No.294
大木金太郎(追悼)「インター選手権」試合記録
↑別冊ゴング昭和50年12月号より
去る10月26日、頭突き攻撃で有名だった大木金太郎がソウル市内の病院で死去した。77歳だった。
追悼の意味をこめて彼が師と仰いだ力道山ゆかりのタイトル「インターナショナル選手権」の試合記録を掲載する。
なお、韓国での防衛戦は不明点が多く、全ての試合を掲載することは出来なかった。
【1】昭和47年12月1日(日本プロレス)
横浜文化体育館
▽王座決定戦60分3本勝負
●大木金太郎(1−2)B.ブラジル○
1.大木(体固め、11:50)
2.ブラジル(体固め、1:11)
3.ブラジル(カウントアウト、0:26)
*ブラジルが第8代王者。
【2】昭和47年12月4日(日本プロレス)
広島県立体育館
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−1)B.ブラジル●
1.ブラジル(体固め、12:29)
2.大木(逆エビ固め、5:57)
3.大木(体固め、2:25)
*大木が第9代王者。
【3】昭和48年1月12日(日本プロレス)
北海道・滝川市青年体育センター
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−1)ビリー・レッド・ライオン●
1.大木(回転エビ固め、15:22)
2.ライオン(体固め、4:20)
3.大木(体固め、4:17)
*大木が初防衛。
【4】昭和48年4月13日(日本プロレス)
大阪府立体育会館
▽60分3本勝負
▲大木金太郎(1−1)F.V.エリック▲
1.大木(体固め、8:51)
2.エリック(体固め、7:04)
3.(両者リングアウト、5:25)
*大木が2度目の防衛。
【5】昭和50年3月27日
韓国ソウル・奨忠体育館
▽60分1本勝負
▲大木金太郎(両者リングアウト、13:18)アントニオ猪木▲
*大木が3度目の防衛。
【6】昭和50年5月23日
韓国ソウル・奨忠体育館
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−0)スーパー・デストロイヤー●
1.大木(体固め、7:00)
2.大木(体固め、6:00)
*大木が4度目の防衛。
【7】昭和50年10月18日
韓国ソウル・文化体育館
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−1)マリオ・ミラノ●
*試合内容不明、大木が5度目の防衛。
【8】昭和51年3月26日
韓国ソウル・文化体育館
▽60分3本勝負
▲大木金太郎(1−1)ザ・デストロイヤー▲
1.デスト(足4の字固め、タイム不明)
2.大木(回転エビ固め、タイム不明)
3.(両者リングアウト、タイム不明)
*大木が?度目の防衛。
【9】昭和51年5月18日
韓国ソウル・文化体育館
▽60分1本勝負
○大木金太郎(卍固め、タイム不明)ザ・バラクーダ●
*大木が?度目の防衛。
【10】昭和51年5月19日
韓国ソウル・文化体育館
▽60分1本勝負
○大木金太郎(体固め、タイム不明)S.クツワダ●
*大木が?度目の防衛。
【11】昭和51年6月20日
韓国・全州市体育館
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−1)T.マスク●
*試合内容不明、大木が?度目の防衛。
【12】昭和52年5月22日
韓国・仁川市体育館
▽60分3本勝負
○大木金太郎(2−1)高千穂明久●
1.大木(卍固め、タイム不明)
2.高千穂(足4の字固め、タイム不明)
3.大木(回転エビ固め、タイム不明)
*大木が?度目の防衛。
【13】昭和53年4月12日
韓国ソウル・文化体育館
▽60分1本勝負
○大木金太郎(1−0)D.L.ジョナサン●
*大木が?度目の防衛。
【14】昭和53年8月2日
韓国ソウル・文化体育館
▽時間無制限1本勝負
○大木金太郎(体固め、11:35)稲妻二郎●
*大木が?度目の防衛。
【15】昭和53年?月?日
韓国
▽?分3本勝負
○大木金太郎(2-0)キラー・トーア・カマタ●
*試合内容不明、大木が?度目の防衛。
【16】昭和54年12月17日
韓国
▽?
大木金太郎(?)フランク・ヒル
*試合内容・結果不明、大木が?度目の防衛。
【17】昭和55年5月15日(国際プロレス)
大宮スケートセンター
▽61分3本勝負
○大木金太郎(2−1)J.ルダック●
1.ルダック(体固め、11:07)
2.大木(体固め、5:39)
3.大木(X固め、2:23)
*大木が24度目の防衛。
【18】昭和55年5月?日
韓国
▽?
大木金太郎(?)J.ルダック
*試合内容・結果不明、大木が25度目の防衛。
【19】昭和55年7月1日(国際プロレス)
大阪府立体育会館
▽61分1本勝負
○大木金太郎(X固め、15:44)ジプシー・ジョー●
*大木が26度目の防衛。
【20】昭和55年9月20日(国際プロレス)
焼津スケートセンター
▽61分1本勝負
○大木金太郎(体固め、10:59)ビル・ドロモ●
*大木が27度目の防衛。
【21】昭和55年10月4日(国際プロレス)
近江八幡市立運動公園体育館
▽61分1本勝負
▲大木金太郎(両者リングアウト、11:40)上田馬之助▲
*大木が28度目の防衛。
【22】昭和56年3月4日
韓国ソウル・奨忠体育館
▽60分1本勝負
○大木金太郎(1-0)B.ブラウン●
*大木が29度目の防衛。
【1】〜【14】、【17】、【19】〜【22】はゴング昭和56年6月号増刊「不滅の栄光 甦るインター選手権」から引用。
【15】、【16】、【18】はネタ元調査中。
【1】は馬場が日プロ離脱に際しての王座返上を受けての決定戦。
1本目は大木のロープ越しのブレンバスター。
2本目はブラジルが大木の喉元へ凶器攻撃。
3本目は2本目のダメージが大きい大木が立ち上がれずにカウントアウト負け。ブラジルが2度目の王座に。
その後大木は広島でのリマッチ【2】で王座奪取。
【4】は日プロ最後のインター戦。
【5】はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」でもフィルム撮影ながら放送された、
実に猪木の最初で最後のインターナショナル選手権!
試合は大木を流血させた猪木がリング中央で足4の字固めを決めるが
そのまま両者場外に落ちてリングアウトの引き分けで大木が防衛に成功。
ある意味「インター史上最大最凶の挑戦者」を退けた。
しかしながら前回のエリックとの防衛戦との間隔が約2年ほどあり、
この時点で防衛戦の期限切れになっていたとクレームをつけられても仕方ない状況。
【6】の挑戦者の正体は新日本第2回W.リーグ戦帰りのネイル・グアイ。
【9】の正体はおそらくM.ミラノ。
【11】の正体はおそらくS.クツワダ。
【13】のジョナサンは3月の第6回C.カーニバルからの流れか。
【16】ネタ元不明だが時期的に世界最強タッグ決定リーグ戦からの流れ。
【17】約7年ぶりの日本でのインター戦。
【21】当初挑戦者はエドワード・カーペンティアが予定されていたが
来日が中止になり上田に変更。
途中から防衛回数が不明になるのだが、国際登場時のルダック戦が「24回目の防衛」とされている根拠は不明。
それが正しいとすれば【8】〜【16】の間に10回の不明な防衛戦があるはずだが。
日プロ崩壊後は猪木、デストロイヤー、ジョナサン以外は一流と呼ぶには?な挑戦者が多く、
やはり大木の戴冠時はインターの暗黒の歴史だったと言っても過言ではないだろう。
(2006.1105)
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