葵祭(あおいまつり)
葵祭は時代祭・祗園祭と並んで京都の三大祭りといわれています。その中で歴史が一番古いのが葵祭で奈良時代から始まりました。時代祭は明治に入ってから(平安遷都1100年を記念して誕生、同時に平安神宮が建てられた)で、祇園祭が平安時代から始まりました。葵祭は上賀茂神社と下鴨神社のお祭りですがそこに朝廷からの遣いが加わった官祭でもあります。最初は神社だけの祭でした(加茂祭)が、そこに朝廷が五穀豊穣を願って加わったので官祭といわれています。葵祭は行列参加者全員が葵の葉を頭に差していることから葵祭の名になりました。現在では桂の葉も差しています。上賀茂神社と下鴨神社の紋は葵の形を使っています。葵祭の行列は午前10時に京都御所を出発し丸太町、河原町を通って下鴨神社へ11時頃に到着します。この行列を路頭の儀といいます。下鴨神社で社頭の儀を行い午後2時頃再度出発し北王路橋を渡り、鴨街道を通って上賀茂神社へ行きます。そこでまた社頭の儀を齋行します。葵祭は実はこれだけではなく、安全を祈願しての流鏑馬、神霊を遷す行事、東踊りなど5月のはじめから一連の行事のことを指します。また東あそびというものもあります。
御輿(葵祭で使われる御輿は正式には別の呼び方があります)に乗っている女性が齋王代といって、神主の頂点齋王の代役です。葵祭では主役的な存在です。齋王代が決まるのは4月ごろで京都の人にとって撰ばれることは名誉だそうです。齋王代になるにはお金がかかるので財力が必要とのことです。女人列に加わる女の人も撰ばれると一家一族をあげての応援となります。行列が行われる日は朝の6時頃から御所で身支度をします。それはそれは重労働だと思います。華やかさの裏には多大な労働ありです。齋王代の髪の毛(おぐし)は何十年もやっている専門の人が担当しています。これこそまさに有職故実だと思います。
昨年、馬が暴走し全国ニュースになりましたが今年は整然と無事に役目を果たしました。
京都御所建礼門から出発。 牛車列。牛は滋賀県から出張。
京都御所建礼門から出発。 牛車列。牛は滋賀県から出張。
上賀茂神社に入る齋王代。頭と乗り物のひさしの下に葵の葉があるのが分かる。夕方になると葵の葉も萎れてくる。 上賀茂神社にて。夕方6時近く最期の走りを控えている。
上賀茂神社に入る齋王代。頭と乗り物のひさしの下に葵の葉があるのが分かる。夕方になると葵の葉も萎れてくる。 上賀茂神社にて。夕方6時近く最期の走りを控えている。


home / 主な行事 / エッセイ『私と京都』 /京都散策 / BBS