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昭和37年大映京都(モノクロ)
原作:宇能鴻一郎
監督:田中徳三
音楽:伊福部昭
出演:勝新太郎、本郷功次郎、江波杏子、藤村志保、志村喬
<あらすじ>明治初年の九州の漁村に、毎年やってきては漁師を犠牲にする悪魔のセミ鯨「鯨神」。
鯨名主(志村喬)は数々の犠牲者を出す鯨神を倒すため、鯨神を倒した男に屋敷と娘(江波杏子)を褒美に渡すと宣言。
兄を鯨神に殺されたシャキ(本郷功次郎)と流れ者の紀州(勝新太郎)が名乗りを上げる。
2年ぐらい前に銀座シネパトスのレイトショーで観る。
昭和37年の作品だそうだが、モノクロ作品ということもあってもっと古い時代の作品のように感じる。
37年といえば・・・東宝ではあの「キングコング対ゴジラ」(もちろんカラー作品)が発表された年であるのだが。
黒澤作品でも知られる名優志村喬の出演、伊福部昭の土俗的なリズムが効いた楽曲、
そして出漁の際の組ダンスなど東宝映画の要素が多く見受けられ、東宝と大映の作風が混合したような作品である。
しかし・・・のっけから登場する鯨神の造型、編集の仕方に巨大感が全く感じられず、
小船から小さなイルカを追いまわしているようで興ざめ(おいらの脳内補完が足りなかったか?)。
この辺は当時の特撮技術では水を使った撮影での限界か(ご存知のように特撮では水と火を大きく見せるのは難しい)。
「白鯨」のようなイメージを頭に浮かべると、海の中から小山がそびえ立つような感じなんだが。
勝新の役は流れ者の鯨とりで、紀州から来たから紀州と呼ばれている。
でこいつが悪党で、宿場の酒場では喧嘩して囲炉裏の火を使って攻撃したりする。
果てはシャキを愛していた娘エイ(藤村志保)を襲い孕ませてしまう。
兄を殺した鯨神が再度来襲するのを待つストイックなシャキは、
エイの子供の実の父親が紀州だとも考えずにその子供を自分の子供として育てる。
そして沿岸に再び鯨神が姿を現し、シャキと紀州は船を出して鯨神に挑みかかる。
紀州が無謀な先陣を切って鯨神にしがみつくが鯨は潜水し、再び浮上した時には紀州の息はなかった。
シャキは鯨の頭上に載って急所の頭頂部の鼻の穴あたりを刺しまくる。
シャキが気づくと、彼は重傷で母屋に担ぎこまれていた。
鯨神は仕留められて解体され、浜辺に頭だけが置かれていた。
紀州の亡骸は誰にも気に留めてもらえないのか、波打ち際にうつ伏せになって転がっていた。
シャキは「オレを鯨神のところへ連れてってくれ」と懇願し、
棺桶のような木の箱に寝かされたシャキは海岸で鯨神の頭部と対峙する。
瀕死のシャキは鯨神の頭部に語りかける。
そして夕暮れ、鯨神と意識の上で同化したシャキは息絶え、幻のような鯨神が海に還るところで映画は終わる。
シャキ・紀州と鯨神の死闘は波の効果もあって迫力はあるが、やはり鯨の造型が小さいのではないかと感じた。
紀州が命を投げ出すような特攻を仕掛けたのはどうやらエイの件でのシャキに対する贖罪だったようである。
しかし誰にも気づいてもらえず海辺に放置されている紀州(勝新)の亡骸は無残。
シャキと鯨神が意識の上で同化するラストはやや不明瞭(「俺は鯨神になり・・・」というようなシャキのセリフもあるのだが)。
ラスト、鯨神が還るシーンにかかる曲は「パパラパー、パパラパーラパーラパパパラパ、パララララー、パララララー」
「三大怪獣地球最大の決戦(東宝)」の、2代目ラドンのライトモチーフ。
大海原と大空と、共通のイメージがあったのか。
(2005.0815)
2010年、原作本を読む。
冒頭の、鯨神が描かれた巻物のイメージは映画の導入部にぴったりの雰囲気。
今こそCGによる再映画化で迫力ある映像が生まれるのではないか。
また原作を読むとシャキが致命傷を負うシーンがよく理解できる。
(2010.0919)
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