No.300
バッドニュース(バッファロー)・アレン(追悼)
↑別冊ゴング昭和59年3月号より
07年3月6日、バッドニュース・アレンが死去したそう。
最近ビガロやグラジエーターと訃報が多いなか、さらに名脇役が去っていった。
元モントリオール五輪柔道重量級銅メダリスト。
格闘技戦参戦表明を伝える東京スポーツの1面では「遠藤を見下ろす男」の表現が(註1)。
アレンを初めて生で見たのは猪木対チャック・ウエップナー戦の武道館での、
坂口との柔道ジャケットマッチ。これがプロデビュー戦('77年10月25日日本武道館)。
そのあと全日本キック対全米マーシャルアーツの全面対抗戦
「格闘技大戦争」('77年11月14日日本武道館)で客席でストロング小林と並んで座って観戦しているのを目撃。
これは当日の試合に佐山サトルが参戦していたからであろう。アレンは当時既に練習生として巡業に帯同されていたという記憶がある。
さらに同年の12月8日、蔵前では柔道ジャケットマッチでW.ルスカと対戦。
これがすごい試合で、場外でルスカに見舞った強烈な頭突きでルスカが大流血。
最後はP.パターソンの介入で敗退したが、両者の白い柔道着を朱に染めての対戦は本当に迫力があった。
その後フィラデルフィアでのS.小林戦(カナディアン・バックブリーカーで敗退)、
福岡での再度のルスカ戦(アキレス腱固めで敗退)を経て
スキンヘッドに変えて本格的にレスラーに転向。
その後は新日本に転向してきたA.T.ブッチャーのシンパとなりブラック・パワー軍を結成するなど完全に柔道カラーを払拭することに成功。
そういう意味ではルスカよりも、ヘーシンクよりもレスラーとしては成功したといえるだろう。
名古屋の新日本では長年パートナーだったブッチャーと仲間割れしてシングルマッチの遺恨試合。
しかし試合は割れたビール瓶をブッチャーの額に突きつけたアレンが僅か1分余で反則負け、謎の試合。
'84年2月7日の蔵前「地獄プロレス」ではメインエベントで猪木とのシングルマッチが実現!
しかし当時接近してたはずのR木村から謎のラリアート攻撃を食らって、猪木の卍固めの前に屈する。
その後はMSGでホーガンの世界王座にも挑戦、「バッドニュース・ブラウン」の名前で得意技は何と延髄斬り。
長年参加した日本マットで猪木から拝借したか。
新日本離脱後は突如Uインターに登場、G.オブライトと2連戦。
武道館で生観戦した時の垣原戦、中野戦では「見えないサブミッション」に驚かされた。
内外を問わず、柔道で大きなタイトルを獲った転向組の中では最も柔道を捨て切れて成功した選手ではなかったかと思う。
ご冥福を祈る。
(2007.0307)
註1:「遠藤」は遠藤純男、柔道全日本優勝者、
モントリオール五輪ではソ連のノビコフに敗退して敗者復活戦に出場してアレンと同率の3位で銅メダル。
(2007.0121)
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