「どん底」三井弘次、左卜全、藤田山。

どん底<普及版> [DVD]

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<あらすじ>泥棒(三船)、鋳掛屋(東野)、夜鷹(根岸)、
酒がやめられない役者崩れ(藤原)、元旗本を自称する男(千秋)らが同居する荒れた長屋に、お遍路(左)が滞在する。
お遍路が彼らの話を聞いてやり、さらにお遍路が優しく言葉で諭すと長屋の雰囲気が変わってくる。
しかし大家(中村)と泥棒の暴力沙汰の最中にお遍路は姿をくらます。

10年9月、北千住シアターブルー「黒澤明没後10年」の企画で見る。

ゴーリキーの戯曲「どん底」が元ネタだそうだが、
それほど変化がない舞台環境(長屋の中と大家の住まい、その周辺程度)、
入れ替わり立ち替わり登場する人物の多彩さ、などから察するに、
これは舞台芝居がしっくり来る素材、という感じがしましたね。
そのまま舞台化したらいいのではないか、と思いました
(歌と踊りのシーンがあるからミュージカルになるのか)。
まあそれって元の戯曲→映画→ミュージカルって逆進化であるが。

中盤のいかさまバクチのシーンと、
ラスト間際のダンスで行われる、
長屋の住人による即興?の
ラップといいますか口で楽器の音のマネをするステージが大変楽しめる。
間といい、カメラワークといいとてもよくできていて、
チャンバラがない本作の大きい見どころではないかと感じる。
「てんてんつくつく、てんつくつ」と全く楽器がないのに
口で音頭とって、それにまた口で合いの手を入れて、と
間が空くことなく絶妙のタイミングで歌と踊りが続く。

このシーンは特にラスト間際、
三井弘次の存在が大きく、
独特の魅力のある美声、リズム感に驚かされる。

途中の大家が泥棒に突き飛ばされたはずみで急死するトラブル発生から、
番屋にしょっ引かれる泥棒、大家の女房とその妹、
姿をくらますお遍路など退場していく人物が多数出てきて
そのあとは三井弘次がストーリーを仕切る展開に見える。
ラスト間際のダンスの時も三井弘次が千秋実らを圧倒する存在感でラップをリードする。

左卜全のお遍路は最後まで正体がわからず
夜鷹や役者崩れに優しい言葉をかけているが
考えてみると年齢を経ているってだけでああ饒舌なのは却って不気味。
大家と腹の黒さをそれとなくののしり合う場面があり、
ただのお遍路ではないような気がするんだが。
隠密?追われる犯罪者?そんな一物持った人間のような感じがする。
そう、とぼけた柔和な表情の左卜全の演技には
お遍路がただのお遍路ではないような匂いを伺わせる深みがある。

んでお遍路の優しい言葉が結局のところ慰めだけで現実は何も変わらず、
夜鷹はけっきょく夜鷹のままだし、
役者崩れはお遍路が言っていた
「酒をやめられるようにしてくれる寺」なんぞどこにもなさそうなので、
お遍路の言葉が何の解決にもならなかったことを悲観して首を吊る。
「どん底」からは誰も抜け出せないという世の無常が説かれて映画は終わる。

貧困層の人間たちが諦観から酒、ばくち、歌や踊りなどに快楽を見出すが
現実を知らしめされた者の死が
その刹那的な快楽の瞬間さえも奪い取ってしまうという実際世界の寒さ、残酷さ。

三井弘次演じる遊び人は、役者崩れが首を吊ったと聞かされて
「せっかくの踊りをぶち壊しにしやがって(大意)」
と現実世界に覚醒させられたことを恨むようなセリフを述べる。
それは貧困層の中でわずかな快楽に浸って生きている男の、諦めの言葉。
結局のところこの映画は現実、映画の枠の外の現実を描いているより他ない。

硬く終わっちゃうのは何なんで、
最後に藤田山のことを書きませう。
元力士・元プロレスラーの藤田山、
動いてるところ初めて見ました。
大相撲から力道山時代の日本プロレスに転向。
すごいですね、四等身ぐらい?
頭がすっごく大きく見える。
実写版ドラえもん、って雰囲気。

(2010.1223)

1957年東宝・モノクロ
監督、製作:黒澤明
脚本:黒澤明、小国英雄
音楽:佐藤勝
原作:マクシム・ゴーリキー(『どん底』より)

出演:配役
中村鴈治郎: 六兵衛(長屋の大家)
山田五十鈴:お杉(大家の女房)
香川京子: かよ(お杉の妹)
上田吉二郎:島造(十手持ち)
三船敏郎:捨吉(泥棒)
東野英治郎: 留吉(鋳掛屋)
三好栄子:あさ(留吉の女房)
根岸明美:おせん(夜鷹)
清川虹子:お滝(飴売り)
三井弘次:喜三郎(遊び人)
藤原釜足:「役者」
千秋実:「殿様」
左卜全:嘉平(御遍路)
藤木悠: 卯之吉(下駄の歯入れ屋)
藤田山:津軽(駕篭かき)



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