↑ブラック・ロッキード(別冊ゴング昭和51年8月号より)

No.301
東スポ対国際・因縁の仇花
覆面レスラー ブラック・ロッキード全成績


07年3月、「EX大衆4月号」という雑誌に国際プロレスのDVD紹介の記事が掲載されていて
コンビニで何気なく手にとって立ち読みしていたら元東京スポーツのプロレス担当記者の門馬忠雄氏の文章が。
そこには「ストロング小林離脱とロッキード事件の関連」というタイトル。
読めばまず昭和49年のA猪木対S小林の大物日本人対決実現の過程が(以下一部切鮫が補足)。
昭和49年、当時国際のエースだったストロング小林が団体を離脱。
日本人大物対決として新日本はA猪木との世紀の対戦を発表。
国際側の吉原社長は文書での契約書を出して契約違反、試合の中止を訴えた。
しかし試合を主催する東京スポーツはこの試合を実現させることで
日本プロレスの崩壊から続くプロレス人気の低迷からの脱却を考えたか
国際に一千万円の移籍金を支払って小林を「東京スポーツ所属」のプロレスラーとし、
猪木‐小林戦は3月19日、東京・蔵前国技館において「NWF世界ヘビー級選手権」として行なわれた。
試合は史上に残る熱戦で猪木が勝利し、翌日のスポーツ新聞の1面の多くがこの試合の報道だった。
試合の大成功とは裏腹に、エース選手を引き抜かれた格好となった吉原社長が面白いはずもなく
2年後の51年、日本でロッキード事件が明るみになると国際プロレスのビッグ・サマー・シリーズに
「ブラック・ロッキード」なる覆面レスラーの参加を発表。
東京スポーツのオーナーだった児玉誉士夫氏も事件に関与していたための強烈な皮肉。
当時の筆者は東スポと児玉氏の関係を知らなかったために
単なる流行・社会ニュースネタをプロレスに持ち込んだだけだと思っていたが
その背景には小林移籍をめぐる東スポ‐国際の因縁があったということをこの文章で初めて知った。
そして「東スポの誌面からはブラック・ロッキードは抹殺された」そう(前出EX大衆4月号より、註1)。
ではB.ロッキードなるインスタント覆面レスラーはどのような成績を残したのだろうか、調べてみた。
正体は素顔での来日経験もあるレン・シェリー。多分2流レスラー。

試合はすべて1976(昭和51)年国際プロレス、ビッグ・サマー・シリーズ。

【1】7月4日
東京・後楽園ホール
▽30分1本勝負
●B.ロッキード(体固め、11:52)T杉山○
*開幕戦でいきなりシングルフォール負け!

【2】7月6日
茨城県・笠間市体育館
▽30分1本勝負
○B.ロッキード、ザ・UFO(体固め、4:37)稲妻二郎、寺西勇●

【3】7月7日
大阪府立体育会館
▽45分1本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード(逆エビ固め、8:54)R.木村○

【4】7月8日
高岡市体育館
▽45分3本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、ザ・UFO(1−2)G草津、寺西勇○
1.○ロッキード(体固め、12:29)寺西●
2.○草津(回転エビ固め、4:56)UFO●
3.○寺西(体固め、2:01)ロッキード●
*最終戦でタッグ王座に挑戦するチームが早くも2フォール負け!

【5】7月9日
新潟県五泉市民会館
▽45分3本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、S.アサシン(1−2)R木村、鶴見五郎○
1.○アサシン(首固め、8:45)鶴見●
2.○鶴見(反則、5:55)ロッキード●
3.○木村(体固め、3:45)ロッキード●

【6】7月10日
宮城県若柳パチンコメトロ駐車場特設リング
▽30分1本勝負
●B.ロッキード(アバラ折り、12:41)G草津○

【7】7月11日
山形県村山市新庁舎前広場
▽60分3本勝負(メインエベント)
●B.ロッキード、ザ・UFO(0−2)R木村、G草津○
1.○日本組(反則、14:30)外人組●
2.○草津(体固め、3:36)ロッキード●

【8】7月13日
秋田市体育館
▽45分3本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、S.アサシン(1−2)R木村、剛竜馬○
1.○アサシン(体固め、9:17)剛●
2.○日本組(反則、4:10)外人組●
3.○木村(逆エビ固め、1:30)ロッキード●

【9】7月14日
弘前市体育館
▽45分1本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、ザ・UFO(逆さ押さえ込み、15:59)R木村、G草津○

【10】7月16日
北海道遠別市元遠別ボウル
▽60分3本勝負(メインエベント)
●B.ロッキード、S.ウィリアムス(1‐2)R木村、M井上○
1.○日本組(反則、11:49)外人組●
2.○外人組(反則、1:32)日本組●
3.○木村(逆エビ固め、3:28)ロッキード●

【11】7月17日
小樽市体育館
▽45分1本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード(逆エビ固め、11:20)上田馬之助○

【12】7月18日
稚内市体育館
▽30分1本勝負
●B.ロッキード(アバラ折り、12:03)G草津○

【13】7月20日
紋別スポーツセンター
▽30分1本勝負
○B.ロッキード(体固め、13:04)田中忠治●

【14】7月21日
札幌中島スポーツセンター
▽45分3本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、上田馬之助(1−2)M井上、剛竜馬○
1.○剛(体固め、11:47)ロッキード●
2.○上田(逆エビ固め、6:29)剛●
3.○井上(体固め、3:49)ロッキード●

【15】7月23日
岩手県北上市体育館
▽30分1本勝負
○B.ロッキード(体固め、11:45)大位山勝三●

【16】7月24日
安代町芦屋小体育館
▽60分3本勝負(メインエベント)
○B.ロッキード、上田馬之助(2‐0)M井上、寺西勇●
1.○ロッキード(体固め、12:32)寺西●
2.○外人組(反則、4:10)日本組●

【17】7月25日
秋田県鹿角市大湯体育館
▽30分1本勝負
●B.ロッキード(体固め、12:53)M井上○

【18】7月26日
青森県営体育館
▽30分1本勝負
○B.ロッキード(体固め、12:56)寺西勇●

【19】7月27日
宮城県中新田町特設リング
▽60分3本勝負(メインエベント)
●B.ロッキード、S.アサシン(1‐2)R木村、剛竜馬○
1.○アサシン(体固め、17:05)剛●
2.○剛(逆エビ固め、7:06)ロッキード●
3.○木村(体固め、3:12)ロッキード●

*この日、前総理の田中角栄氏が受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕される。
B.ロッキードの2フォール負けはその件を反映してのものなのか。

【20】7月28日
銚子市民体育館
▽30分1本勝負
●B.ロッキード(逆さ押さえ込み、12:56)寺西勇○

【21】7月29日
群馬県藤岡市民体育館
▽時間無制限1本勝負
●B.ロッキード(片エビ固め、12:58)R.木村○

【22】7月30日
栃木県黒磯公会堂
▽60分3本勝負(メインエベント)
●B.ロッキード、S.ウィリアムス(1‐2)R木村、剛竜馬○
1.○剛(逆エビ固め、12:05)ウィリアムス●
2.○ウィリアムス(体固め、7:12)剛●
3.○木村(体固め、4:15)ウィリアムス●

【23】7月31日(ビッグ・サマー・シリーズ最終戦)
越谷市体育館
▽IWA世界タッグ選手権60分3本勝負(セミファイナル)
●B.ロッキード、ザ・UFO(0‐2)G草津、M井上○
1.○井上(反則、16:13)UFO●
2.○井上(体固め、6:13)ロッキード●
*草津、井上組が2度目の防衛。
メインはR木村対S.アサシンのIWA世界ヘビー級選手権王座決定戦(金網)。

全23戦、5勝18敗。
シングル11戦3勝8敗、タッグ2勝10敗。
シングルの勝利は田中、大位山、寺西。
シングルの敗北は杉山、木村(2回)、草津(2回)、上田、井上、寺西。
タッグマッチでフォールあるいはギブアップさせた数、3回。
タッグマッチでフォールあるいはギブアップした数、11回。
タッグマッチ3本勝負で2フォール取られた試合が2回。

・・・弱すぎ。
最終戦でIWA世界タッグ王座に挑戦しているがこのザ・UFOとのタッグチームは
初タッグでの【2】こそ勝ったが【4】で2フォール負け、このチームは選手権戦までに1勝4敗、最終的に1勝5敗。
とてもタイトル挑戦できる成績ではない。
あくまでも1シリーズのみの企画物だったことは否めない。
【13】ではロッキードと「田中」が対峙・・・ってやばいやばい。
しかしこの覆面、誰がデザインしたのか、


↑別冊ゴング昭和51年8月号より

側頭部にあるマークはまさしく飛行機!何だかユーモラスではある。

註1:東スポの誌面からは抹殺された、とあるが当時の東スポを調べると
記事は殆ど記載されていなかったが試合結果には普通に「B.ロッキード」と載っていた。
従ってEX大衆4月号の文章は正しくないことになる。
まあ話をそれらしく面白おかしくするためのものでしょう。

(2007.0321)

参考:EX大衆4月号(2007年)双葉社
ゴング昭和51年11、12月号
別冊ゴング昭和51年8月号 日本スポーツ出版社
ウィキペディア

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