No.129
超獣ブロディ、最初で最後の遭遇。新日本プロレス「バーニング・スピリット・イン・サマー第30戦(最終戦)」

新日本プロレス「バーニング・スピリット・イン・サマー第30戦(最終戦)」
1985(昭和60)年8月1日 東京・両国国技館
同行者=千里眼その他数人



社会人になって知り合った千里眼と初の観戦。
平日だったのでマシン対決あたりから観戦。
マシン対決はどっちがどっちかわからないまま終了。
この大会は猪木-ブロディ第3戦に尽きる。
この年の春に突如実現した第1戦は両国チェーン使用問題、試合前の控え室でのブロディの奇襲による猪木腕負傷など
複雑な展開で進行し両者リングアウト、
当日のテレビ朝日のスポーツニュースで結果のみ読み上げられたことを記憶している。
第2戦はこの両国大会の前、7月28日の大阪大会で実現。
猪木がブレンバスターでブロディを追い込んだがブロディが手にしようとした守護神・チェーンを奪い取っての攻撃が反則を取られ、
猪木の負けとなっていた。

後楽園での新日本初登場で奏でられた楽聖ベートーベンの「運命」がこの日の両国でも。
続いてレッド・ツェッペリンの「移民の歌」オリジナルヴァージョン。
ロバート・プラントの絶叫!それに呼応して観客席に乱入するブロディの登場シーン!これは迫力ものだった。
試合は序盤ブロディの片足キックを猪木がキャッチしてブーツを脱がすという奇襲、
これにはブロディも驚いた様子、しかしすかさずブーツを奪いとり猪木の頭を殴る!
その後は猪木がグランド中心で攻め込み、意外と地味な展開。
最後は猪木がブロディを折りたたみ椅子でぶん殴ってまたも反則負け。
猪木が全盛時を過ぎていたということもあるが、どうも新日本はブロディを獲得したのはいいが使いあぐねていたような感がある。
当時坂口以外にこれといった長身のレスラーが日本側にいなかったというのも
新日本でブロディの人気がいまいち伸びなかった理由の一つとして間違いないだろう。
このあとブロディは生で観る機会がなく数年後全日本にUターンした後の武道館大会に、
千里眼に誘われてスタン・ハンセンとの夢対決を心待ちにしていたが、それは本当の夢と化してしまった。
1988年7月17日、超獣は南国の島で凶刃に倒れその生涯を終えた。

(2004・0403)

新日本プロレス「バーニング・スピリット・イン・サマー第30戦(最終戦)」
1985(昭和60)年8月1日 東京・両国国技館
観衆1万1140人(超満員札止め)

1.15分1本勝負
△佐野(時間切れ引き分け)武藤△

2.20分1本勝負
○B.キャット、山田(エビ固め、18:47)小杉、橋本●

3.30分1本勝負
▲H.斉藤(両者フェンスアウト、7:42)B.タイガー▲

4. 30分1本勝負
○星野、高野俊(片エビ固め、10:49)ボーン、モロー●

5.45分1本勝負
○スーパー・ストロング・マシン(エビ固め、1:28)ストロング・マシン3号●

6. 45分1本勝負
○木村健、坂口(フェンスアウト、7:40)K.バンディ、B.アレン●

7.NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権60分1本勝負
○ザ・コブラ(原爆固め、9:58)荒川●
*コブラが8度目の王座防衛。

8. 特別試合60分1本勝負
○J.スヌーカ(片エビ固め、15:09)藤波●

9. 特別試合60分1本勝負
○B.ブロディ(反則、21:24)A.猪木●

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