No.22
レスラーの鬼門1・アントニオ猪木と広島県立体育館

以前から特定のレスラーが特定の地域、場所において極端に悪い成績を残していることには気がついていた。それがアングルなのかどうかはわからない。
小生方位学あるいは風水などはまだまだ勉強不足なので今回はそういったアプローチはせず、あくまで「こういう事実があるということ」を語るのみにしたい。
まずは「燃える闘魂」アントニオ猪木。
猪木は広島県立体育館が鬼門。

猪木が日本プロレス時代、広島県立体育館で行われたタッグタイトルマッチの成績は以下のとおり
(すべて60分3本勝負、東京プロレス、新日本プロレスでは広島県立体育館でのタッグのタイトルマッチの試合なし)。

「インターナショナル・タッグ選手権」

★昭和43年1月8日  馬場、猪木(試合中止)C・リソワスキー、B・ミラー
*猪木が雪害のため試合場に到着できず、王者チーム馬場、猪木組が王座返上。

★昭和43年10月24日○馬場、猪木(2−1)M・バション、K・K・コックス●
*馬場、猪木組が7度目の防衛。

★昭和44年1月8日 ●馬場、猪木(1−2)D・ホッジ、W・スナイダー○
*馬場、猪木組が王座陥落。
ホッジ、スナイダー組がタイトル獲得、11代王者。



「アジアタッグ選手権」

★昭和44年8月14日 ○吉村、猪木(2−0)M・ミラノ、D・T・ブルーザー●
*吉村、猪木組が初防衛。

★昭和44年12月1日 ○吉村、猪木(2−1)H・レイス、D・F・ジュニア●
*吉村、猪木組が初防衛(註1)。

★昭和45年3月2日 ○吉村、猪木(2−0)J・オズボーン、F・V・エリック●
*吉村、猪木組が5度目の防衛。

アジアタッグは3戦3防衛だがインタータッグは1勝1敗1試合中止。
43年1月8日の雪害による欠場、王座返上を入れればこの地で2度王座を手放したことになる。

続いてシングル全戦より。

◎日本プロレス

★昭和37年6月18日▽20分1本勝負  ○猪木(体固め、9:16)ユセフ・トルコ●

★昭和38年4月21日▽45分3本勝負   ●猪木(0−2)P・オコーナー○       
1・オコーナー(片足固め、12:23) 
2・オコーナー(エビ固め、5:54)

★昭和38年11月4日▽20分1本勝負  ●猪木(逆片エビ固め、15:46)吉村道明○


◎東京プロレス

★昭和41年12月15日(註2)
▽USヘビー級選手権60分3本勝負    ○猪木(2−0)スティーブ・スタンレー● 
1・猪木(体固め、14:30)
2・猪木(アバラ折り、1:55)
*猪木が3度目の王座防衛。

★昭和42年1月12日▽60分3本勝負  ○猪木(2-1)J・バレンタイン●
1・バレンタイン(体固め、19:51)
2・猪木(アバラ折り、4:04)
3・猪木(反則、3:48)


◎日本プロレス(復帰後)

★昭和43年5月13日▽20分1本勝負   ○猪木(体固め、10:23)ジェス・オルテガ●

★昭和45年5月12日▽20分1本勝負  ○猪木(アバラ折り、14:53)ターザン・タイラー●


◎新日本プロレス

★昭和47年10月9日
▽世界ヘビー級選手権60分1本勝負    ○猪木(卍固め、27:43)レッド・ピンパネール●
*猪木が初防衛。

★昭和48年9月28日▽30分1本勝負  ○猪木(アバラ折り、4:28)エル・サント●

★昭和49年4月26日(註3)
▽第1回Wリーグ戦30分1本勝負      △猪木(時間切れ引き分け)坂口征二△

★昭和50年3月13日
▽NWF世界ヘビー級選手権王座決定戦60分1本勝負    
                         ●猪木(体固め、19:24)T・J・シン○
*シンが第15代王者。

★昭和50年5月6日
▽第2回Wリーグ戦30分1本勝負      △猪木(時間切れ引き分け)S・小林△


↑ゴング別冊51年4月号より

★昭和51年3月4日▽45分1本勝負   ○猪木(弓矢固め、5:20)ロン・スター●

★昭和52年11月29日▽60分1本勝負  ●猪木(反則、6:15)G・アントニオ○

★昭和53年7月24日
▽NWFヘビー級選手権61分1本勝負     ○猪木(逆さ押さえ込み、22:34)P・モラレス●
*猪木が15回目の防衛。

★昭和55年9月25日
▽NWFヘビー級選手権61分1本勝負     ○猪木(逆さ押さえ込み、10:49)S・ハンセン●
*猪木が4回目の防衛。

★昭和56年9月18日▽60分1本勝負  △猪木(両者リングアウト、12:46) S・ハンセン△

★昭和57年3月26日
▽第5回MSGシリーズ公式戦30分1本勝負
                          ●猪木(リングアウト、1:41)A・T・ジャイアント○

★昭和58年5月28日
▽IWGP決勝リーグ戦60分1本勝負      ○猪木(卍固め、16:21)K・カーン●

★昭和59年5月18日
▽第2回IWGP決勝リーグ戦60分1本勝負 ○猪木(逆さ押さえ込み、16:48)長州力●

★昭和60年5月20日▽60分1本勝負   ○猪木(前方回転エビ固め、9:16)K・バンディ●

★昭和61年5月30日
▽’86IWGP・Aリーグ公式戦30分1本勝負  ●猪木(リングアウト、13:29)坂口征二○


日本プロレス、東京プロレスでの成績は特筆すべきことはないので新日本旗揚げ後の試合について解説してみよう。

47年10月のピンパネール戦は同年10月4日、
蔵前でK・ゴッチにリングアウト勝ちして奪取したいわゆる「実力世界一」ベルトの防衛戦。
このピンパネールとの初防衛後の10日、大阪でゴッチに奪回される。

48年9月のエル・サントは高名なメキシコの英雄ではなくてその偽者。ハン・リー説が有力。

49年4月の坂口との初対決は終盤4の字固めを決めるも粘られ時間切れ、
日プロ時代に宣言した「片手で3分(で勝つ)」は守れず。

50年3月のシンとのNWF王座決定戦のいきさつは以下のように伝えられている。
NWF本部が次期挑戦者をシンに決定、猪木にシンの挑戦を受けるよう再三通告。
猪木はシンの反則の多いファイトに挑戦者の資格を認めずこれを拒否、とうとう王座を返上。
NWF本部は騒動の責任を取ってデビット・ヘルマン会長が辞任。
特使を依頼されたK・ゴッチが猪木を説得。
空位の王座を改めて猪木とシンで争奪戦を行うことが決定される。
そして「広島」で決定戦が行われたわけだが
試合はシンがロープ越しのブレンバスターからナックルパンチで猪木にフォール勝ち! 新王者となる。
3月20日蔵前、5月19日モントリオールの奪回戦はシンが王座防衛に成功し
猪木がようやくタイトルを奪回するのはこの年の6月26日蔵前となる。

50年は猪木の広島体育館の試合はもう1試合。
第2回ワールドリーグ戦の公式戦で、猪木はストロング小林に粘られ小林との対戦成績中唯一の引き分けを記録している。

52年の復活した密林王、グレート・アントニオ戦は
日本のトップ選手の中では比較的反則負けの多い猪木としては何の変哲もないスコアに見られがちだが、
実はこのアントニオ戦での反則負けで「国内シングル100連勝」の記録がストップしている。

53年のモラレスとのNWF戦は「テレビ放送されなかった唯一の猪木のNWF防衛戦」として有名な試合で、
モラレスのバックブリーカーによる背骨攻撃で猪木は大ダメージ。辛くも逆さ押さえ込みで防衛した一戦。
内容的に惨敗だったように思えてならない。

55,56年は当時上り調子の「不沈艦」スタン・ハンセンと対戦。
55年はNWF戦2連戦の2戦目。
9月11日大阪を命からがらのリングアウト勝ちで防衛した猪木は
この広島の再戦でハンセンのウエスタン・ラリアートに対して逆ラリアートの相打ちで対抗。
自分の得意技を返されて混乱したハンセンを逆さ押さえ込みに切ってとる。
56年の試合はハンセンとの最後のシングルマッチとなった、 ハンセンはこの年の12月全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」の決勝大会に乱入、
以後全日本のマットを主戦場とすることとなる。

57年のアンドレとのリーグ戦公式戦は複雑だ。
試合開始のゴングが鳴る前に、ガウンを脱いでもいない猪木をアンドレが奇襲。
ハイアングル・ヘッドバットなどで圧倒。場外にふっ飛ばしてフェンスに猪木の足を絡ませての秒殺リングアウト勝ち。
猪木はこの試合で足を負傷して蔵前でのMSGシリーズ決勝戦を欠場。
決勝でK・カーンを破ったアンドレが初優勝する(決勝の蔵前大会は生観戦した)。
猪木との試合結果は互角ながらも毎回その巨体で圧倒するアンドレが
なぜこの試合ではゴング前の奇襲までして勝ちに固執したのか。
猪木自らが負傷による休養を選択したという説も否定できない。

59年5月の長州力との一騎打ちは長州のロープ越しのブレンバスターを猪木切り返しての逆さ押さえ込みという流れが失敗、
直後に同じムーブで猪木フォール勝ち。
試合内容はよかったが同じ動きのやり直しという感じが見え見えでややしらけた。
それにしてもこの試合を含めて53年のモラレス戦、56年のハンセン戦と逆さ押さえ込みでの決着は3試合。

61年5月の試合はこのシリーズ写真週刊誌問題のみそぎからか坊主頭で登場の猪木から坂口がシングル初勝利!
といっても坂口の勝ち方はアトミック・ドロップの体勢で猪木を持ち上げてからロープに股間から落とすといった
反則すれすれの攻撃でのリングアウト勝ち。
この攻撃を反則に取られなかったのも猪木の地の運のなさか。広島県体での対坂口戦は1敗1分け!

新日本でのシングル通算、15試合8勝4敗3分け、勝率.666。
8勝のうちわけ、逆さ押さえ込み3、卍固め2、その他のギブアップ技2、エビ固め1。
タイトル防衛3、リーグ公式戦2勝。
4敗のうちわけ、リングアウト負け2、フォール負け1、反則負け1。
王座決定戦敗退1、リーグ公式戦2敗。

タイトル戦3勝1敗。
リーグ公式戦2勝2敗2分け。
対日本人戦2勝1敗2分け。
対スタン・ハンセン戦1勝1分け。
対坂口征二戦1敗1分け。

スタン・ハンセン戦を例外とすれば(ハンセンも広島に弱いのかもしれない、機会があったら調べます)猪木の広島との相性の悪さは明白だ。

(2004.0101)
参考:アントニオ猪木名勝負38年史 闘魂大全集 1998年日本スポーツ出版社




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