No.13
伝説の「ズビスコ対グレート・ガマ」戦

まずこの試合には日時、場所の特定、試合内容、試合タイムなどに諸説あるが
この文章はどの説が正しいかを決定付けるのが趣旨ではないため
諸兄が目にした資料と内容など違っていてもお許しいただきたい。

グレート・ガマは1886年インド、パンジャブ地方ラホール市近郊(現パキスタン)で生まれたそうだ(註1)。
家柄についてもインド式レスリングの名手の家系であるとか、またそうではないとか諸説ある。
また多民族地域であるインド、パキスタンにおいてどの民族だったのかも不明らしい。
ともかくインド式レスリングの達人であったことには間違いはない。
なお実弟のイマン・バックスもレスラー。
ガマはほとんどインドから出ず、残されているわずかな遠征試合の記録は2試合。
1910年、ロンドンにおいてアメリカのベンジャミン・フランクリン・ローラーと対戦。
ローラー相手に13分間に13回フォール、ギブアップを決め圧勝したという(註2)。
1913年にはやはりロンドンでズビスコ対ガマの緒戦がおこなわれている。
この試合は引き分けだったが、ヨーロッパでグレコローマンの王者だったズビスコが未経験のフリースタイルで戦い苦戦したという説と、
インド式レスリングしか知らないガマが慣れないグレコローマンスタイルで引き分けたという説の両方がある。

アメリカにわたって2度の世界王座奪取に成功したものの
プロスポーツ専門の賭け屋などのギャングに命をつけ狙われたり、
真剣勝負に対する真摯さからかプロモーターからも疎まれるようになった
「頑固親父」ズビスコがほとぼりが冷めるまでと世界遠征を行ったのが1925年から26年のこと。
グレート・ガマとの試合はその行中1926年に行われたらしい(註3)。
ラホールの白昼20万人ともいわれる大観衆の中で行われた問題の一戦。

試合場はインドの強烈な日差しが照りつける野外、砂丘のくぼ地。
リングではなく小石混じりの大地の上。
午後一時ごろ、試合は開始された。
ガマは太陽を背にして立ち、逆にズビスコは太陽に向かって仕切らされまぶしかった。
地を蹴ってズビスコに体当たりを仕掛けるガマ。
ズビスコは一瞬ガマが視界から消えたので太陽の日差しをまともに受け、目潰しをうけたようにひるむ。
そこにガマが体当たりからズビスコの巨体に絡みつき立ち関節技―インド式コブラツイスト。
強情で鳴るズビスコ、ギブアップこそしないがダメージは増す。
充分に締めつけたガマはズビスコを目よりも高く持ち上げて力いっぱい大地に叩きつけた。

1920年代のアメリカでエド・ルイス、ジョージ・ステッカーと共に3強時代を築いた強豪ズビスコが完敗したわけだが
試合時間にも10秒、15秒、41秒、3分、5分など諸説ある・・・。

(2004・0103)

(註1)1884年説あり。
(註2)逆に12回フォールしてもまだ決まらない試合とはどんなルールだったんだろうか、とも思う。
WWEのアイアンマン・マッチのように時間内でたくさんフォールを取ったものの勝ち、というルールだったのかも知れない。
(註3)1928年説あり。

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