13対53。「十三人の刺客(1963年工藤栄一監督版)」

十三人の刺客 [DVD]

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1963年東映・モノクロ
監督:工藤栄一
脚本:池上金男(池宮彰一郎)
音楽:伊福部昭
語り:芥川隆行

出演:配役
片岡千恵蔵:島田新左衛門
里見浩太朗:島田新六郎
嵐寛寿郎:倉永左平太
西村晃:平山九十郎
山城新伍:木賀小弥太
丘さとみ:おえん
月形龍之介:牧野靭負
菅貫太郎:松平左兵衛督斉韶
丹波哲郎:土井大炊頭利位
内田良平:鬼頭半兵衛

'11年1月29日、池袋の新文芸座で2010年版との2本立てで見る。
前半は島田側の動きを探る半兵衛の心理戦。
島田側は川沿いで一旦斉韶襲撃を狙うが、
斉韶が乗っていると思われるかごが二つあって(一つは影武者)攻められずじまいで撤退。
まず半兵衛が先手を制するこのシーンは2010年版にはない。
半兵衛役の内田良平の演技は気迫が載っていて、カタキ側にいるのがもったいない?ぐらいです。
双方相手の手の内を探るところは新作もありますが'63年版の方が重厚な感じ。

丹波哲郎は片岡千恵蔵の島田新左衛門に暗殺命令を出す老中の役なんですが
この人は昔っから権力者とかの役が似合います、あまり自分の手を汚さない(まあ「亡八武士道」などもありますが)。

山城新伍は最後に刺客の仲間入りをする落合宿の若者なのだが
「七人の侍」の三船みたいな「侍じゃないのにやたらと強い若者」、とか
特殊兵器を持っている、とかでもなく他者とのプラス要素としての差別化がなかったので
それほど目立たなかった。

西村晃の平山九十郎は、剣に関しては相当ストイックな求道者的側面を見せていたが、
ラスト近くになって相手の前で刀を失うと「刀、かたな!」と大騒ぎして刀を探して逃げ回り
そこらにある物を投げつけて抵抗したりした挙句、
最期は相手に刺されて口から血をどくどく出して死んじゃう、という笑っちゃうぐらいカッコ悪い死に方で、
どうなんでしょうかこの落差のある死に方、どういう意味なのか。

クライマックスの13人対53騎の30分以上に及ぶ大チャンバラは迫力で、
柵などで迷路のようになった狭い路地裏の道で、狭い分人と人の距離が短くなっていて緊迫感が増す。
睨み合ってる暇などなく、見つけたらすかさず刀で襲いかかるさまはリアル感といいますか冷たさといいますか、
独特の迫力が感じられる。

そんな画面とは裏腹に、島田側は斉韶を殺せば勝ち、
明石藩側、っていうか殆ど半兵衛一人で奮戦してますが
こちらは斉韶を逃がしきれば(あるいは十三人を全滅させれば)勝ち、っていう
何かゲーム性のような雰囲気が見てとれる(でもそれはリセットの効かない命がけのゲームだ)。

ただ十三人もいると黒澤明監督の「七人の侍」のように
戦(いくさ)が始まるまでの侍ひとり一人の物語が丁寧に作れなかったのは仕方がないかと思う。
その分キャラ立ちしてない島田側の刺客は愛着が湧かないせいかやられても心に堪えなかった。
反面、野武士たち敵側の人物像が希薄だった「七人の侍」に比べると本作は
斉韶の粗暴さ、半兵衛のそれでも主君を守ろうとする武士の姿勢などが明確で対立構造が明快。

【伊福部昭のあの曲】
島田勢が落合宿を要塞化するシーンで
杭を地面に打ち込むシーンで大勢で杭を縄で引っ張ってパイルドライバーするシーンがあるんだけど、
そこでかかるのが「平成メカゴジラのライトモチーフ」。
あの巨大マシーン・メカゴジラを土俗的なメロディーとリズムで表現した名曲だが、
まあ杭打ちってのは人力ですが、
やぐらを立てて縄で引っ張って落とすってムーブは作品中の時代からすると機械的、ってつながりか。

劇伴はその他のシーンでは控えめで特撮での「宇宙」っぽいメロディーや
キングギドラっぽいメロディーも聞かれますが、
やっぱり伊福部先生の真骨頂は特撮だったのでしょうか、とも思いました。

【追記】
先にも述べましたが新文芸座で2010年版との2本立てで見たんですが、
朝の9時過ぎに行ったら階段までお客さんが並んでる盛況。
最初の2010年版が終わってこの'63年版が始まるころには客席が満員。
新文芸座はなかなかあなどれませんね。

(2010.0202)



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