残酷描写のエスカレート。「十三人の刺客(2010年三池崇史監督版)」

*映画はR12です。この文章には残酷な描写もありますので18歳未満の方は退場しましょう。ね。

十三人の刺客 豪華版(2枚組) [DVD]

新品価格
¥4,466から
(2011/4/9 06:43時点)



'11年1月29日、池袋の新文芸座で'63年版との2本立てで見る。
稲垣メンバーが演じる、明石藩主にして将軍の腹違いの弟・松平斉韶の暴虐っぷりがすごいです。
尾張に滞在中、藩士の娘を廊下で捕まえて犯す。
その旦那を斬り殺す。それでお咎めなし。将軍の弟だから。

上告文を出して切腹した明石藩士・間宮図書(まみやずしょ)の一族を
庭で縛りつけて弓矢で射て皆殺しにする。

領内の一揆の首謀者の娘を、両手両足を切断して舌を抜き飼う。
飽きたら捨てる(この件後述)。

斉韶は将軍の弟なのになんでこんなイカれた人間になってしまったのか?
御幼少の頃の躾のつらさに反発したのか、などと彼の心の奥の闇をのぞいてみたくなるほど。
退屈そうに毬(まり)を蹴ってみる斉韶、このシーン、ラスト近くでまた彼のダークさを増長させる前振り。
食事のシーンも彼が残忍・好色な性格だけでない異常者であることを示している。
めしに魚、汁、全部ぶっかけて箸使わず手も使わず皿に顔くっつけての「犬食い」。
殿様が普通やるか?それとも殿様だからやりたがるのか?

手足のない女の姿を見ながら、
老中から斉韶暗殺を言いつかわされた島田は
何と軽く笑い、しかし武者ぶるいを押さえられず、
「多くの人々の役に立って死ねる」と喜ぶ。
伊原剛志の平山なども長年の精進の成果を試せるとばかり。
この辺りは彼らが心の中に持つ武士道を感じさせる。

島田側は落合宿を買い取ってそこを戦場と指定。
斉韶が尾張領を通れなくなり迂回して落合宿を通るよう手配。
そして斉韶の一行約三百人が霧の落合宿にやってきた。
戦闘開始。

そこから先は・・・
動く柵を閉じて斉韶一行の前進を阻み、橋を爆破して後退も出来なくして完全封鎖。
弓の雨を降らせて敵を減らした後は飛び込んでの大チャンバラ。
柵が左右から門のように閉じるシーンは
決戦の開始を想起させるに充分な仕掛けでありゾクゾクっとするほど迫力があります。

剣客・平山は62年版の西村晃と違って
刀がなくなってもグランドで相手の頭を石で殴りつけ撲殺するすごい執念。
まあ血の量がすごくて凄惨な描写ですが。
序盤の稽古のシーンで「刀がなくなったらこぶしを使え」と教えているところが生きている。

ラストに「これより二十三年後に徳川幕府は崩壊し、明治の世になる」と画面に説明文が出るが、
この事件で殺されなければ翌年老中になり
まつりごとの実権を握るはずだったのがこの斉韶で
こんな異常者が老中に選ばれそうな地位にあるという設定が
すでに徳川幕府の瓦解が近いことを指し示しているのかも知れない。

さて・・・雑誌「映画芸術」にも書いてあったけど、
島田側はまだ矢があるのに「だいぶ(敵の)人数が少なくなった」といってチャンバラに持ち込む戦略はどうか。
斉韶必殺を目標とする一発勝負なのだから矢があるうちは射まくるのが正しいと思うが。
この件だけでちょっと白けた感があります。

また山の野性児・小弥太が出てくるところだけは
魔羅がでかくて村の女がみんなユルユルになっちゃって、
しょうがないから村長のカマ掘るとか、
後ろから棒で頭ぶん殴っても平気、とか
何だか笑えない笑い、みたいな感じのパートが多くて、
個人的には作品全体の緊張感・シリアスさを削いだ感じがします。
まあ笑いで「残酷度」を緩和する役って感じもしますけど。

この後は先にちょっと予告した「残酷な描写」について書くので
そういうのが苦手な方はこの辺で脱出してください。


偏食ムービーに戻る


【残酷な描写】
老中と島田が会見している部屋の、島田の右のふすまが開かれる。
座って下を向いている女。
口からひとすじ、涎を垂らしている。

「一揆の首謀者の娘」と紹介され羽おっている着物を剥がされる。
女が裸を見せる。
女は手を両肘から先、足を両足首のあたりから切断されていた。
斉韶の処刑を受けたのだった。
畳に倒れて泣き叫ぶ女。
女は島田の「家族のものはどうなったのだ」という問いに筆を咥える。
舌も切り取られている(つまりしゃべれない)、と側近から説明がある。
女は畳の上に敷かれた紙に咥えた筆で書く。恨みで涙をこぼしながら書く。
涙が赤く染まる。血の涙。
出来上がった字は紙の白地、血の赤、筆の墨で染め分けられた怨念こもる「みなごろし」。
島田はそれを見て驚くがやがてうっすらと笑い、自分の役目の意義を重ねて悟る。

無惨な姿にさせられた女を目の当たりにして、
島田の「斉韶必殺」の決意が高まるシーンで
女の存在は島田の背中を強く押すものであり
同時に斉韶の残虐性をも表現している。

だけど・・・この映像すごくグロい。
勿論CGの出番でしょうけど。
女当然乳も出すんだけど、破壊された人体描写はグロテスクでもうエロスどころじゃない。
「東京残酷警察」以来こういう映像、限定的解禁になったのでしょうか?
ちょっと目指しているものが違うけど「キャタピラー」という映画もあったし。

待てよ。
島田に姿を見させた時、女は着物を全て脱がされ全裸をさらした。
・・・全裸をさらす必要があるのか?
手足が切られている、という所だけ島田に見せればそれで済む、のではないだろうか。
可哀相な女にさらに不必要に恥ずかしい思いをさせているような感じだ。
そのようにさせているのは劇中の登場人物ではない。映画監督。

・・・・・・おそらくこのネタは「東京残酷警察」と同じものでしょうね。
そう、永井豪のコミック「バイオレンスジャック」の人犬。
残忍な権力者から処刑を受けた。
舌も切り取られた。
四肢を失った姿で生きながえさせられ全裸をさらす。
そういう点の類似。
「ジャック」の人犬が犬のように四つん這いにさせられているところが
「十三人の刺客」の女とは違うけど。

女の存在は、ストーリー上先の2点(島田の背中押し、斉韶の残酷性の強調)において必要である。
しかし見せ方が過剰なものになっている。
女が全裸を見せる必要性はない。
着衣でも手足、舌が切られてしまった、というところを見せれば
しゃべれないし手もないから筆を咥えて字を書く、という展開になるし、
( )内の強調は充分であると考える。
ならなぜ女の全裸を見せたのか。

それは監督なりの人犬の映像化の実現だったのではないか?
多分監督も御幼少のころ少年マガジンの「バイオレンスジャック」で
人犬にされた飛鳥了と牧村美樹のシーンを見て、
その強烈なイメージがいつまでも心に残ったのではないだろうか。
なぜそう考えるかというと
かつてのおいらもそうだからである。

監督は「人犬の映像化」を夢想していた。しかし「東京残酷警察」の映像が先に世に出た。
ならば別に自分なりに味付けしたものを見せよう、と考えたのでは。

「東京残酷警察」の犬女は添え物だ。ストーリー上必然がない。
また彼女がどうしてそのような姿でいるのかも語られない。
顔は仮面で隠され(途中で素顔を見せるシーンはあるが)、かろうじて拘束衣のようなコスチュームをまとっている。
犬女が従属する警察署長がスラムキング的な鎧武者の格好をしているのと同じで、
ビジュアルがストーリーに関与することは特にない。

「十三人の刺客」ではそこが進化した。可哀相な女の物語が設定された。
彼女の物語が大ストーリー上対立する二人(島田と斉韶)の動機づけと存在を強調する役割を担うことになった。
そして彼女の悲劇は着衣でも充分表現されるはずなのに、彼女は裸をさらされる。
その姿は監督の達成宣言と共に元ネタを指し示すアイコンだったのではないだろうか。

最近の映画はCGでほぼ何でも表現出来るってせいか
残酷な描写が多いような気がする。
表現の自由ということはあるが
この時代、そういうものを見るためにはよほど気を張ってかからないと
見る側が毒されてしまいそうな気がする。
虚構と現実の区別がつかなくなって周囲の人間を殺傷し始めてからではもう遅い。
親御さんたちはお子さんを愛情を持って育てましょう。

しかし・・・過激描写が人の目を集めるということもまた事実だ。
永井豪の強烈なイメージは伝播を繰り返し、今後もチルドレンは増殖することだろう。

さすればいずれ女の人犬の横に男の人犬が並び、
彼らが「ジャックナイフの巨人」と「斬馬刀を持った鎧姿の大男」の対決を
固唾を飲んで見ている実写版が登場する日がやって来るのも近いかも知れない。



2010年「十三人の刺客」製作委員会
製作総指揮:中沢敏明、ジェレミー・トーマス、平城隆司
監督:三池崇史
原作:池宮彰一郎
脚本:天願大介
音楽:遠藤浩二

出演:配役
役所広司:島田新左衛門
山田孝之:島田新六郎
伊勢谷友介:木賀小弥太
伊原剛志:平山九十郎
松方弘樹:倉永左平次
吹石一恵:お艶/ウバシ(2役)
岸部一徳:三州屋徳兵衛
平幹二朗:土井大炊頭利位
松本幸四郎:牧野靭負
稲垣吾郎:松平左兵衛督斉韶
市村正親:鬼頭半兵衛
茂手木桜子:一揆の首謀者の娘

<あらすじ>明石藩・間宮図書が上告文を持ち切腹。
明石藩主で将軍の弟の松平左兵衛督斉韶の粗暴なふるまいを見るに見かねてのものだった。
ことを重く見た幕府・老中の土井大炊頭利位は目付役の島田新左衛門に斉韶の暗殺を依頼する。

(2011.0201)



偏食ムービーに戻る
目次に戻る
SAMEDASU扉に戻る

web拍手 by FC2