No.5
猪木対マサ斎藤手錠マッチ

1987年はマサ斉藤の当たり年だった。
いや正確に言うと猪木対マサ斉藤というべきかも知れない。
3月27日の「INOKI闘魂LIVE Part2」大阪城ホール大会。
その再戦の4月27日両国国技館大会。
IWGP王座決定戦。
そして秋の巌流島決戦。
同一シングルのカードで1年に4回、それも様々なバリエーションを展開してのもの だ。

大阪城ホール大会は海賊男の乱入で暴動になった。
再戦の両国は試合途中からノーロープ手錠マッチへと変容した。
大阪城大会はなぜ、暴動になったのか。
そして両国大会の謎の展開。
今回はそれらを推理していきたいと思う。

大阪城大会と両国大会の2つの「猪木対マサ斉藤」。
この試合は長州力率いるジャパン・プロレスの残党たちを抜きには語れない。
当時、ジャパンプロに所属、全日本を主戦場にしていた長州。
それが前年から「藤波と戦いたい」旨の発言を始めた。
藤波と戦うすなわち新日本への復帰である。
しかし日本テレビならびにジャイアント馬場との契約書は間違いなく存在していたようで
新日本への復帰はそう簡単には行かなかったようだ。

「INOKI闘魂LIVE Part2」調印式にはマサ斉藤の代理としてルイ・ヴィトンのバッグを持った長州力が現れた。
近ぢか新日本のマットに復帰することを示唆するような行動だった。
前後して新日本の3月20日、後楽園ホール大会は実際に生で観戦したが
アントニオ猪木がケンドー・ナガサキ相手にシングルマッチを行い
筆者が見たこともないような両腕を決める羽根折り固めで勝利し、
まだ見ぬ斉藤の「監獄固め」との関節技合戦に期待が膨らんだ。

大阪城大会は前半は静かな展開だった。
ふと、斉藤のロープを使っての急所攻撃が始まった。
猪木を担ぎ上げて、股間をロープに叩きつける。
しばらくするとリングに第三者が上がった。
ホッケーマスクに白い服。
海賊男・・・。
当時そう称されていた謎の輩。
海賊男はどこからか手錠を持ち出すと自分と斉藤の手首を手錠で固定してしまった。
きょとんとする斉藤。
当然手錠は外れない。
海賊男は斉藤を花道へ引っ張っていくと、そのまま控え室へ消えてしまった。
何がなんだかわからない観客。
リング上で呆けたような表情の猪木。

マサ斉藤が控え室から猛烈な勢いで走ってきた。
手錠をはずしたようだ。
海賊男の姿はない。
リングに上がって猪木と殴りあう。
試合はいつの間にか斉藤の反則負けになっている。
猪木がロープをはずす。
コーナーに止める部分で斉藤を殴る。
すでに両者とも流血している。
セコンドが両者を止めに入る。
ぶらんぶらんのロープの中のリングは無法地帯だ。
斉藤が猪木をテイクダウンさせると横から足を入れて上体を立ちあげる。
これが監獄固めか!?
騒然とした中、両者は分けられて退場していく。
納得の行かない客が騒ぎ始める。

ここまでがおおよその大阪城大会の試合の流れ。
疑問点は
1・なぜ海賊男は自分と斉藤を手錠でつないだのか。
2・なぜ猪木と斉藤は試合の裁定がつけられてもロープはずしや監獄固めに固執したのか。
この二つである。

1はアングルだとしたらまったく意味のない行動である。
ではなぜそうなったのか。
手錠でつながれるのが誰と誰ならいいのか、ということを考えれば正解にたどり着けるだろう。
そう、手錠でつながれなければならないのは猪木と斉藤である。
もっと突き詰めて言えば斉藤の手首に手錠をつければ、空いた手錠のもうひとつの輪は斉藤自身が猪木の手首ににつなげる。
そうすれば手錠マッチの完成である。
海賊男は一発二発猪木なり斉藤に殴られて退場すればよい。
おそらく指示ミスか、海賊男役の単純ミスであろう。

2についてだが、海賊男の登場は予定より早かったのではないか?
猪木斉藤両者が手錠でつながれてからロープをはずすのは身体の自由を制限された二人ではかなり困難。
斉藤のロープを使用しての股間やのどの攻撃がピークに達したところで、猪木が斉藤にそういう攻撃をさせないために
ロープをはずす行動を起こさないと説得力に欠ける。
そういう、熟してない時に早々と登場してしまった海賊男。
日本初登場?(中身が)、大会場でのパフォーマンスに少々あがってしまい、我を忘れたか。
海賊男の失敗により試合をぶち壊された猪木と斉藤。
しかしとりあえず試合を成立させないとというあせった気持ちの中で
お互い持ってきたプランを見せなければという意識が自然に体を動かしたのだろう、
猪木はロープをはずして凶器攻撃、斉藤は監獄固めを出すという動作となった。
そのように考える。

3月27日の「INOKI闘魂LIVE Part2」は単発興行だったが次のシリーズ
「ブレージング・チェリーブロッサム・ビガロ‘87」の最終戦両国国技館大会のメインで
猪木対マサ斉藤の決着戦が行われた。
このシリーズ、初の「レスラーのリングネームがそのままつけられたシリーズ」だったのだが残念ながらそのレスラー、
C.B.ビガロは猪木対斉藤の決着戦のためにセミファイナルに追いやられしかも藤波にリングアウト負けを喫した。
それはともかく、「パワーホール」で入場したマサ斉藤の後ろには長州力以下ジャパンプロを離脱した連中が続々登場。
しかし事前の取り決めでセコンドは両陣営各1名のみとなっていた。
猪木側は藤波。斉藤側はまだ日本デビュー戦をおこなっていなかった馳浩だった。
試合は中盤斉藤が猪木を担ぎ上げてロープに股間をたたきつける攻撃を開始。
それを浴びせ蹴りで阻止した猪木がコーナーのロープをぐるぐるとはずし始める。
この行為をなんとレフェリーが認めた。
「マサ斉藤選手のロープを使っての攻撃に対して猪木選手から
ロープをはずすよう申し入れがあったのでロープをはずします」
こんな風な説明がミスター高橋からあったように記憶している。その後セコンドも手伝っての作業がおこなわれた。

事の是非をここで論議するつもりはない。やけに広々とした、見慣れないノーロープのリングが国技館に現出した!
そして試合再開後程なく馳が手錠を投げ入れる。受け取った斉藤は猪木と自分の左手首をつなぐ。
立ち上がった両者がリング中央で向き合う。
新鮮で、あまりにも衝撃的な光景だった。
お互い右手1本で殴り合いを始める猪木と斉藤、程なく流血。
あまりの迫力に圧倒される観客。
筆者は思った。
「そうか、これがやりたかったのか・・・」
試合はスタンドでの殴り合いに勝った猪木がダウンした斉藤になお狂気の表情でパンチを連打、
セコンドの馳がタオル代わりに自分の着ていたTシャツを投げ込み、猪木のTKO勝ちとなった。
以上の推理からして、両国での再戦は大阪城大会で失敗したアングルをそのままやり直したと考える。
しかしこの日の猪木のテンションの高さは何だったのだろう。
倒れた斉藤をまだ殴り続ける狂気。
止めに入ったセコンドの馳まで殴る。
藤波が猪木の顔を張る。
崩れ落ちてようやく静かになる猪木。
あまりの迫力に言葉が出ない・・・。
いや逆に、言葉による装飾すら否定するこの夜のリング。
「凄いものを見た」この日のいつわざる感想である。

「何でマサ斉藤は手錠受け取った時に猪木の両手につけなかったの?そうすりゃ勝てるじゃん」
なんて突っ込みを考えた人!
それじゃプロレス的には面白くないでしょん。

(2003・0608)

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