No.272
千里眼作:「姿三四郎対スパァラは『猪木・アリ戦』の原型か」
(アントニオ猪木対モハメッド・アリ戦開催30周年記念)
本年(2006年)は格闘技世界一決定戦「アントニオ猪木対モハメッド・アリ」が昭和51年6月26日、
東京・日本武道館で開催されてから30周年の節目の年にあたるそうである。それを記念して・・・
過日、黒澤明監督の東宝映画「続・姿三四郎」のDVDを観た。
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「正編『姿三四郎』のラストで旅に出た柔道の猛者・姿三四郎が無事に帰還し、
今度は空手使いやボクサーとの闘いを繰り広げる」というのが大まかなストーリー。
この映画のハイライトシーンのひとつが姿三四郎対スパァラの選手・リスターの異種格闘技戦(しかも賞金マッチ!)なのである。
劇中で三四郎役を演じるのは後に田崎潤と並び日本を代表する軍人俳優と言われた藤田進。
劇中とはいえ、戦国の合戦から太平洋戦争、そして対怪獣作戦まであらゆる戦闘を指揮した昭和の軍神。
対するリスター役の外人は正体不明。クレジットにも名前は出ない。そもそも戦時中の映画になんで白人が出演できたのか、は謎である。
劇中スパァラというのはボクシングのことなのだとの説明があるが、
「ボクシング」と「スパァラ」では音が全くちがい過ぎることの理由はこれまた不明。
試合場面ではリスターと相対した三四郎が必殺「山嵐」で一瞬に投げ飛ばしKO勝ちするのだが、
千里眼はこれを見て「あれぇ、記憶と違うなぁ」と思ってしまった。
千里眼の記憶では、山嵐が炸裂する前に実はあまりにも有名な格闘技戦のシーンと同じ状態になるはずだったのだが、
それが今から30年前の「猪木・アリ戦」で猪木が見せた仰向けで相手に足を向ける、あの状態なのである。
ここでタイムマシンは30年前に溯る。
千里眼は子供の頃にリアルタイムで猪木・アリ戦をテレビ観戦した。
中学生であった千里眼はちょうど土曜の清掃当番であったが
テレビ見たさに大胆にも教師がいない隙に掃除当番を放棄して帰宅。
ところがテレビの前には会社に行っているはず(30年前は土曜は平日扱いなのだ)のおやじが座っていたので、
ふたりは顔を合せてやや気まずい雰囲気。
しかし放送開始になるとそんな雰囲気も消し飛び、
そして長いセレモニーの後に遂にゴングが鳴ったその瞬間
「スライディングしましたアントニオ猪木!」と実況担当の舟橋アナウンサーの絶叫。
そう、猪木はアリの足めがけて鋭いスライディングキック、そして「こいこい!」と仰向けになりながらアリを盛んに挑発。
これを見た千里眼少年は「この体勢は姿三四郎じゃないか」、
そして「もしかして猪木はこの秘策で勝てるんじゃないだろうか」と思い、以後画面を凝視し続けた。
しかしご存知のとおり現実の試合は小説のようには行かなかった。
だがあの仰向けの猪木のポーズは不滅の名シーンとして歴史に残った。
試合翌日は一般誌までも仰向けの状態の猪木とそのまわりで吠えるアリの姿が紙面を飾った。
最初に書いたように黒澤版「姿三四郎」には猪木・アリ戦のような状態のシーンは無い。
ところがタイトルは同じ「姿三四郎」でも1979年に放送された
日本テレビ制作の勝野洋主演ドラマ「姿三四郎」には三四郎がリスターの前で仰向けになって足を攻撃するシーンがあるようだ。
千里眼は実は長いことこの勝野版「姿三四郎」が猪木・アリ戦より先に放送された、と思い込んでいたが、
今回改めて調べてみて現実には1976年開催の猪木・アリ戦のほうが先であったことが判明した。
今にして思えば番組は原作に忠実だった、
というよりは一般受けするように格闘シーンで猪木・アリ戦を真似たと言ったほうが適切なのかもしれない。
では、ここで原作では柔道対ボクシングの異種格闘技戦をどう描いていたのか、紹介しておこう。
今回引用するのは、新潮文庫版ではなく、昭和25年に講談社から「長編小説名作全集」の15巻として発売された「姿三四郎・決定版」からである。
まず試合会場であるが、427ページによれば新富町の新富座、とある。演劇場が試合場に設定されたらしい。
そして試合ルールであるが、429ページに
「
えー、拳闘は互ひに腰から上の撲り合ひ、倒れて起きられぬ方の負けでありますが、
本日特に柔道との一戦、お互ひに死力を尽くして戦つて、最後に参つた方の負けといたします。
気絶か、悶絶かが勝負の岐路、時間に制限なしの勝負といふ、正に肌に粟を生ずる一戦ではありますが、
柔道は投げの一手、決して逆手、絞手を用ひず、拳闘は腰から上への打撃のみを守る紳士的な試合であります。
」とある。
そう、関節技や締め技が禁じ手という柔道不利なルールなのである。何か猪木・アリ戦との不思議な因縁を感じるではないか。
そして430ページに問題のシーンが出てくる。
「
その一瞬に、三四郎は競技場の上に腰を落としたが、
足をリスターに向けて仰向けに倒れた。起きては防御の手段がなかつた。
」とあり、
更に「
だが、三四郎の足は常に彼の目の前にあつた。如何に速力を早め、
どんなに隙を見て胸元へ飛び込まうと廻つても、三四郎の足は彼の目の前にあつた。
」と出ている。
試合はその後、焦れたリスターが飛び込みながらパンチを入れようと(まるでプライドだ)出たところを巴投げで投げられ、
とどめに必殺に山嵐が炸裂して三四郎のKO勝ちになる。
話を整理して成立した順番を言うと、当然ながら最初に「富田常雄の原作」があり、
その後に「黒澤明監督の東宝映画」が創られ、そして「猪木対アリ」が開催され、
時系列としてはその後に日テレで「勝野洋版姿三四郎」が放送された。こういう順になる。
こうなるとリアリズム重視が特長の黒澤映画が唯一格闘シーンで猪木・アリ状態を取り入れていないのはなぜか、という疑問が出てくる。
娯楽重視な勝野洋版ですらあったシーンをどうして黒澤はやらなかったのであろうか。
黒澤明だって原作ぐらい読んだであろう。それに基づいて膨大な絵コンテも描いたであろう。
ではなぜそのとおりに撮影しなかったのか。それは「戦時中」という特殊事情が絡んでくるから、ではないだろうか。
仮説はこうだ。
もしかして格闘技戦のシーンは当初、原作どおりに作られたのではないか。
しかし時局柄、撮りあがった作品は軍部の検閲を受けたはず。その時にこんな教育的指導があったのではないだろうか。
「主人公が白人との真剣勝負の場で寝そべるとは何事か。日本男児なら正々堂々と立って勝負するはずじゃないか。」と。
そして検閲官はこうも言ったのではないか。「すぐに撮り直すんだ。そうしないと東宝は解散だぁ!」
まぁ、これは千里眼の妄想の域を出ない。
しかし理由は不明だが原作と基本設定が変更されていることに例えばリスターの国籍がある。
原作ではドイツの選手ということになっているが、映画ではアメリカに変更されている。
もちろん当時の同盟国のドイツ人を敵として描く事が不適切とされ、現実の敵国アメリカに変更されたのではないか、と推測される。
検閲が影響した修正・変更は当然ほかにもあって当然だろう。
ところでアントニオ猪木は「姿三四郎」の戦法をどうやって知ったのであろうか。
原作者・富田常雄は昭和42年まで存命であったというが、どこかで猪木と接点があったのであろうか。不明である。
対戦実現30周年の今年、猪木本人の口から語ってくれないものであろうか。
順当なら誰かが卍固め以上に強烈な「禁じ手だらけのルール固め」に悩む猪木に秘策としてあの戦法を授けたというところだろうが、
まぁ、それが猪木サイドのセコンドにいた「プロレスの神様」カール・ゴッチからの指示ということはないだろう。
話として面白いのは、例えば猪木の永遠の宿敵―実は意外な読書家として知られた―
あのジャイアント馬場が「お前が負けたほうが俺にとっては都合がいいんだが、それじゃプロレスがボクシングに負けたと言われて迷惑だ」
とかなんとか言い訳しながら極秘に人を介して猪木に本を届けた、という妄想だろうか。
そう言えばたしか馬場が出演していた文庫本のCMは新潮文庫(原作「姿三四郎」3部作が新潮文庫化されている)ではなかっただろうか。
さて、想像ばかりの文章になってしまったが、
最後に、そもそも「姿三四郎」の原作者・富田常雄はどうやってあの戦法を思い付いて小説化したのだろう。
手本となるような組み手を講道館で目撃したのだろうか。
独力で打撃対組み技をシュミレーションしてあれを発想したのなら桁外れにすごい創造力だ。
富田常雄にこそリアル千里眼の称号を勝手に贈りたい。
参考資料
講談社 長編小説名作全集第15巻「姿三四郎・決定版」 富田常雄著
東宝映画「続・姿三四郎」黒澤明監督版
(2006.0522 千里眼の文章を切鮫が編集)
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