パートナーを務めるなど大成功。
1965〜69年まで西ドイツのハノーバートーナメント連続優勝。
昭和45年7月には国際プロレスに初来日、E.カーペンティアとも対戦。

【8】ウィルフレッド・デートリッヒは「神様」とまで呼ばれる西ドイツ出身の世界的アマレスラー。
古い専門誌などでは「東京オリンピック・グレコローマンヘビー級金メダリスト」と紹介されているが、
筆者が所蔵している「アサヒグラフ増刊 東京オリンピック(昭和39年11月1日発行、朝日新聞社)」
では同階級の優勝はハンガリーのコズマとなっている
(ちなみにフリースタイル・ヘビー級優勝はソ連のイワニツキー)。
門茂男の著書などでは「猪木を2分間で何回スープレックスで投げた」
「欧州遠征で猪木を負傷させたのはボックではなくデートリッヒのスープレックス」
などと書かれていたが真偽の程は不明。

【10】【11】は同じ11月19日の日付だが、当方のミスではない(【16】【17】、【20】【番外】についても同様)。
午前中またはハイヌーンに試合してその後移動して夜また試合ということも考えられるが
現地時間だから国境を越えての移動が日付変更線を越えた為前日の日付の土地になってしまったのだと思う。
こういうトリックは「ゴルゴ13」で読んだ記憶がある。
【11】のウィスバーガーはレスリングでオリンピック3回出場の経験があるというオーストリア出身のプロレスラー。
対戦は4ラウンドニードロップを自爆した猪木をエアプレーン・スピンで振り回したが
猪木の足がレフェリーの頭部に当たってレフェリーがダウン。
レフェリーはウィスバーガーが仕掛けたとしてウィスバーガーの反則負けを宣告、猪木簿氷の勝利。

【12】のデラサルテス戦は4ラウンド、ドロップキックからバックドロップで猪木のフォール勝ち。

【14】オランダでの試合は注目の猪木対ヘーシンクの対戦!
ヘーシンクとルスカ、そして猪木果ては馬場と4人の複雑な力関係が読み取れそうな興味深いマッチメーク。
しかしヘーシンクは当日雲隠れ、会場に現れず主催者のプロモーター、ポール・バーガー氏は
ヘーシンクに対して契約不履行、損害賠償の請求をすると発表するなど大モメ。
「ヘーシンクの行為は同国人として恥ずかしい」と代打に立ったのがルスカ。
ルスカはスリーパー・ホールドで食い下がって10ラウンド猪木とフルに戦って引き分け。

【15】オットー・ワンツはのちのAWA世界選手権者。
このツアー以前に「ブルドック・オットー」のリングネームで新日本に来日経験あり。

【16】は「決勝戦」と称して行われた猪木対ボック3度目の対戦。
俗に「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれている試合である。
この試合はその年の「ワールドプロレスリング」の年内最終放送で見た。
試合が始まる前に場内にBGMとしてかサンタ・エスメラルダの「悲しき願い」が流されていたのを記憶している。
ラテン系の感じが照明のやや暗い場内の雰囲気に合わず「なんでこの曲?」と当時思った。

さて試合のビデオが見つかったのでそれを見ながら書くとする。
猪木はBGM「イノキ・ブンバイエ」で入場、ブルーを基調に背に日の丸のガウン。セコンドは藤原。
情報によると右肩と左すねを痛めているとのこと。
試合前のセレミニーでは日本、ドイツ両国国歌が流される、レフェリーはハインリッヒ氏(誰だ?)。

1R、開始後力強いロックアップで猪木をコーナーに押し込むボック。
足取りからグランドに誘う猪木。
ボックはフロントスープレックス。
実況アナ(古館氏)の情報によると
猪木は欧州シリーズの特別試合ではすべて「ロープブレークなしの試合」だったそう
(この決勝戦はロープブレーク有り)。

2R、猪木がアリ戦で見せたような、尻餅をついてのグランドへの誘い込みをおこなうとボックが蹴り返す。
スタンドでボックのバックドロップが炸裂、それからスタンドのトーホールドと顔面踏み付け。

3R、ボックが「足を取ってみろ」とばかりに足を前に出す。
猪木が足を取ってグランドに持っていくとボック、来日時にも見せたヘッドシザース・ホイップを披露。

4R、ヘッドシザースを倒立ではずそうとする猪木をボック、パイルドライバーのように持ち上げて叩きつける。
ボックの地元であるせいか場内は観客の、「ローラン、ローラン」と聞こえるボックの応援と共に
謎の歌の合唱(実況では「ローラン・ボックよ永遠に」のテーマと解説が)。
ボックがフロントスープレックス。

5R、猪木は早々にクロス式のヘッドロック。
フライングメイヤーからグランドに持ち込んでスリーパーでボックを追い込む。
猪木ドロップキック2連発、これは当たる。猪木再びクロス式のヘッドロックからF・メイヤー、首4の字。
しかしラウンド終了のゴングにボック救われる。

6R、するっとボックのバックを取ると猪木スリーパー。
猪木のキーロックをボックが人間リフトで肩まで持ち上げてエプロンに落とす。
ボックがフルネルソンから横に振って叩きつける。

7R、猪木がアリキック。ボックが猪木の足を捕らえると逆エビ固め、しかしロープブレイク。
猪木、ボックの左腕を固める。
終了間際ロープ際で猪木の水平チョップが炸裂。

8R、猪木ヘッドシザースから腕ひしぎの体勢。
スリーパーからのブレイクに応じない猪木にレフェリーから1回目のイエローカードが提示される。
実況放送では「黄色い紙」と呼称されていた。
ボックがエルボー、ボディスラム、逆エビの猛攻。

9R、猪木奇襲のラウンドハウスキックは空振り。
猪木、頭突きからのロープ際でのフロント・スープレックス気味の場外投げ(場外戦に持ち込む時によく使うムーブ)で場外戦へ。
この場外戦でボック流血。しかしボック猪木の髪をつかんでのヘッドバットから押し倒して首絞め。
ボック、膝をついて落とすパイルドライバー。

最終ラウンド、ロックアップから両者髪をつかんでの頭突き合戦、ボック場外投げ。
逆に猪木が場外投げ、戻ったボックがフロントスープレックス。
ロープ際での猪木の空手チョップで2回目の「黄色い紙」。
ボック、エルボーからボディスラム2連発の猛攻、猪木ドロップキック空振り。
ここで時間切れ、判定はボックに(実況によると判定のスコアは3-0とのこと)。
一部では「ホームタウンデシジョン」などと報道されたが内容的にボックの圧勝だったことは間違いない。
仲間に肩車をされて祝福されるボック。コーナーで派手なゼスチャーを交えて悔しさを表現する猪木。

非常に暗く、重々しい試合だった、しかしそれだけにインパクトのある試合だった。
日本で普段試合中の物語というか、
流れというか、観客の目というか、そういうものを重視しての試合を行ってきた猪木が
アマチュア的というか一般スポーツ競技的な、観客の目というものからかけ離れた試合を見せ、
また内容的には完敗ながら時間いっぱいまで戦い抜いたというところに意義を感じる。
判定による決着というものがよりそれを強調させているように思う。

この試合は「決勝戦」だったようだが、猪木への挑戦権をかけた予選がどのように行われたかは不明。
実況では「ツアー参加全選手によるトーナメント」が開催されたと説明が。
僅かに「別冊ゴング昭和54年1月号」の記事に
「ブルック(ボック)はミュンヘンでラサルテーズ(デラサルテス)を破っての決勝進出」とある。
【9】11月17日が該当するミュンヘンの大会だとすると、決勝戦まで9日間もあることになる。
それともここに記されていないミュンヘンの興行があったのか。謎である。

【17】チャールズ・ベルハルストはベルギー出身のプロレスラー。
「チャールズ・ベレッツ」の名で国際、「ジョニー・ロンドス」の名で新日本に来日経験あり。
流智美氏の著作「超一流になれなかった男たち(1995年ベースボールマガジン社)」によると
このツアーの参加は先輩のカール・ゴッチ(ゴッチも実はベルギー人)の命による
「猪木護衛(ボディガードの意か)」の目的があったそうだ。

【番外】最終戦終了後その日のうちにスイス・チューリッヒで行われた
チャリティ・スポーツの祭典に参加した猪木は
スイスの山岳レスリングのチャンピオンであるルーズ・ハンスバーガーとエキシビジョンで対戦。
スイスの山岳レスリングは「シュワイゲン」「シュイーゲン」または「アルプスレスリング」などと呼ばれ
着衣でズボンの上から太い紐をベルト代わりにつけて、おが屑のうえで対戦する。
猪木対ハンスバーガーのエキシビジョンは10分過ぎに猪木の放ったドロップキックで
ハンスバーガーが鼻血を出したところで終了、・・・ってドロップキックは反則ではないの?

さてこの欧州ツアーは意外と不入りの会場もあったらしく
プロモーターのボックは猪木に対して契約のファイトマネーを全額払えなかったそう。
それで新日本はコンディション不良のボックを日本に呼んで試合させて、
そのファイトマネーから猪木の欧州ツアーの未払い分を差し引きしたらしい。
1979年、新日本はボックの日本招聘を発表、猪木との決着戦が期待されたが
ボックは交通事故とかで来日せず、8月2日品川でのNWF戦はT.J.シンの代打で行われた。
ようやくボックが日本での試合を見せてくれたのはさらに2年後の81年になる。

(2004.1011)
(【16】猪木対ボック試合経過追加(2004.1023)
参考:ゴング昭和53年12月号、別冊ゴング昭和54年1月号 日本スポーツ出版社
アサヒグラフ増刊 東京オリンピック 昭和39年11月1日発行 朝日新聞社
超一流になれなかった男たち 流智美 1995年 ベースボールマガジン社


追記('12.0121):'12年に発売されたGスピリッツvol.22の那差 涼介氏の文章に多くの新事実。
日本には報道されなかった大会もあったということである。

Gスピリッツ Vol.22 (タツミムック)

新品価格
¥1,200から
(2012/1/22 12:08時点)



記録に戻る
SAMEDASU扉に戻る

web拍手 by FC2