No.12
スタニスラウス・ズビスコ

1876(明治9)年ポーランド、ガルシヤ出身(1879年説もあり)。
父はオーストリア政府の役人。5人兄弟。
弟のウラディックも著名なレスラー
(大正末期に来日して芝浦で力技の興行を行ったとされる、
評論家田鶴浜弘氏は幼年時代この興行を見たそうだ)。

プロレス入りは同じポーランド出身の大レスラー、ララディスラウス・ウオルター・ピトラシンスキーを慕ってのものとされる。
1906年、パリの世界選手権トーナメント優勝。
1910年初渡米、ハッケンシュミットを破ってインターナショナルチャンピオンになったフランク・ゴッチに挑戦するも
ゴッチの握手と見せかけての巧妙なトリックにはまり敗れる。

第一次世界大戦後、財産を失い2度目の渡米。
1921年6月25日MSGにおいてエド・ルイスを破り世界王座奪取(1922年3月22日に奪回される)。
9ヶ月間の在位中チャーリー・キャドック、ジム・ロンドスなどの強豪相手に防衛。
1925年4月15日フィラデルフィアでウェイン・マンを破って2度目の王座に。
同年5月30日、胴締め王ジョー・ステッカーに敗れて王座転落。
この間にプロスポーツ専門の賭け屋に命を狙われたり、プロモーターに八百長試合を強要されたりするもこれを拒否。
ほとぼりが冷めるまでの間に世界旅行に行く。
ラホールでの伝説のグレート・ガマ戦(1926年)もこの過程で行なわれた。

アメリカに戻ってからはプロモーターとの関係が悪くなり南米に渡る。
後年はジョニー・バレンタイン(同じポーランド系)、アントニオ・ロッカ、ビル・ドロモらを発掘したとされる。
1950年、映画「NIGHT AND THE CITY(街の野獣)」にレスラー役で出演。
1967年、ミズーリ州の農場にて死去。

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