No.166
猪木の反則負けの意味 新日本プロレス「新日=国際全面対抗戦(創立10周年記念興行第3弾)」

新日本プロレス
「新日=国際全面対抗戦(創立10周年記念興行第3弾)」
1981年10月8日 東京・蔵前国技館
同行者=なし



10月8日が新日本、翌9日は全日本が蔵前での興行を開催という異常事態。
いわゆる「蔵前戦争」である。

81年春のアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本川崎体育館大会登場に端を発した
新日本・全日本の選手引き抜き合戦は
この蔵前戦争で両団体の過去の確執が一気に爆発したかのように感じた。
この10月までにブッチャー、タイガー戸口、D.マードックらが全日本から新日本に、
T.J.シン、上田、C.ゲレロらが新日本から全日本へと引き抜かれている。

そしてこの年8月9日、北海道羅臼大会を最後に国際プロレスが崩壊。
日本人選手と常連外国人選手も両団体に分かれていった。
当初は元国際の多くの選手が新日本との対抗戦に出場する予定だったのだろうか。
チケットには新日本に出場しなかったマイティ井上、阿修羅原の顔写真が、
また鶴見五郎、マッハ隼人の名前も印刷されている。
このチケットの状態から察するに対抗戦はもっと多くの元国際の選手が参加して
実際行われた3試合よりも多くの試合が予定されいたのではないか。
ところが何らかの理由で出るはずの選手が出なくなり規模が縮小されて行われた、ということでは。

さらなる異常事態がH.ホーガンとA.スミルノフの出場問題である。
この二人は何と両団体ともに出場者リストに名前が載っていた。
新日本10・8のチケットにも、全日本10・9に出場したスミルノフの顔写真が載っている。
当日のパンフレット「THE WRESTLER Vol.4」にはホーガンの件についての文章が記載されているが
事の真相はともかく新日本側の一方的な意見のように思えるのでここでは触れない。

また10・9の全日本のカードが馬場・サンマルチノ対シン・上田のタッグマッチをメインに
フレアー対鶴田のNWA世界戦、ドリー対ブロディのインタナショナル戦、
それにマスカラス対井上のIWA世界戦の豪華4大決戦という、
興行戦争になると全日本が決まって繰り出す「物量作戦」的な構成であったのに対して
新日本はハンセン&ホーガンという肉食恐竜コンビの試合はあるものの
注目はほぼ猪木の試合一枚看板という、毎回の両団体の戦略がここでも見ることが出来た。

【前田明‐ティム・トールトゥリー】
興行戦争とも対抗戦とも関係ないこの前座の試合、とても印象に残っている。
ティム・トールトゥリーはおそらく筆者が生で見たプロレスラーの中では最弱の部類の選手であろう。
インディアン・スタイルのコスチュームでリングイン。
しかし背が小さく体も貧弱で、普通の人みたい。本当にレスラーなのか?と考えてしまった。
当日のパンフによるとロサンゼルス地区で活躍していて
ザ・モンスター(フランケンシュタインの覆面のマスクマン)の好敵手だそう。
対する前田、前田日明。
まだ細身ではあったがその上背の高さ、空手風の回し蹴りは当時から充分な期待を感じさせていた。
試合は前田が胸板への強烈な回し蹴りで貧弱なトールトゥリーを圧倒。
どう見ても大きい前田の圧勝と思われたが
トールトゥリーがボディスラムからよたよたとおぼつかない足取りでコーナーに上がりニードロップ。
それで3カウント入ってしまいトールトゥリーの勝利。
前田は負けたが強さは見せつけた。
観客席からの不満の声は、勝ちはしたものの情けないファイトをしたトールトゥリーへのものだったか。

【浜口‐剛】
国際の応援団が旗を振りながらの浜口の登場。
エアプレーン・スピンからのバックフリップが決まって浜口のフォール勝ち。
思うに対抗戦の相手が同じ元国際の剛というのは負けても新日本に傷がつかない選択である。
コーナーに上って勝ち誇る浜口に罵声が。
そして帰りの通路を間違えた浜口にまた罵声。

【藤波‐寺西】
テクニックの応酬になったが藤波がジャーマンで勝利。
寺西は完璧なフォール負けを喫したのに手を腰の辺りで振るゼスチャーで
「次はベルトを賭けて戦おう」とアピールしてこれも観客の憎悪を買う。

【タイガーーM.ハリケーン】
緑の覆面、ロングタイツのハリケーンはタイガーにボディスラムで投げられると
足をバタバタさせて奇っ怪なムーブ。
試合は意外に短時間決着、タイガーの風車式バックブリーカーで勝利。
敗れたハリケーンはマスクを脱ぎ、正体がボビー・リーであることを明らかにする。
後で知ったことだがB.リーはこの時相当腰が悪かったそう。
この試合を最後に引退したとも。

【ハンセン、ホーガン‐ブラボー、長州】
初来日のディノ・ブラボーは奮戦。
巨体のホーガンを抱え上げてのアトミックドロップを披露。
しかし・・・なぜこのタッグは長州だったのだろうか。
当時の長州は革命戦士としてのブレイク前でまだまだやられ役。
ブラボーがいいところを見せてからタッチして長州が出ると観客が「あ〜〜〜」って感じの声を出す。
全く期待されてなかった。
もしかしたら格下の長州を入れることでこのタッグマッチの注目度を意識的に下げ
メインの猪木対R木村をより強調させる戦略だったのかもしれない。
フィニッシュはハンセンの元祖ウェスタンラリアートが長州に炸裂して肉食恐竜コンビの圧勝。

【猪木‐R木村】
試合前になぜかこの日のマードック戦が中止になったA.T.ブッチャーがリングに上がり猪木を挑発。
「何時イノキは俺と対戦するんだ」というような内容だったような記憶がある、英語だったから良くわからんが。
試合は場内の新日本ファンの殺気に押されたか木村に精彩がなく(雰囲気がすごく硬かった)、
猪木がロープ際での場外投げで場外戦に誘う。
乱戦で猪木額から出血。
リング内に戻った猪木が怒りの表情から蹴り、ショルダー式の腕折りから引き倒して腕ひしぎ逆十字。
木村の足が僅かにロープにかかったが猪木はロープブレイクせずに逆十字で攻め続ける。
これをミスター高橋レフェリーが何の躊躇もないような感じで5カウントを数え、何と猪木の反則負けが成立。
乱入するアニマル浜口、寺西を蹴散らす猪木、国際側についたS小林に「お前どっちなんだ!」とクレーム。
マイクを持った猪木「いいか木村ぁ、お前に一ヶ月だけ時間をやる」
再戦が決定した、負傷した?腕を押さえる木村、木村に寄り添う浜口と寺西。
どっちが勝者かわからないリング内。
しかし考えてみるとここで木村が猪木に当たり前にKOされてしまったら、
そこで木村の新日本での商品価値は潰えてしまっただろう。
豪華外国人による全日本の物量作戦に対R木村戦一本「殺気のあるプロレス」で対抗した猪木。
しかも再戦は「今度こそ猪木が勝つだろう」と考えるファンが押し寄せる。
そして途中長州力の覚醒による維新軍結成があったものの
木村たち国際軍団との対決で猪木はこのあと2年間の興行を持たせるのだ。この日がその始まりだった。

(1984年6月頃のノートを元に再構成、2004.1120)

新日本プロレス
「新日=国際全面対抗戦(創立10周年記念興行第3弾)」
1981(昭和56)10月8日 東京・蔵前国技館
観衆1万3000人

1.20分1本勝負
○仲野信市(逆片エビ固め、9:38)高田信彦●

2.20分1本勝負
○永源遙、荒川真(片エビ固め、11:39)藤原喜明、平田淳二●

3.30分1本勝負
○ティム・トールトゥリー(体固め、7:10)前田明●

4.30分1本勝負
○E.シグノ、E.テハノ、N.ナバーロ(体固め、16:07)星野勘太郎、G浜田、G高野●

5.45分1本勝負
○アニマル浜口(体固め、9:29)剛竜馬●

6.30分1本勝負
▲坂口征二、S小林(両軍リングアウト、7:59)B.クラッシャー、B.アレン▲

7.45分1本勝負
○藤波辰巳(原爆固め、11:06)寺西勇●

8.敗者覆面剥ぎマッチ60分1本勝負
○タイガーマスク(体固め、7:09)マスクド・ハリケーン●

9.60分1本勝負
○S.ハンセン、H.ホーガン(片エビ固め、8:25)D.ブラボー、長州力●

10.60分1本勝負
○ラッシャー木村(反則、10:35)アントニオ猪木●


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