No.17
人間対猛獣3・ 「ツートン」トニー・ガレント対大ダコ、熊、カンガルー

長らく調査中だった「猛獣と戦った男」ツートン・トニー・ガレントの資料が
我が家の2003年12月の引越しの際ようやく発見された。
筆者は幼いころ少年誌(註1)で挿絵付きのプロレス記事に「大ダコと戦うレスラー」というタイトルで
ガレントが水槽の中で大ダコと戦っているイラストを見たことがある。
また有名な格闘技漫画「空手バカ一代」でもアメリカのプロモーターが「灰色熊と戦った」ガレントの写真を見せて
主人公の若き大山倍達に「世界にはこんな強豪がたくさんいる、対戦したいとは思わないか」などと海外遠征を促すシーンがある。
そのシーンの漫画でガレントは灰色熊との激闘で首4の字固めで熊を絞め殺してしまう描写があった。
猛獣と戦った男、トニー・ガレント・・・幼いころの筆者でなくても血沸き肉踊ることだろう。
今回発見したガレントの資料を短いながらもここで紹介したいと思う。

ガレントはヘビー級のプロボクサーとしてデビューして、その後レスラーに転向している。
ニックネームの「ツートン」はそのずんぐりむっくりの体格からの連想で体重が2トンあるという意味。
正確な日時は不明だが、ガレント対大ダコの一席、はじまり、はじまり。

『―かれが大ダコと水中で格闘してみせたのも、かれに言わせれば、商売上のPRというんだそうだ。
試合地のシアトルのあるレストランが水槽に大ダコを飼育していて、観覧料12セント(2セントは税金)という看板を出していた。
土地のスポーツ記者が、
「あの大ダコとガレントを戦わせたらどうだい?いい宣伝になるぜ」
とマネジャーのウィリー・ギルゼンバーグに吹き込んだ。トニーも同意した。

さて、‘世紀の一戦―タコと人間の戦い’というもので、レストランのまわりは人の山。映画会社からは撮影班がやってきた。
レストランの前におかれた水槽の中で、当日の花形選手の大ダコがコーナーに控えている。
挑戦者トニー・ガレントは、内心のうす気味悪さを隠してリングならぬタンクに入った。
タコは一瞬、ギョッとしたかのように身を縮めた。
レストランで飼われているからビヤ樽は見なれているが、
それに手足が生えたようなトニーのからだが接近してくるのにはよほど仰天したと見える。
近づいたトニーの顔にいきなりまっ黒いスミを吐きかけた。
トニーは急になんにも見えなくなったのでびっくりし、あわててタンクから飛び出した。
「たいへんだ!両目をやられてしまった」
「タコに墨汁のカウンターを喰ったんだ」
ハンドラーたちが、トニーの目からスミをふき取る。トニーは第2ラウンドのため水中に入る。

いささか頭にきたトニーは、インファイトに出て左右の強打をふるったが、相手は軟体だけに手ごたえがない。
少し油断すると鋭い口角でついてくるので、さすがのトニーも手こずったらしい。
「なにしろ、こちらは手が2本しかないが、あっちは8本ときている」
この珍試合のフィルムが映写されると、アメリカ中の観客が腹を抱えて大笑いした。

「カンガルーの前足にグラブをつけたのと試合させられたが、
よくトレーニングさせてあったとみえて、なかなかいいパンチを打ち込んだ。
ただクリンチしたときに、くさいヨダレをこっちの顔中にふりかけるんでね」
トニーは苦笑しながらむかしの思い出を語った。
「ロシア産の大熊と組んでカナダまで巡業したけれど、
あるときわざとダウンしたら、うしろ足で脇腹をいやというほど蹴りやがった。反則もいいところだよ」
熊の方がダーティだったというわけだ。』

なるほど、大ダコ戦はともかく大熊戦はデス・マッチではなくて、
レスラー対レスリング・ベアに等しい出来レースだったわけね。
またしても梶原先生のファンタジーワールドにしてやられたわけだあ・・・(笑)。
しかしガレント対大ダコ戦、フィルムが現存するのなら見てみたいものである。
ガレントは対猛獣戦以外でも、ボクシング公式戦当日に友人と賭けをやって
ホットドッグ52個を平らげた後試合をしたという逸話が残っているが(しかも4ラウンドKO勝ち!)、
彼のボクシング選手としての最大のハイライトは
1939年6月28日ニューヨーク・ヤンキースタジアムでの世界ヘビー級王座挑戦試合で連続防衛25回の不世出の王者、ジョー・ルイス相手に
第3ラウンドダウンを奪い満員のスタンドを沸きに沸かせた試合である
(結果は第4ラウンド逆転KO負け)。
つまりはギミックたっぷりの怪物ファイターだったが強打による実力の裏づけもあったということだ。
その風貌、たたずまいは無理に類似の選手を上げるとするならUFCのタンク・アボットといったところか。
以下にガレントの略歴を掲載しよう。

【トニー・ガレント】米国・1910〜1979
1929年から14年間、ヘビー級でユニークな活躍を見せたイタリア系米国人。
175センチ、90キロのサイズが示す通りズングリムックリの体つき。
丸太ん棒のような太い腕をぶんまわしてのパンチは威力があり、
ヘディング、ローブロー、ひじ打ちを平然と駆使するラフファイトを毎試合のように見せた。
(中略)
また、リング外でも破天荒で、トレーニング・キャンプに出かけても朝からビールのがぶ飲みをしたといわれている。
1939年、不世出の名王者ジョー・ルイスに挑戦。
この一世一代のチャンスにスイングを決めてダウンを奪い健闘したものの、すぐルイスの強打につかまり、4回KOで敗れている。
1944年に引退。リングを去る前の年には、プロ・レスラーとして有名なフレッド・ブラッシーをKOした記録も残っている。
82勝(59KO)26敗6分。

なあんと!ガレントは銀髪鬼退治までおこなっていたようで(笑)。
(2003・1229)

追記:
その「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーの自伝を読んだら新たなる事実が判明。
ブラッシー自身が2度ほど熊との対戦を行っていたことが自伝に記載されている。
もちろんレスリング・ベアとの対戦だが。
さらにブラッシー自伝ではブラッシーのプロレスの試合のレフェリーがガレントというケースがあったり
「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノが同行のイタリア系の取り巻きにそそのかされて
カーニバルの賞金マッチ5分1本勝負でオランウータンと対戦との記述が!
昨年2003年に発売された新刊なのでネタバレは避けますが
発電所対類人猿の試合の結末は幸いにも「モルグ街の殺人」とはならなかったようで・・・。
(追記:2004・0102)

参考、『』内引用、略歴引用:「凄くて愉快な拳豪たち」梶間正夫著、1986年ベースボールマガジン社
参考:「フレッド・ブラッシー自伝」2003年エンターブレイン社
(註1)漫画「タイガーマスク」連載時の「ぼくらマガジン」か「ジャイアント台風」連載時の「少年キング」のどちらかだと思う。

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