No.61
「幻のデスマッチ」「ガッツ石松対藤原敏男」ともに実現せず。新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ第37戦(最終戦)」

新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ第37戦(最終戦)」
1979(昭和54)年4月5日 東京体育館
同行者=元同級生数名



第三試合、長州のバックドロップ炸裂。
この日坂口・小林組が失った北米タッグをのち奪回する。

第四試合、G浜田は日本初の本格的軽量級ルチャ・リブレを見せてくれたのだが、
その妙技は認めるとしてどうも当時はその試合からプロレス本来の凄みを感じ取ることができなかった。

北米タッグ戦は小林よりも坂口の動きが悪かったように感じた。
しかし今から思うとそれは意図的なものだったのかもしれない。
小林はその後パートナーを木村健吾にして新タッグ王者チームとなった坂口・長州組に挑戦したが敗退。

藤波はこの時期、ジュニアヘビー級チャンピオンとして最高にかっこよかった。
ドラゴンスープレックスは生で見ても難易度の高そうな技だった。
P・アグアイヨはあまり元気がなかった。

猪木対シンはランバージャックデスマッチで行われたが、
当初は体育館内フロア全体が戦場となる「オールウエー・フリー・フォールマッチ」が企画されていた。
つまり反則・リングアウト決着のない会場どこでもフォールが認められるデスマッチルール。
のちにFMWから派生した「エニウエア・フリーフォールデスマッチ」に類するルールと解釈していいだろう。
しかし観客の安全が確保できない?という理由からランバージャックルールに変更された。
シンはともかく猪木のエニウエアマッチっていうのも・・・なかなか想像できない(笑)。

なお、真ん中の休憩前に新格闘術の藤原敏男がリング上に登場、
元プロボクシング世界ライト級王者のガッツ石松に対して挑戦の意思を明らかにした。
石松のキックボクシング、マーシャルアーツへの軽視、暴言とも取れる発言に対しての行動(註1)。 

(1984年6月ごろのノートと当時の東京スポーツを元に再構成、2003・0831)
(註1)石松はこの挑戦を黙殺。その後双方和解したかどうかは不明だが対決は実現せず。
追記:この日のシンの入場曲はバリー・ホワイト&ラブアンリミテッド・オーケストラの曲(曲名までは忘れた)。
(2004・0207)

新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ第37戦(最終戦)」
1979(昭和54)年4月5日 東京体育館
観衆8500人(超満員)

1.MSGシリーズ出場者決定戦(15分1本勝負)
○荒川(逆十字固め、9:32)小林邦●
*荒川がMSGシリーズ出場権を獲得。

2.20分1本勝負
○星野(回転エビ固め、11:05)藤原●

3.20分1本勝負
○長州、木戸(体固め、9:39)上田、D.マンテル●

4.UWA世界ジュニアライトヘビー級選手権(61分1本勝負)
○G浜田(回転エビ固め、12:12)ベビーフェース●
*浜田が王座防衛。

5.NWA北米タッグ選手権(61分3本勝負)
○H・マツダ、M斉藤(2−1)坂口、S小林●
1.○斉藤(体固め、8:04)坂口●
2.○坂口(逆エビ固め、2:58)斉藤●
3.○マツダ(体固め、5:24)小林●
*マツダ、斉藤組が新王者。

6.WWFジュニアヘビー級選手権(61分1本勝負)
○藤波(飛龍原爆固め、8:50)P・アグアイヨ●
*藤波が王座防衛。

7.NWFヘビー級選手権(ランバージャックデスマッチ時間無制限1本勝負)
○A猪木(体固め、20:26)T.J.シン●
*猪木が王座防衛。

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