No.31
高田延彦(引退記念)
(S37〜、新日本→UWF→新日本→新UWF→UWFインター→キングダム→高田道場)
高田引退記念1
既に昨年の話題になっちゃったけど高田ノブ総裁の引退を記念して?
自分の見たノブ
総裁の試合を思うがままに振り返ってみたいと思う、
ってこのネタ昨年の東スポでも
やってたなあ。
というわけで自分が生で見た試合に限定!
1・タッグマッチ
寺西、小林邦VS高田、山崎
83年11月3日、新日本の蔵前国技館。メインは正規軍対維新軍4対4綱引き。
高田を意識した最初の試合。
当時は高田、山崎とも前座の若手。
山崎は白パンでした。
クィックタッチによるコンビネーションで維新軍のベテランコンビを圧倒したが最後
は山崎が●。
高田引退記念2
なんか森下社長自殺のニュースで少し気が抜けちゃったような感じ・・・。
でも頑張って書き込もう。
この場を借りて、森下社長のご冥福をお祈りします。
2・VS小林邦昭戦
ジュニアリーグ戦公式戦
87年?1月新日本の後楽園
UWFからの出戻りの時代。
試合中の女の子の甲高いヤジにノブ総裁が突如激高!
「うるせー!指図するんじゃね
え!」と叫びながらリング下に降りてきてフェンスの入り口の注意書きが書いてある
ボードを蹴っとばした。
その間、小林はリング上でダウンしていた。
お客さんがあっけにとられている中ノブ総裁はさっさとリングに戻り何事もなかった
ように試合再開、短い攻防のあと腕ひしぎ逆十字(だったと思う)で勝つ。
なにしろ試合よりノブ総裁の怒りが印象に残りました。
高田引退記念3
3・VS山崎和夫
<BR>88年8月13日
UWF有明コロシアム
メインは前田対ゴルドー。
山崎がハイキックでダウンした高田を押さえ込み3カウント勝ち。
この当時は3カウントもありのルールだったのだ。
しかし打撃からの3カウントは疑問視されこの試合を最後に無効となった。
ルールを変えた一戦。
高田引退記念4
4・VS山崎一夫
89年5月4日
UWF大阪球場
この日のメインは前田VSドールマン。
見に行きましたよ、大阪まで。新幹線で、友人たち(千里眼ほか2名)と大阪で一泊して。
この頃のノブ総裁は前年バックランドに勝ち、この年最初の興行武道館決戦で前田と
対戦。
ナンバー2の地位を確立したかに見えていたが。で山崎戦はお互いダウン4回
ずつ、5ダウンルール採用の時期だったので
自分は「お互いリーチ!」と叫びまし
た。
しかし最後にダウンしたのはノブ総裁の方でした。
山ちゃんハイキック鮮やか。
高田引退記念5
5・VS船木優治
89年8月13日、UWF横浜アリーナ
大阪大会より参戦した藤原、船木、鈴木ののちの藤原組派。
その中でも超新星と目さ
れる船木、いきなりの掌打連発にノブ総裁開始早々連続ダウン。
コーナーでファイティングポーズをとろうとしないノブ総裁に対して空中レフェリー
のカウントが!
だけど空中レフェリーは何故かカウントを9でやめてノブ総裁の回復
を待ってしまいました。
命拾いしたノブ総裁はその後猛ラッシュ!
最後はアラビアの怪人の技らくだ固めで超新星からギブアップをとって辛勝。
有名な疑惑のカウント事件。
自分はこれを目撃して何だかんだ言ってもUWFもまだプロ
レスの範疇なのかな、と当時思いました。
高田引退記念(番外)
(番外)VS M.スミス
90〜91年頃
全日本キック日本武道館
ノブ総裁が専門誌のインタビューかなんかで「モーリス・スミスと戦いたい」とか発
言。
それを知った全日本キック側(当時スミスは全日本キックのリングを日本の主戦場に
していた、K-1誕生以前のことである)が勝手に?試合をお膳立て。
当時のスミスは8年間無敗、当時世界最強のキックボクサーといっても過言ではなかった
だろう。
それで武道館行くとちゃんとプログラムに高田-スミスって載ってんの!
それでその試合順になったらスミスがガウンにサングラスのスタイルで入場してくん
の!
自分いつ客席からノブ総裁が現れてリングに上がるかとワクワクしてました。
で実際はノブ総裁現れず「スミス選手は御覧のようにやる気マンマンですが
高田選手側の対戦の意志が確認できませんでしたので試合は中止といたします」とかなんとか
アナウンスされておしまい(!)。
このあともキックの試合が続いたしプロレスの会場ではなかったせいかさしたる騒ぎ
は起きませんでした。
まあ誰も当てにしてなかったってことですかね(自分だけかい)。
ところでノブ総裁とは対戦できなかったスミスだが、船木とは藤原組の東京ドーム、
全日本キックのNKホールと2度対戦している。
高田、船木二人をつなぐ輪としてヒク
ソンと共にスミスの名が挙がるのは興味深い。
高田引退記念6
6・VSトレバー・バービック
「格闘技世界一決定戦」
91年12月22日
Uインター両国国技館
Uインターまでのノブ総裁は誰が絵を書いたかは知らないが(宮戸あたりか?)猪木をモ
チーフとした人生だったのではないか。
奥さん芸能人だし、選挙にも出たし。
というわ
けでヘビー級ボクサーを相手に「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて行われたこの試合
はさしずめ猪木・アリ戦のコピー。
ちなみにバービックはアリの最後の対戦相手(判定
勝ち)でありかつタイソンに王座を奪われた(2RKO負け)元世界ヘビー級王者。
試合はノブ総裁のローキックを極端に恐れたバービックが両膝を白いサポーターでガ
チガチに固めて登場
(ローキックについてのルールがあいまいなまま決行されたと記憶している)。
かまわずローキックを蹴り続けるノブ総裁、いやがるバービック、
ノブ総裁のハイキックがバービックの顔面をかすった、バービックが飛び出すようにリ
ング下に逃げた!
マウスピースを半分出して勝ち誇るノブ総裁。
この間わずか2分ぐら
い、あっけなさ過ぎ。
次の日、上野駅周辺で試合結果が掲載されている東スポを読んで苦々しい気持ちになったのを覚えている。
バービックはまるで場外にプランチャ―やったみたいな脱出劇でした。
今でいうならガファリ級のへタレ振り、ってでも最近ガファリ人気者みたいだし。
東スポにはバービックの泣き顔の写真が載ってました。
なんて笑って書いてたら、鈴木健著の「Uインターの真実」に面白い記述が!
あの試合の直前、高田はある選手(日本人ボクサー、と前掲書には記述されている)との
スパーリングの際にあばらにパンチを受けて、
プロテクターをしていたにもかかわら
ず肋骨2本を骨折したとのこと。
で実際かなり危険な状態でリングに上がったというこ
とが書かれていた。
つまりバービックが高田の負傷箇所にヘビー級のパンチを入れたなら折れた肋
骨が内臓に刺さってしまい
高田は試合に負けるどころか死の危険さえあったらしい。
へぇー・・・・・。
それはともかくっ!
鈴木氏はこの高田が負傷したスパーリングを偶然映像に収めているらしいが、
そのスパーリングの相手って、いったい誰なんだ?日本人ボクサー?
これすごく興味ない?
えー、このあと北尾戦、オブライト戦、ベイダ―戦などがあるのですが生では見ませ
んでした。
高田引退記念7
7・VS武藤敬司
IWGPヘビー級戦
95年10月9日
新日本東京ドーム
話題性、観客動員数、興奮度、試合内容などどれをとっても日本プロレス史上最大最高の興行
の一つに数えられるだろう「10・9」。
ロープに飛ばない、相手の技を軽々しく受けないUWF格闘スタイルで戦うUインター
勢。
しかしどういうわけがこの日のUインター勢はグランドで新日の選手に上に乗っから
れっぱなしで
勝ってもボロボロにされて痛んで帰っていくといった印象が残った。
新日本の選手は負けても堂々として帰っていくのに。
このとき少しだけど下からの関節技よ
り上に乗っかるレスリング−ポジションニングの方が重要なのかなあという気がし
た、のちのちの総合格闘技の感覚か。
それはともかくメインの高田対武藤の大将戦となったわけだがスタイルが違うのに好
勝負。
思えば武藤のドラゴン・スクリューから足四の字固めというコンビネーション
(低空ドロップキック膝狙いが後に追加される)はこの試合から脚光を浴びた。
・・・って全然高田の話になってない(笑)。
高田この試合は敗れたが翌年一月の武藤との再戦では腕ひしぎ逆十字で勝利、一度は
IWGPヘビー級王者となるも4月の橋本真也戦で敗退。
えー、このあと天龍戦などがあるんですが見れませんでした。
高田引退記念8
8・VSヒクソン・グレイシー
97年10月11日
プライド1東京ドーム
「第一次プロレス終戦記念日」って宝島?のMOOKで読んだ。いいネーミングだ。
それはともかくとしてノブ総裁は腰が悪かったんだか何だかで全然動けず(まあ総合
格闘技緒戦だったということもあるけど)
ヒクソンの前では蛇ににらまれた蛙状態。
自分のフィニッシュホールドの腕ひしぎ逆十字を食らって足バタバタさせてたのが悲
しかった。
高田引退記念9
9・VSヒクソン・グレイシー(2回目)
98年10月11日
プライド4東京ドーム
再戦は前回と違っていきなり捕まえに行ったヒクソンに対してノブ総裁立ち技で対抗。
組み合いながらの膝蹴りなぞをヒクソンのボディに打ち込んだりして一瞬これは、と思わせたが!
しかし自分から投げに行ったのは最大の失敗。グランドになればヒクソンのもの。
総裁おんなじ技で負けました。
このあとプライドグランプリでもホイス・グレイシーに判定負けしてましたが、
ホイス戦は今から思うと怪我とかで相当動けなかったのではないかと思います。
でも総合での総裁の勝ちパターンって、ついぞ思い浮かばないなあ。
高田引退記念10
10・VSマーク・ケアー
99年7月4日
プライド6横浜アリーナ
これが本当の「高田最後の日」になると当時思いまして横アリに馳せ参じました。
ノブ総裁はマーク・ケア―のタックルにひっくり返され、チキンウィングアームロッ
クを極められて負けました。
いくらケア―が強いといってもやすやすとタックルを極め
られてしまうノブ総裁にがっかりした記憶があります。
「Uインターのときは強かったのになあ、総合格闘技じゃ通用しないのかなあ」などと
思いました。
しかしもともとレスリングの下地がなく年齢も高くなり、反対に総合での
適応力は低下してゆくばかりの総裁に
この時点で多くを望むのは無理というものだっ
たのかもしれません。
しかしそれでもノブ総裁はプライドのリングに立ち続けたのです。
(新演撃カフェ 2003/01/09 【2294】 ほか)
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