No.312
幻の対戦2.G.馬場vsK.ゴッチ/1966年7月‐8月
「王道プロレス」対「ストロングスタイルあるいはUの源流」
↑(左)ゴング昭和49年8月号、(右)同昭和57年1月号より。
昭和43年、ゴッチが日プロコーチ時代。
昭和41年7月の日本プロレスのシリーズに、
当時世界トップレベルの強豪と目されていたカール・ゴッチが来襲。
インターナショナル選手権者ジャイアント馬場は前年の昭和40年11月、
力道山ゆかりの同選手権の王座決定戦でD.ブルーザーに勝利して(註1)
王座についた直後、再戦でブルーザーを退けて初防衛。
続いて42年2月に鉄人・L.テーズに2フォール勝ちして2度目の防衛を成し遂げると
7月はK.K.コックスに勝利して3度目の防衛。
力道山時代の1961(昭和36)年第3回W.リーグ戦以来
6年ぶりに来日したゴッチとのシングルマッチが期待された。
当初はノンタイトルのシングルマッチの予定だったようだが、シリーズが進むに連れて
8月12日台東区体育館でのインターナショナル選手権を賭けての対戦の気運が高まった。
そして前哨戦のタッグマッチで馬場とゴッチは4回対戦した。
試合結果はすべて東京スポーツより。日本プロレス1966(昭和41)年(第1次)サマー・シリーズ。
【1】シリーズ第3戦・7月25日
新潟県村上市肴町広場特設リング
観衆4,200人
▽60分3本勝負
○K.ゴッチ、エル・モンゴル、J.ランザ(2−1)G.馬場、吉村道明、M.ヒライ●
1.○モンゴル(体固め、19:51)吉村●
2.○吉村(片エビ固め、6:50)モンゴル●
3.○ゴッチ(原爆固め、2:24)ヒライ●
【2】第4戦・7月27日
新潟県佐渡・佐和町町営グラウンド特設リング
観衆3,500人
▽60分3本勝負
○G.馬場、吉村道明(2−0)K.ゴッチ、J.ランザ●
1.○吉村(カウントアウト、16:20)ランザ●
2.○馬場(体固め、3:20)ランザ●
↑ゴング昭和49年8月号より、馬場を抑えているのはジャック・ランザ。
【3】第8戦・8月4日
愛知県半田市営球場特設リング
観衆3,000人
▽60分3本勝負
▲G.馬場、吉村道明、M.ヒライ(1−1)K.ゴッチ、エル・モンゴル、J.ランザ▲
1.○モンゴル(体固め、14:30)ヒライ●
2.○吉村(片エビ固め、4:40)ランザ●
3.▲日本組(両者カウントアウト、7:59)外人組▲
馬場とゴッチがチョップとエルボーによる激しい乱打戦を行なった、と東スポにはある。
【4】第9戦・8月5日
愛知県一宮市体育館
観衆3,500人
▽60分3本勝負
○K.ゴッチ、エル・モンゴル(2−1)G.馬場、吉村道明●
1.○ゴッチ(逆さ押さえ込み 回転エビ固め、24:50)馬場●
2.○吉村(反則、4:38)外人組●
3.○外人組(反則、タイムなし)日本組●
前哨戦のタッグマッチ4戦目で遂に直接決着。
1本目、馬場の肩車(ショルダー・スルー?)をゴッチが丸め込んでフォール。
試合結果の欄には「逆さ押さえ込み」とあるが記事、写真を見ると明らかにローリング・クラッチホールド。
2本目、モンゴルがボールペンのような凶器で吉村を流血させる。
その傷口にゴッチもエルボー攻撃。外人組の反則負け。
3本目開始前、怒った吉村がバケツで外人組に報復、
さらに沖レフェリーにボディスラムを敢行して反則負け(東スポより抜粋)。
だがこの一宮大会でゴッチは右ひざを負傷、
その傷から細菌感染を起こし発熱して入院・手術、以後の試合を欠場。
台東区体育館での馬場対ゴッチのインターナショナル選手権は幻となった。
なお台東区体育館では以下の代替カードが行なわれた。
第13戦・8月12日
東京・台東区体育館
観衆4,000人
▽60分3本勝負
○G.馬場、吉村道明(2−0)エル・モンゴル、J.ランザ●
1.○日本組(カウントアウト、22:32)外人組●
2.○馬場(体固め、3:04)ランザ●
退院後ゴッチは帰国、契約が切れたか第2次サマー・シリーズは覆面コンビのザ・ビジランテスが来日。
先に述べた力道山時代の第3回W.リーグ戦でも馬場とゴッチは同じシリーズに参加しているが
当時馬場はまだ若手だったせいかまた馬場がシリーズ途中で渡米するため対戦はなし。
その後ゴッチは日本プロレスで若手のコーチとして来日するが馬場との対戦は遂になし。
とするとここに紹介した4回のタッグマッチのみが馬場対ゴッチの数少ない対戦記録(註2)ということになる。
ゴッチが一回だけ1本取っているからゴッチの方が馬場より強い、と簡単に決め付けるのも何だが。
前哨戦で王者が苦戦するのは本番タイトルマッチの盛り上げから考えて必然である。
たまたまそういう盛り上げがあった後に本番が中止になったというだけのことである。
では66年の台東区体育館で両者の一騎打ちが行なわれていたらどうなっていただろうか。
元週刊プロレス編集長のT.山本氏は
「もし実現していたら馬場はあっさりとゴッチに勝っていただろう」と書いている(註3)。以下も山本氏の意見。
「インターナショナルヘビー級の王者である馬場が、これが来日2度目のゴッチに負けるわけがない」
「当時の2人の立場の違いとか格を考えたら、100パーセント、ゴッチの勝利は考えられない」
「有り得ない話である。仮にゴッチが馬場との試合でセメントを仕掛けていったらどうなっていたか?
それをした時点でゴッチは日本のプロレス界から永久追放されていただろう。
というよりもこの世界のルールを破った札付きのレスラーとして、アメリカでは生涯マットに上がる事は出来なかったはずである。
私(T.山本氏)は別に馬場の個人的な味方をするつもりはないが、
39年前(註4)、28歳の馬場が弱いはずがないではないかと思っている」
長々と引用して恐縮だが、強弱というのは相対的なものであって
「28歳の馬場」が仮に強くて
E.カーペンティアの不意のセメント攻撃を返り討ちにしたことがあったとしても(28歳の時より若かったかもしれないが)、
だからゴッチには勝てる、とは限らない。
またゴッチが馬場をセメント攻撃で負傷させてしまったら、本当にアメリカマット界で追放になるのだろうか?
このゴッチ2度目の来日の2年前の1964年、ゴッチはデトロイトにおけるNWA世界ヘビー級選手権で鉄人・L.テーズと対戦し
「バックドロップを崩しての脇固め(註5)」、
あるいは「ロープ際でもつれた時、全体重を右ひじに乗せて
テーズの左脇腹にのしかかって(註6)」テーズのアバラ骨を折ったそうである。
試合には勝ったもののテーズはこの負傷で10日間の入院生活を余儀なくされたということ。
またその2年前の1962年8月31日では有名なオハイオ州での「ロジャース控室襲撃事件」で
ゴッチはB.ロジャースの左ヒジを骨折させた事件も起こしている(註7)。
しかし台東区体育館で何事も起こらなくても、ゴッチはアメリカ本土で次第に試合をしなくなる。
ゴッチがその妥協しないファイトスタイルのためアメリカマットで試合が出来なくなるのは
66年の台東区体育館とは無関係の必然だったのだ。
台東区体育館でゴッチが馬場の腕を折ろうと折るまいと、
アメリカマットはそもそもゴッチとは相容れない世界だったのだ。
そんなゴッチだから「馬場にあっさりと負ける」ということの方がありえない、と思う。
台東区体育館でもし馬場が負傷するアクシデントがあったとしても、
それはゴッチのアメリカ本土決別をほんの少し早まらせただけだったのではないか。
改めて、66年台東区体育館。
自分なりの予想をしてみました。
1.時間切れあるいは両者リングアウトによる引き分け
2.ゴッチの攻撃で馬場負傷→馬場の負けあるいは何らかの理由でゴッチの反則負け
というところではないか。いずれにしろきちんとした決着にはならず、
あるいは禍根を残す結末になったかも知れない。
また、どんな結末であれインターナショナル選手権は馬場の手許に残ったのではないかと思う。
馬場がゴッチをロープに振って戻って来たところに16文キック炸裂、
なんてシーンは見る事が出来なかったのではないか。
ともかく、仮にここでゴッチが馬場に「あっさりと」あるいは2フォール負けを喫する結果になった場合、
ゴッチのカリスマ性は失われ、日プロ離脱後の猪木がゴッチと結びつくこともなかったことだろう。
そしてのちに誕生したA.猪木の新日本プロレス、
あるいはUWFなどがゴッチを「プロレスの神様」と神格化することもなかったかも知れないし、日本のプロレス界は別の道を歩んだことだろう。
(2007.0711)
参考資料:
1.東京スポーツ
2.「迷宮]ファイル2」2005年3月芸文社
ジャイアント馬場vsカール・ゴッチ ターザン山本
3.別冊宝島120「プロレスにささげるバラード」1990年10月JICC(現・宝島社)
テーズ対ゴッチ、史上最大の真剣勝負 流智美
4.「やっぱりプロレスが最強である」1997年10月ベースボールマガジン社 流智美
5.別冊宝島特別編集「プロレス読本FILES vol.5」
神様の怨念がアメリカン・プロレスの歴史を変えた 流智美
註1:王座決定戦は○馬場(2-0)ブルーザー●だったが2本ともブルーザーの反則負け。
註2:後述の「ロジャース控室襲撃事件」で馬場とゴッチは同じ会場にいたことがあるが
その時のサーキットで対戦経験があるかどうかは不明、おそらくないと思われる。
註3:参考資料2による。
註4:もちろん出版物の発行当時。
註5:参考資料3による。
註6:参考資料4による。
註7:参考資料5による。
ただしゴッチのロジャースに対する腕折りはサブミッションなどではなくドアに腕が挟まったことによるそうである。
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