ロブ・カーマン主要戦績


80年代末期から90年代初期まで世界中で戦ったキックの帝王の戦績。
千里眼が保存しておいた調査データを軸に、専門誌、当日のパンフ、ウィキペディアの情報などを追加。

【1】日時不明
パリ
●カーマン(判定負け)カリーローン(フランス国内王者)○
*デビュー戦。ウィキペディアによればデビューは78年の9月頃、カーマン18歳。

【1979年】

【?】日時不明
オランダ
○カーマン(勝ち)カラクス●
*オランダ選手権獲得。

【?】日時・会場不明
○カーマン (勝ち)バーファナ●
* ヨーロッパ選手権獲得。

【1981年】

【1982年】

【?】日時不明
オランダ
○カーマン(KO勝ち)ホンク●

【?】日時不明
タイ
●カーマン(負け)ラクチャート・ソーパサドポン○

【?】日時・会場不明
○カーマン(2RKO勝ち)ブリンキー・ロドリゲス●
*ローキック。

【1983年】

【?】9月23日
オランダ・アムステルダム
○カーマン(3RKO勝ち)ジョー・モンカイヨ(アメリカ)●
*ローキック、WKA世界ミドル級選手権獲得。
ヨーロッパ系のキックボクサーとしては初のWKA王者。

【1984年】

【?】1月12日
オランダ・エーデンホール
○カーマン(5R判定勝ち)パーヤップ・プレムチャイ●
*ムエタイルール。

【?】4月
アメリカ・フロリダ州
○カーマン(2RKO勝ち)ジョー・モンカイヨ●
*パンチ。3R説あり。

【?】日時不明
オランダ
○カーマン(3RKO勝ち)ラクチャート・ソーパサドポン●

【?】11月28日
スイス
○カーマン(判定勝ち)ジーン・マーク・トーナス●
*WKAフルコンタクトヨーロッパ王座決定戦。

【?】12月28日
香港
○カーマン(2RKO勝ち)サマート・プラサンミット●

【1985年】

【?】2月3日
オランダ・ エーデンホール
○カーマン(3RKO勝ち) ラリー・マクファーデン●
*WKA世界スーパーミドル級選手権獲得。

【1986年】

【?】日時・場所不明
○カーマン(7RTKO勝ち)アーネスト・シモンズ(アメリカ)●

【1987年】

【?】日時・場所不明
○カーマン(1RKO勝ち)ロジャー・ハート(アメリカ)●
*世界J.ライトヘビー級選手権獲得。

【38】11月15日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「スーパーファイト3」
3分5R
○カーマン(1R0:38KO勝ち)ラクチャート・ソーパサドポン(タイ=ラジャダムナンウェルター級王者)●
*来日第1戦。
当日のパンフレットによるとこの日までの戦績は
37戦34勝(30KO)3敗、この日で38戦35勝(31KO)3敗となる。

【1988年】

【39】2月6日・パリ
●カーマン(判定負け)コンサック・サプタルンチャイ(タイ=ルンピニーJ.ウェルター級1位)○


【40】 3月12日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「格闘技大戦争Pt.1」
3分5R
○カーマン(4R1:55KO勝ち)カークウッド・ウォーカー(イギリス)●
*カーマンが3R右ストレートでダウンを喫する。
当日のパンフレットによるとこの日までの戦績は
39戦35勝(31KO)4敗、この日で40戦36勝(32KO)4敗となる。

4月12日
両国国技館(WKA世界空手道連盟)
「’88格闘技の祭典」
イスマル・チャンガニーと対戦予定だったが
カーマン負傷欠場。
当日のパンフレットの戦績は【38】までの記載だった。

【41か42】日時不明
○カーマン(KO勝ち)相手不明●
【40】と【43】の当日パンフレットからKO勝ちの存在が確認される。

【41か42】5月29日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「格闘技大戦争Pt.2」
3分5R
○カーマン(1R1:46KO勝ち)ハンスー・プレムチャイ(タイ)●
*ヒジ、顔面への膝禁止ルール、顔面への右ストレートでKO勝ち。

【43】7月16日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「格闘技大戦争Pt.3」
2分7R
○カーマン(3R0:36>KO勝ち)サンディアゴ・ガルサ(アメリカ)●
当日のパンフレットによるとこの日までの戦績は
42戦38勝(34KO)4敗、この日で43戦39勝(35KO)4敗となる。

【44】10月14日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「格闘技大戦争Pt.4」
2分7R
○カーマン(3R>1:43KO勝ち)カリブゲイル・カールマイケル(アメリカ)●
試合数は【43】と【51】から推測。

【45】11月25日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
「格闘技大戦争Pt.5」
2分7R
○カーマン(2R<1:00KO勝ち)ショーン・オレガン(アイルランド)●
*1R2:44カーマンの右ローキックでKO勝ちとなったが
最後のダウンがスリップ気味で
「お互い余力を残している」という理由で2Rから再開。
再開後カーマンが左ボディフック→左顔面フックでKO勝ち。

【1989年】

【46】4月9日
オランダ・エーデンホール
●カーマン(4RKO負け)ヤン・ウェッセル○

5月14日、練習中の右手首負傷により後楽園でのグリン・スケルホン戦が中止。

【47】9月5日
日本武道館(全日本キックボクシング連盟)
「今世紀最大の激突」
3分5R
○カーマン(3R0:44KO勝ち)ドン・ナカヤ・ニールセン●
*2Rカーマンがローキックでダウンを取る。
3R、カーマンが右フックでダウンを取ってKO勝ち。

【48】10月
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
異種格闘技戦
○カーマン(3RKO勝ち)サムソン・ネグロ●

【49】日時不明
オランダ
○カーマン(2RKO勝ち)ヤン・ウェッセル●

【50】12月31日
パリ
●カーマン(判定負け)チャンプア・ゲッソンリット○
【44】から【50】までの試合数は【43】と【51】から推測。

【1990年】

【51】3月31日
後楽園ホール(全日本キックボクシング連盟)
3分5R
○カーマン(KO勝ち)ドミニク・シーグラー●
当日のパンフレットによるとこの日までの戦績は
50戦44勝(40KO)6敗、この日で51戦45勝(41KO)6敗となる。
敗北の数はあっている。

【?】日時不明
オランダ
○カーマン(5RKO勝ち)チャンプア・ゲッソンリット●

【?】4月24日
タイ・ルンピニースタジアム
●カーマン(判定負け)チャンプア・ゲッソンリット○

【?】 6月30日
日本武道館 (全日本キックボクシング連盟)
●カーマン(KO負け) ピーター・スミット○
*WKA王座失う。

【?】9月
日本武道館 (全日本キックボクシング連盟)
3分5R
○カーマン(1RKO勝ち)西良典●

【?】日時不明
オランダ
○カーマン(5RKO勝ち)アーネスト・ホースト●

【1991年】

【?】6月29日
フランス
○カーマン(5RKO勝ち)ルック・ヴァーヒー●
*スミット→ヴァーヒーと移動した王座を奪還。

【?】日時不明
フランス?
カーマン(結果不明)リック・ルーファス

【?】日時不明
フランス?
カーマン(結果不明)ジャスティン・ワード

【1992年】

【56】1月25日
東京ベイNKホール(リングス)エア・バウト
リングス特別ルール
(1‐3Rまで素手のリングスルール、4‐5Rはグローブ着用)
○カーマン(3R2:03KO勝ち)角田信朗●
*グランド状態の角田の顔面に膝を落とす。
当日のパンフレットによるとこの日までの戦績は
55戦47勝(42KO)8敗、この日で56戦48勝(43KO)8敗となる。
敗北の数はあっている(試合数合わず)。

【?】4月9日
パリ
カーマン(結果不明)マーク・ラッセル

【?】6月20日
場所不明
○カーマン(TKO勝ち)ジャン・アイヴィス・セリアー●
*ISKAフルコンタクト世界王座獲得。

【?】8月21日
横浜アリーナ (リングス)
3分5R
△カーマン(引き分け)佐竹雅昭△

【?】12月11日
東京体育館(正道会館)
○カーマン(2RKO勝ち)アダム・ワット●

【1993年】

【?】11月26日
場所不明
○カーマン(2RKO勝ち)リック・ヴァン・ダム(オランダ王者)●

【?】12月19日
両国国技館(正道会館)
「K‐2GP’93」
トーナメント1回戦3分3R
●カーマン(判定負け)チャンプア・ゲッソンリット○
*カーマンは2Rに左ストレートでダウン。

【1994年】

【?】10月12日
フランス・マルセイユ
○カーマン(KO勝ち)ブラインベルフ●

【1996年】

【?】12月8日
名古屋レインボーホール(正道会館)
「K‐1ヘラクレス’96」
3分5R
●カーマン(5R0:34KO負け)ジャン・クロード・リビエール○
*戦意喪失。

【1999年】

【?】11月24日
オランダ
○カーマン(判定勝ち)アレクセイ・イグナショフ●
*引退試合。試合後真の勝者はイグナショフだと語り、
受け取ったトロフィーをイグナショフに渡した。

ロブ・カーマンの戦績より
今回、第一次調査としてまとめたロブ・カーマン関連戦績では様々なことがわかってきた。
まずはその活動範囲の広さである。
日本・オランダ・フランス・スイス・香港そしてタイ。
アメリカでも試合をしたらしいの で、都合7カ国でほぼ毎年試合をこなしていたことになる。
しかも1ヶ月から2ヶ月くら いの試合間隔である。
全盛期のモハメッド・アリが月一ペースで防衛戦を行っていたが、 それが続いたのはせいぜい1年でしかない。
それに加えて国によって試合ルールが微妙に違うということも上げられる。
同じヨーロッ パでもWKAルール(ローキック禁止)の場合もありキックルール(ローOK)の場合も ある。
タイでの試合なら当然ムエタイ・ルールのはずである。
ラウンド制についても10 ラウンド制と5ラウンド制がごちゃまぜである。
晩年ではリングス・ルールやK−1ルー ルでも試合をしている。
ルールを熟知しているということだろうか。相当に頭のいいひと なんだろう。
ある程度は語学にも堪能なのではないか。
各試合地でレフリーのいうことが 理解できなければならないわけだから。
おもしろいのは年末の試合が目立つこと。
84年12月28日(香港)や89年12月 31日(パリ)がある。調べればもっとあるのではないか。
まるで“カーマンボンバイエ” である。
81年から86年のまだ来日前で日本では存在があまり知られていなかった時代の記録や
90年代の記録が不足しており まだまだ研究の余地はあるのだが、
日本での試合について は全てカバーできた。今後は追加調査のうえ完全なものに仕上げたい。

参考資料:「マーシャルアーツ」「ゴング格闘技」「フルコンタクト・カラテ」「格闘技通信」