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原題:The MIST
原作:スティーヴン・キング
監督、脚本、製作:フランク・ダラボン
音楽:マーク・アイシャム
特殊効果監督:エヴェレット・バレル
出演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ネイサン・ギャンブル、ローリー・ホールデン、アンドレ・ブラウアー、トビー・ジョーンズ
2007年アメリカ
<あらすじ>アメリカの郊外で夜半暴風雨が吹き荒れ、
映画のポスターを製作するデザイナー、デヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェーン)の家は壊れ、停電となる。
デヴィッドは妻に留守番をさせ、息子(ネイサン・ギャンブル)と隣人であまり仲のよくない弁護士ノートン(アンドレ・ブラウアー)で
ショッピングセンターへ買い物に行く。すると外に謎の霧が発生する。
鼻血を出したダン・ミラー(ジェフリー・デマン)が「霧の中に何かがいる」と助けを求めてくる。
大勢の人間がショッピングセンターに閉じ込められ、怪生物の襲来を受ける。
しかし人々の中には霧の中の存在を信じないノートンを支持する者たち、
宗教的な扇動をする女ミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)につく者たちが現れ、閉じ込められた人々は仲間割れを始め、遂には殺し合う。
この世の終わりが来たような絶望感溢れるバッド・テイスト映画。
原作と変えたという衝撃のラスト15分のシーンも話題。
あまりの後味の悪さに見た後に後悔するかも知れないので、それがイヤな方はどうかここで引き返して下さい。
また今後同映画を見る予定の方もなるべく予備知識なしの方がよりこのバッド・テイストを味わえると思うので引き返すのが得策だと思います。
脱出口へ
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08年5月24日、有楽町スカラ座で見る。
暴風雨による停電を体験した後買い物に来た人々でにぎわうショッピングセンターを正体不明の霧が包み込み、
鼻血を出した壮年の男ダンが助けを求めてくる。
彼の友人は霧の中で何者かに連れ去られたそうだ。
恐怖と緊迫感が支配し始めるセンター内。
だが最初にショッピングセンターを出て行ったのは小さい子供たちを家に置いて買い物に来た女性。
彼女は「子供たちが心配だから誰か私を送っていって」と閉じ込められた人々に哀願するが、
恐怖におののく人々は誰も名乗り出ない。
そして彼女は「みんな地獄に落ちるといいわ」と呪いの言葉を口にして霧の中へと出て行く。
一番最初に出てくるモンスターは倉庫のシャッターの下から入り込んでくる灰色の無数の触手、
この触手、ディティール・質感がえらく嫌悪感を感じさせる。
しかし映像は迫力があり凍りつくような不快感を持ちながらも画面を凝視してしまう。
触手には棘がついていて、捕まった若い店員ノーム(クリス・オーウェン)は流血。
弁護士の黒人、ノートンはモンスターを見なかったせいか倉庫での出来事の話を全く信じず、
逆に「(この事態に)くだらないジョークで私を侮辱する気か、訴えてやる」などと怒り出す始末。
そしてノートンと彼を支持する一行は霧の中に出て行く。
直後、彼らと共に外に出て車の中の銃を取りに行った大柄の男性(腰に命綱のロープ)が惨事に巻き込まれる。
夜になるとたくさんの巨大な昆虫のような生物が室内の光に引き寄せられてセンターのガラスにへばりつく。
それを喰いに翼が4つある蝙蝠とも翼竜ともつかない生物が現れ、遂にガラスをブチ破ってセンターの室内に侵入する。
この時の戦闘で大やけどをした男のために一行は隣の薬局に薬を取りに行く。
その薬局でも奇怪な生物や繭にされた軍人などが見られ、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される。
繭にされた軍人は次第に体が弾け、体内から無数の虫が出て来て徘徊する。おぞましい映像。
ショッピングセンターにいた軍人と、隣の薬局で繭にされていた軍人の漏らした言葉などを集約すると、
山の上の軍基地で異次元との扉を開ける計画(実験?)が進行していて、
開いてしまった扉から異次元の生物がぞくぞくとこちらの世界へ来てしまった、という事態が勃発したらしい。
聖書を引用し宗教がかった演説を休みなくまくしたてる女性、ミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が主導権を握り、
彼女の率いる派閥は暴徒化する。
そして神に捧げるための生贄を吟味し始める。生き残った軍人が餌食にされる。
カーモディ役のマーシャ・ゲイ・ハーデンのぶち切れた演技がすごい、
映画を見てる観客はカーモディが憎くて憎くてたまらなくなる。人間側では作品中最大の悪役だ。
だから堪忍袋の緒が切れたセンターの副店長(トビー・ジョーンズ)が
拳銃でカーモディを撃ち殺した時は爽快感を感じてしまった人は多いのではないか。
この辺り、人間が常軌を逸した時どうなってしまうかというシュツエーションが丁寧かつスピーディーに描写されている。
デヴィッドとその息子ら数名はセンターからの脱出に成功し、車に乗ってガソリンが続く限り進んでみようと決意する。
車を進めている途中、彼らは象のような脚を6本持つ巨大な生物と交錯する。
あまりにも巨大で上部は確認できない。見上げると腹側に無数の触手のようなものがロールしてぶる下がっている。
「クローバーフィールド」のモンスター真っ青の巨体だ。
デヴィッド達の絶望感はこれを見て更に増したのではないか。「こんなのがいるのなら・・・これ以上生き残るのは難しい・・・」と。
そして車のガソリンは切れ、絶望感に包まれた彼らは最後の行動に出る。
しかしその直後霧が晴れ・・・。あまりにもやるせないラスト。
何で!もう少し、もう少しだったのに、と観客に感じさせる非情。
軍の車で避難する群衆の中に、あの最初にセンターを出て子供を捜しに戻った女性(とその子供達)がいる。
センターに残された人々はどうなったのか?彼女の呪いの言葉通り「みんな地獄に落ち」たのか?
(ノートンの一行は多分全員怪物の餌食になったのではないか?その後登場しない)
彼女の選択は正しかったのか?どうやって怪物の襲撃から逃れて生き残ったのか?謎のまま。
「クローバーフィールド」もそうだったが2001.9.11のアメリカ同時多発テロ以来、
ハリウッド映画に意匠換えが起きた。
正体不明、理不尽でしかも強大な敵の攻撃。それにさらされ殺されてゆく一般人。
かつてはアメリカの映画では巨大な怪獣という存在はトライスター版ゴジラなど少しの例外を除いて
スペース・オペラかファンタジーの世界、
つまり非現実的な舞台のみで出現していたように思うが
9.11以降「理不尽で強大なパワーを持つ敵」が「現実世界」に出現し、一般人を攻撃目標にしてパニックと殺戮が押し寄せてくる映画が多くなった。
T.クルーズ主演の「宇宙戦争」も米本土攻撃と言う意味では同種の映画で、決してリメイク映画という括りだけで語れるものではないだろう。
甚だ不謹慎な言い方かも知れないが9.11が「クローバーフィールド」「宇宙戦争」
そしてこの「ミスト」のような「現実世界を舞台にした正体不明の力による米本土攻撃」を映像化した作品を造らせた、と言えるではないか。
被爆国日本が第二次大戦後、ゴジラを生んだように。
ラストのデヴィッドの選択は正しかったのか?
拳銃に残された銃弾は4発。
それを武器にして車外に出て、五人で歩を進めると言う選択も出来たかも知れない。
それともセンターでの息子の言葉「僕を怪物に殺させないで」がデヴィッドの足枷になってしまったのかも知れない。
ダンは「仕方ない、やるだけのことはやったんだ」とあきらめの言葉を口にする。
確かに閉塞されたショッピングセンターでの疲弊、未知の怪物の襲撃、
ミセス・カーモディによるうんざりするような宗教への歪んだ傾倒、そして人間同士の殺し合い、
そんなことが立て続けにあったら自殺したくなるのも当然かも知れない。
疲れ果てて、この世の物とは思えない異次元から来た虫のような怪物に食い殺されるよりは・・・と考えるのも当然かも知れない。
だがしかし、映画は「可能性を自ら摘むな、命を粗末にするな、
同じ死ぬなら殺されるまであがいて生き続けろ」
と、生きる者にメッセージを伝えているように思えてならない。
だからこそラストのデヴィッドの行為(一歩間違えたらギャグに終わってしまう危険もある)が正しかったかどうか、
映画を見ている側はもし自分がデヴィッドの立場だったら、と考えると多くの方が結論を出せないだろうし、
そしてこの映画の後味の悪さにバッド・テイストな舌鼓を打つわけである。
特撮好きはいいかも知れないけど、虫がダメな人は見ないほうがいいと思う。
その辺のバッド・テイストはP.ジャクソン版の「キングコング」での「谷間の虫」に比肩。
(08.0529)
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