No.189 猪木対ジェシー・ベンチュラ、政治家対決(内容はショボい)新日本プロレス「難民義援金募集チャリティー特別試合」


新日本プロレス「難民義援金募集チャリティー特別試合」
1982(昭和57)年4月21日
東京・蔵前国技館
同行者=なし



【藤波‐ブッチャー】
藤波が場外ラフファイト、猪木ばりの延髄斬りでブッチャーを追い込んだが
フライング・ヘッドバットを地獄突きで迎撃されてダウン。
呪術師の山嵐バックドロップからジャンピング・エルボードロップ毒針殺法の必殺フルコースでフォール負け。
試合後ブッチャーは勝利者トロフィーを鉄柱に叩きつけて破壊。

【猪木‐ベンチュラ】
猪木は4月1日MSGシリーズ優勝戦を欠場して以来の再起戦。
“ザ・ボディ”ベンチュラは初来日、AWAでアドリアン・アドニスとタッグチームを結成していた選手。
筋肉タイプでサイケ調のロングタイツ、とB.グラハムのコピーのようなレスラーだった。
試合はインディアン・デスロックで猪木がベンチュラを追い込み、
コーナー最上段から猪木が飛んだ!
・・・ベンチュラの後頭部にちょこんとつま先を当てる「ダイビング延髄」。
さらに猪木がジャンプ、ベンチュラの胸板に延髄斬り風にハイキック。
これであっさり3カウント。猪木が完全に復調してないせいもあり、ベンチュラがしょぼいせいもありで大変大味な内容でした。

タイガーマスクはB.タイガーに苦戦して両者リングアウト防衛と、食い足りない観戦。
ベンチュラは数年後シュワルツェネッガー主演のハリウッド映画「プレデター」で再びその姿を見たが、
さらに数年後ミネソタ州知事選に立候補して当選、史上初のプロレスラー出身の州知事となる。
ミスター高橋の著書「プロレス、至近距離の真実」ではベンチュラは以下のように書かれていた。

「ベンチュラなどひどいもので、ブラッシーがリングサイドで指示を送っても、
『うるさい、ジジイ、黙ってろ』―と試合中にやり返す始末。
ブラッシーも愛想をつかして教育係を投げ出してしまった。
結局ベンチュラは、日本では通用せず、アメリカでもそこそこ止まり(後略)」

レスラーとしては「そこそこ止まり」だったが別のジャンルで大成功したわけだ。
レスラー現役時代は“ザ・ボディ”だったが政界進出に成功したことを考えると
彼のニックネームは“ザ・ブレイン”が正しかったのかも。

(1984年6月頃のノートを元に再構成、2005.0313)

1982(昭和57)年4月21日 新日本プロレス
「難民義援金募集チャリティー特別試合」
東京・蔵前国技館
観衆9200人

1.20分1本勝負
○木村健吾(逆さ押さえ込み、8:55)藤原喜明●

2.20分1本勝負
○星野勘太郎(首固め、7:54)永源遙●

3.30分1本勝負
○長州力、谷津嘉章(体固め、9:51)A浜口、寺西勇●

4.UWA世界ミドル級、WWFライトヘビー級ダブルタイトル戦(60分1本勝負)
○G浜田(回転エビ固め、8:45)P.アグアヨ●
*浜田がUWA世界ミドル級防衛、WWFライトヘビー級獲得。

5.WWFジュニアヘビー級選手権(60分1本勝負)
▲タイガーマスク(両者リングアウト、14:17)ブラック・タイガー▲
*タイガーマスクが6度目の王座防衛。

6.飛龍十番勝負第3戦(60分1本勝負)
○A.T.ブッチャー(体固め、8:03)藤波辰巳●

7.60分1本勝負
○A猪木(体固め、12:45)ジェシー・ベンチュラ●

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