ズビスコ出演映画「街の野獣」についていろいろ資料がそろった。
千里眼提供のゴング昭和51年1月号、団友太郎の名前で書かれている読み切り小説「毒針殺法」は
エルボー・ドロップの歴代使い手について書かれたものだが、冒頭に「街の野獣」についての記述がある。
『ズビスコは強かった・・・十月九日、アントニオ・ロッカに聞いた話だが、
ロッカは一九五八年(註1)にズビスコと一緒にハリウッドで映画に出演したことがある。
「街の野獣」という映画だった。この映画にスタニスラウス・ズビスコも一緒に出演した。
この時ズビスコは六十歳を越え、おそらく七十歳に近かったろう。』
かつてのMSGの大スター、「裸足の王様」アントニオ・ロッカは
昭和51年10月9日、東京・蔵前国技館で行われた
アントニオ猪木対ルー・テーズのNWF世界ヘビー級選手権戦の特別レフェリーとして初来日している。
その時のインタビューなのだろう。
田鶴浜弘説ではロッカは南米滞在中のズビスコに発掘されたそうである。
ニューヨーク在住のマグナムTKさんからは待望の「街の野獣」ビデオが国際便で送られてきた。
映画はクラブ「銀狐」の呼び込みをやっている主人公が何とかしてのし上がろうとする物語。
主人公は堕落したプロレス興行に憤慨する世界的な老レスラー、グレゴリアス(ズビスコ)とその弟子ニコラスを擁して
大物プロモーター(実はグレゴリアスの息子)と対立してまで金を工面して
ニコラスとストラングラー(マイク・マズルキ)との対戦をマッチメークするが、
ちょっとしたいさかいからグレゴリアスとストラングラーがジムのリング上で戦いを始めてしまい、
グレゴリアスはストラングラーに勝つが老齢で心臓が弱っていたためにその場で急死してしまう。
主人公は驚いてその場から逃げ出すが
街にはプロモーターの手下の手が回されていてさんざん逃げ回った主人公は最後は殺されてしまう、というストーリー。
興行戦争という側面も見せてくれるし、ギャングが仕組むフェイク試合を推進する側が、
レスリング・ルネッサンスを夢見る老大豪がついた側を潰して現代レスリング業界の流れにつないだとも見ることも出来よう。
また先に映画でのズビスコの役柄は彼の師匠筋のポーランド出身のレスラー、
ウォルター・ピトラシンスキーの実際のマット上での大往生をモデルに描かれたもの、と書いたが
近年にもかなり類似のケースがあった。
自宅のマット上でゴードン・ネルソンを相手にしてシュートテクニックを披露中に心臓発作で亡くなったドリー・ファンク・シニアである。
さて映画「街の野獣」の画面からグレゴリアス(ズビスコ)とストラングラー(マイク・マズルキ)の対決を再現してみよう。
映像でのズビスコはとても60〜70歳には見えない堂々とした体躯、背は低いが分厚い胸に太い腕。
ストラングラーがリングに上がって練習中のグレゴリアスと弟子のニコラスを挑発。
怒ったグレゴリアスが言い返す。
止めに入った人々を蹴散らして、リング上の決闘が始まる。
ストラングラーがパンチ。
グレゴリアスかいくぐって両かんぬきでストラングラーの腕を決める。
はずれて両者ロックアップ。
ニコラス止めに入るもグレゴリアスに投げ飛ばされて場外に転落。
この時ニコラスが手首を負傷、主人公が叫ぶ
(手首の骨が折れた様子で、せっかくマッチメークしたニコラス対ストラングラー戦の実現不可能をにおわせる)。
グレゴリアスがグランドでアームロック、
ストラングラー、ロープを掴もうとした後ヘッドシザースで逃げる。
スタンドになってストラングラーがパンチで追い込む。
グレゴリアスがベアハッグ、ストラングラー、パンチやかきむしり、首絞めで脱出を試みる。
両者コーナーに詰まってストラングラーがフロントヘッドロックからグランドに持ち込む。
逆にグレゴリアスがフロントネックロック、
再びスタンドで、リング下のニコラスが「ベアハッグ!」と叫ぶとグレゴリアスがベアハッグ。
相手の頭を押し返して何とかベアハッグから脱出しようとするストラングラー、
グレゴリアス差し手を返してリバース・フルネルソン(ロビンソンの人間風車の体勢)から力強いヘッドロック。
グランドに変わってグレゴリアスのヘッドロックを、ストラングラーがバックからわき腹への膝蹴り連打ではずす。
そのあとストラングラーは自分の腕をグレゴリアスの首にかけてドラゴン・スリーパーに似た体勢。
グレゴリアスそれを相手の左腕を抱えての投げで返す。
グレゴリアス、ヘッドロックの猛攻、ストラングラー、パンチで脱出、パンチの連打で追い込む。
グレゴリアス、グランドに持ち込んで肩固めからアームロック、ストラングラー、かきむしり、パンチ、チョップで脱出を試みる。
グレゴリアス、フロントネックロックの体勢から立ち上がる、ニコラスが再び「ベアハッグ!」と叫ぶ。
グレゴリアスがベアハッグ、ストラングラー、パンチで必死の脱出をしようとするがはずれない。
グレゴリアス上目遣いに相手の状態を確認するとストラングラーをベアハッグのまま持ち上げて反動をつけて落とす。
2回、3回と続けるとストラングラーは力なくマットに崩れ落ちる。
グレゴリアスも勝った後リング下でバランスを崩し、控室に運ばれるがゆっくりと彼の命の灯は消えてゆく・・・。
劇映画中とはいえ伝説のレスラー、ズビスコの貴重な映像を見ることができたのは収穫だ。
ズビスコはグレコローマン的な上半身攻め、ヘッドロック、ベアハッグ、腕関節攻撃しかせず(註2)
逆にストラングラー役のマズルキはそれを強調するかのようなパンチによるラフ攻撃が多い、
ズビスコの太い腕でのヘッドロック攻撃は力感たっぷり。
マズルキが藤波の飛龍裸締めのようなホールドを垣間見せたこと、
あるいはズビスコの肩固めは現在のPRIDEなどの総合格闘技でもよく見られる技であることを考えると
この約5分間の対決シーンはまさに温故知新、ガス灯時代の戦いとはこういうものかと想像を掻き立てさせてくれる。
そう・・・ズビスコ研究はまさにプロレスにおける温故知新の旅なのかも知れない・・・。
映像を提供してくれたニューヨークのマグナムTKさんに改めて感謝。
(2004.0524)
(註1)映画の公開が1950年だから明らかに間違いである。
また「街の野獣」映像の中でロッカの特徴ある顔を見つけることは出来なかった。
(註2)であるから冒頭のゴングの小説「毒針殺法」でズビスコが
プロレスにおけるエルボー攻撃の元祖であるという説が書かれているが正直疑問である。
追記:手許の資料ゴング1975年12月号のロッカへのインタビューによるとロッカのプロレス入りの動機は
1951年にプロモーターのトーツ・モント(現役時代はエド・ストラングラー・ルイスと親しかったシューターらしい)
に誘われたから、という記載がある。ズビスコには何一つ触れられていなかった。
(2004.0605)
参考:
ゴング昭和51年1月号 昭和50年12月号 日本スポーツ出版社
やっぱりプロレスが最強である! 流智美 1997年ベースボールマガジン社
ゴング創刊13周記念 THE WRESTLER BEST100 昭和56年 日本スポーツ出版社
「プロレスオール強豪名鑑世界編」田鶴浜弘 有峰書店新社 昭和61年
映画「街の野獣」1950年 20世紀フォックス
*画像は全て同映画の画面より。
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