No.55
ユキーデ戦慄のラッシュ、佐山サトルは判定負け。全日本キック「格闘技大戦争」

全日本キック「格闘技大戦争」
1977(昭和52)年11月15日 東京・日本武道館
同行者=同級生



当時「全米プロ空手」「マーシャルアーツ」などとと呼称されていた
アメリカのWKAキックボクシング軍団と東京12チャンネル系キック(註1)の全面対抗戦。
WKA軍団の顔ぶれは豪華でユキーデが不敗のライト級王者なのはもちろんのことだが
ロドリゲスがミドル級C、ロペスがJ・ライト級C、アビレスがミドル級1位、レディがJ・ミドル級C、
コステロがミドル級1位、ガリーザがフライ級Cとほぼ全員が王者かランカー。
そして戦績も当日のパンフによると全勝ないし1敗の選手ばかり、KO率も高い選手が多かった。
同年8月2日日本武道館で行われた猪木対モンスターマンの前座でユキーデが全日本キックの鈴木勝幸選手にKO勝ちしたこと、
試合形式が1ラウンド2分というアメリカ側有利のルールということもあって
記者会見で出たWKA軍団の「全勝宣言」も現実のことになろうかという雰囲気。

そして当日、同じ武道館で行われた同年10月の猪木-ウエップナー戦よりも客は入っていた。
第1試合でいきなり平戸が判定ながら圧勝。WKA軍団の「全勝宣言」が早くも潰える。
この時代、全日本キックのミドル級は「マッハパンチ」猪狩元秀と「重戦車」田畑靖男の2強時代。
その中にあっての平戸は地味な存在だったがこの試合では首相撲からの膝蹴りが相手のスタミナを奪ってゆき、
日本側の先鋒として堂々の一勝をもたらした。
第一試合で勝利した平戸の功績は大きいと思う。
続く長江も勝利。
佐藤と対戦したアビレスは途中からスタミナ切れで連続ダウン、
4ラウンド開始のゴングが鳴っても椅子から立ち上がらず、椅子に座ったままで10カウントを聞いた。
猪狩は必殺の右「マッハパンチ」炸裂ですでにびびっていたレディからダウンを取って圧勝、
このレディだが何か足に欠陥があるのか、両足がバンテージだかなんだか巻いてあってまっ白に見えた。
指先の一つも肌色の部分が見えない。
この日の試合はマーシャルアーツ側の足に着用する防具、
日本側のソックス状のサポーターなどが禁止になっていたはずなのだが・・・今でも謎。

メインエベント、ユキーデ対岡尾は第1ラウンドいきなりの岡尾のロングフックでユキーデが尻餅ついてダウン、場内騒然。
しかし徐々に持ち直した真紅のパンタロンの怪鳥は第4ラウンド、
前蹴りを加えた左右パンチのラッシュで岡尾をサンドバック状態に。
たまらず岡尾ロープ際できりもみをするようにダウン、大将戦はユキーデが制した。
この試合メインエベントであったがテレビ生中継の都合でこの試合順。

佐山はプロレスデビューして数ヶ月。しかも相手の体重に合わせるため減量しての出場。
試合前WKA軍団の「全勝宣言」に腹を立てた新日本プロレスの新間氏が激高して
「この試合だけノールールでやろうじゃないか」などとまくし立てた因縁の一戦。
しかし結局はほかの試合と同じルールに落ち着いて、
佐山はクリンチ気味に組み付いて頭越しの反り投げで応戦するがだんだんと打撃の餌食に。
もつれて倒れたときにはアームバーでコステロの関節を決めるような形にもなったがもちろん反則(テレビ放送ではカット)。
結局大差の判定でコステロの勝利。
のちに「タイガーマスク」を経てUWF参戦、
打撃のないルチャ・リブレの選手や藤原喜明らに情け容赦のない蹴りを見舞う佐山のシーンを見ると、
この時のサンドバッグ状態になった試合を思い出す。
佐山はこの試合で総合格闘技の必要性に開眼した、など諸説あるが
もっと単純に「この試合で殴られたり蹴られたりされたことが心の底に残った」でもいいのかもしれない。

この日は新日本所属の佐山の出場ということがあってのことか、新日本のレスラーをリングサイドで発見した。
猪木、坂口・・・ストロング小林とバッファロー・アレンは二人並んで座っていた。
で試合と試合の間でちょっと会場が静かになったとき、観客の誰かが「猪木ーっ!」と声をかけた。
するとほかの客も声をかけ、それがだんだん大きくなっていった。
収まりがつかないな、と思ったかようやく椅子から立ち上がって手を振る猪木。当然大歓声。
現在ならすかさずリングにあがって「1・2・3、ダーッ!」を叫ぶってところか。

山里は一瞬の膝蹴りをガリーザのボディに突き刺しKO勝ち。
最後の試合の藤原の相手ワンナロンはタイ人。当然ムエタイ、対抗戦ではなく特別試合だった。
藤原は得意の変則的ステップを披露して判定勝ち。
このステップ、実は今思い出してもよくわからない。ほかと違うということはわかるのだが、
どうやって動くとああいう動きができるのか、それがわからない。

ともかく初の日米決戦は日本側が5勝2敗と圧勝するも大将のユキーデの牙城は揺るがず、決着は次回に持ち越された。
興行としては大成功だったろう、この後米国選手の登場も頻繁にあり「格闘技大戦争」と銘打った大会場での興行も行われた。
しかしその裏で全日本キックの主力選手藤原、島などを抱える目白ジムが協会を脱退するという出来事もあった。
この後は別系列のTBSでも「ワールドキックボクシング」と銘打ったアメリカ選手を招聘しての大会場での興行が行われ
キック界も新たな時代の到来が予想された。
しかしそのアメリカ選手導入の動きとはうらはらに
この後東京12チャンネル、TBSとテレビが連続して撤退するという事態になり、キック界は冬の時期を迎える。

タイ以外の外国人選手そしてベニー・ユキーデの本格的参戦ということを考えると「格闘技大戦争」の成功は大きな意義があるだろう。
アメリカの重量級のスター、ドン星野ウイルソンが来日、
その後オランダのロブ・カーマンの登場から空手の正道会館のキック参戦、そしてK-1の誕生までの話はこの日から10年以上後のことである。

(2003・0814)
(註1)現テレビ東京。

東京12チャンネル/日刊スポーツ新聞社
全日本キック(岡村、ムエタイ国際両プロモーション)「格闘技大戦争」
1977(昭和52)年11月15日 東京・日本武道館
観衆1万4500人

*1〜7の対抗戦のルールは2分1R、休憩1分。
フリーノックダウン制。
主な反則は、ヒジ攻撃、顔面への膝攻撃、頭突き、金的、投げ。
8は藤原対タイ選手ということもあり通常のキックボクシングルール。

1.2分6R
○平戸誠(判定)ブリンキー・ロドリゲス●

2.2分6R
○長江国政(判定)トニー・ロペス●

3.2分6R
○佐藤正信(KO、4R0:10)フレディ・アビレス●

4.2分6R
○猪狩元秀(KO、4R1:39)ブレンディン・レディ●

5.格闘技世界ライト級選手権(2分9R)
○ベニー・ユキーデ(KO、4R1:33)岡尾国光●

6.2分6R
○マーク・コステロ(判定)佐山サトル●

7.2分6R
○山里将幸(KO、2R1:05)レオナルド・ガリーザ●

8.3分5R
○藤原敏男(判定)ワンナロン・ピラミッド●

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