二次障害勉強会
                                                   文責 宮坂 知孝
二次障害の勉強会をやるにあたり、私がこの様な形で発表するとは夢にも思い
ませんでした。
2005年10月31日に帝京大学病院をかわきりに3つの病院を回され又沢山の
方々にお見舞いに来ていただき力付けられた事に感謝し御礼申し上げます。
今回の勉強会にあたりこの文書を作るのに関してまだまだ語り尽くせないとこ
はありますが、今回は兄貴が作っておいた履歴を参考にして事実経過だけを話
していきたいと思います。
PCは体に良く無い事を退院して、この文書を一人では打てない事でやっと解
った次第です。昔のように長く椅子に座っていられない「退院当時15分」
又入院時の事をあまり覚えていないのも事実です。
2004年8月頃より左腕機能低下
この頃から後頭部・首筋が痛かった
2005年8月頃より歩行機能低下
・8月末
・2005年8月くらいから手足の動きが急速に悪化
国立国際医療センター神経内科に入院して検査
原先生(科長)・大野先生
先生からの説明により頸椎5・頸椎6の疑い
オペしても完治率50%との判断
四肢麻痺強くなり
堀ノ内病院にて神経内科黒野先生受診
帝京大学に緊急入院することとなった
10月29日に帝京大学より電話があり入院日決定
10月31日
入院
主治医黒野裕子 教授清水輝夫
・11月初旬ボトックスを注射(効果あり・約1ヶ月)
黒野先生から病状の説明を受ける。
環椎軸椎亜脱臼(かんついじくあだっきゅう)
後縦靱帯骨化症(こうじゅうじんたいこっかしょう)
頸椎症(けいついしょう)
頚椎(けいついの2番が問題,普通は5〜7番。
脊椎が圧迫されている神経への圧迫を取る手段。
手術は問題ない。手術をするなら早くしなければ効果はない。
術後が問題。1〜2ヶ月後、かん椎(つい)の骨折が心配か。
背中の筋肉の低下は2〜3%(1日)
・11月16日
堀ノ内病院 小島理事長に状況を話す。
本来なら20〜30歳で問題となっている。余分に生きていられると考えたら。
手術をするならば、早くするほうがいい。
・11月17日
黒野先生からNTT関東病院整形外科の説明を受ける。
下出真法部長は清水教授の3年先輩,
本人を連れて行って、診察を受けるほうが良い。
・11月18日
清水教授の説明を受ける。
ここまで症状が進行しているのだから、手術するしかない。
下出部長しかいない。
自信があれば引き受けると言われた。
・11月21日
NTT関東病院下出部長の予約が取れる。(11月29日)
寝台車で連れて行くことにした。
この事を鹿毛先生から坪中先生に連絡してもらう。
・11月27日
佐貫先生、坪中先生が病院に見舞いに来てくれる。
坪中先生が下出先生に聞くことを書き出してくれた。
@手術にあたって障害(最近表れた麻痺・痺れ)の原因がc1/2の亜脱臼で
あるのかどうか。
A手術によって原因除去が(ある程度)確実にできる。また、手術術式が脳
性マヒの不随意運動に充分耐えられるものであるのかどうか。
B獲得目標をどこにおくか。

両先生から
・11月29日NTT東関東病院下出真法部長の診察を受ける、
CP=(脳性小児麻痺)のことを良く知っていると知孝は思った
@神経の通るところを広くする。
A椎弓は取る。2〜7,8番は間隔を広げる。まずは圧迫を取る。
Bそのあと状況によって、頭と固定すればいい。
固定は不随運動のある人には苦しい。(知孝は、この言葉でCPのことを
良く知っている先生と思う。この言葉で信頼して手術を受ける決心をした)
知孝のCP=脳性小児麻痺の友人が下出先生から頚椎(5番6番)手術を受けていたことがわかる。
下出先生はCP=脳性小児麻痺の患者を東大時代からずっと見られていて、手術をされている
ことも分かった。
・黒野先生、清水教授が整形外科の医者の中で、CP=脳性小児麻痺の手術の経験の多い医者を
よく見つけてくれた。感謝
・11月29日小島理事長、侭田先生(東大整形外科医局時代、下出先生と4年間一緒。
社会保険中央病院整形外科医長)に報告。
侭田先生も進行状態が早いので、早急の手術が必要だと言ってくれた。
小島理事長も納得。
・11月29日帝京大学病院神経内科清水教授・黒野主治医に報告。
・11月30日NTT東関東病院の診察を予約
・12月02日NTT東関東病院で下出部長の診察。
入院、手術をお願いする。快く引き受けていただいた。
12月21日入院
担当医塩野先生 下出整形外科部長 
手術までの間に
麻酔科の先生  麻酔の説明
オペ室の看護婦 オペに当たりBGM等を聞きに
PTの主任   オペ終わったら2006年1月4日からPT実施の報告
により面会に来た
12月26日手術
今回の傷病に関して実施した手術
手術名: 頸椎1 椎弓(ついきゅう)切除、 頸椎2-6 椎弓形成により 脊椎管拡大観血的
・12月08日NTT東関東病院にて貯血、検査(寝台車)
・12月21日帝京大学病院退院(寝台車)
NTT東関東病院整形外科入院
主治医塩野寛大(黒野先生と研修医時代看護師安田さん国立国際医療センターで一緒)
手術前の写真
・12月22日手術の説明を受ける。
・12月26日9:00部屋出発12:30手術終了13時30部屋に帰る「手術成功」
手術直後セラミックの写真

手術直後頸椎の写真

2006年
・01月04日よりリハビリ(PT・OT)実施
とにかく歩かされた
・01月11日石川(ソーシャルワーカー)さんから次の病院の話がでる。
回復期の病院をさがす。
@河北リハビリ病院
A都立北療育医療センター
B国立身体障害者リハビリテーションセンター病院(国リハ)
・01月26日都立北療育医療センターを訪問
整形外科小崎医長(下出先生の後輩・下田先生は、肢体不自由児の専門家)
入院の許可をもらえた。入院は2月の末か?。
・01月30日国リハを訪問
リハビリテーション科山崎裕功医長(元JR東京病院リハビリテーション部長)久我山 (近所)
入院許可もらえた。2週間くらいと言われたが。
・02月10日
国リハを訪問
医療福祉課で入院状況を聞いたところ、「至急」とはなっているが、3月中旬ま
でには何とかとの事。
知孝は、最初から2階では無理と判断したので、しばらくは4階(独りで食事
等が出来ない人が入る階)に入ってもらうので遅くなる。2月17日に連絡をすることにした。
NTT東関東病院の石川さんに連絡。
NTT東関東病院としては2月20日と考えていたみたい。先方が空かないということで
2月28日までくらいなら、とのこと。どこかに国リハまでの期間居なくてはならない。
・02月13日「そよかぜ」柴田君に連絡。
現状を説明。
最悪の場合は自宅で介護をしなくてはならないと言っておく。
知孝への支援費の分がわかりにくいので、杉並区南福祉の知孝の担当
の方に聞くことにしたいと思う。
@支援してもらえる時間の最低限。(8時間が16時間にはならないと言われた
が、その根拠は何か、今までより重度になっているのに)
A再認定はどこにたのむのかどこの、誰が来るのか。
B身体看護、家事援助、自立支援をどこの事業所に頼むのがいいのか。(支援制度をやっている業者)
90日の入院しか出来ないのだから、早く申請をしないと、自宅に帰れない。
まず、福祉事務所の担当の方に会う必要がある。
・02月15日NTT東関東病院の石川さんから連絡。
北療育医療センターから2月28日に入院可能との連絡があった。
国リハから自宅に、2月21日に入院可能との連絡があった。
・02月16日国リハの医事管理課に確認,
2月21日10:00までに入院することとなった。
北療育医療センター高野ケースワーカーに電話で連絡し、いままでのお礼を言う。
病状の回復には、リハビリを重点的にやる病院が必要と主治医から言われたと
説明。
高野ケースワーカーはNTT東関東病院の石川さんに連絡をわざわざして、次
の病院までの期間、北療育医療センターで預かってもいいと言ってくださった。
ありがたい。
・02月21日
担当医山崎 裕功 社団の山下さんの2年後輩「入院中に解りました」
8:00にNTT東関東病院を転院10:00に国リハ入院した
主治医山崎先生からこんなに良いのなら2階に行ってもらうと言われた。
確かに回りに居る方たちは、脊髄損傷の方とか身体が相当悪い方が目に付く。
山崎先生から、自宅に早く帰ったらどうかとも言われた。
早急に自宅のバリアフリー化(玄関、トイレ等)の用意など・改造をしなくては
いけない。
入院期間については良いですよとは、言って下さっている。
ここの病院は今までと大きく違う。
回復期の病院なので、寝巻き(パジャマ)を.着せない、Tシャツを着る。
部屋はそのため温度が高い。人も不足しているらしく、自分で全て
やるように造られているようだ.トイレ、食事も。
23日には2階に移った。
・02月25日見舞いに行く。
相当、今までと違って疲れているように感じた.
周囲の人たちには、CP=脳性小児麻痺は全くいなく、知孝にとっては
異質な病院なので疲れるのではないかと思う。自分で生きていく事を学んでほしい。
今までのように、毎日のようにお見舞いに行けないが、自立のためにはいい経験と思う。
しかし、母が7ヶ月の病状について理解しているかが心配である。
2006年 5月14日退院
退院紹介書
 精神状態良好、 意思疎通良好
脳性麻痺による身体運動の円滑さは低いが左上肢筋力低下、起居動作運動動作が
一部介助レベルのため積極的なリハ訓練(PT, OT) を行い
ADL自立、運動動作機能の安定を図った。
ほぼ発症前の身体能力を回復しているため、社会復帰は可能となった。
2006年6月19日 帝京大学にてポトックス実施
入院時・退院後の問題点
CP=脳性小児麻痺の事を看護師・セラピスト(PT, OT)が知らない
CP=脳性小児麻痺にとってのリハビリが昔とは違っている
手術後の療養型の病院がない 3病院とも3ヶ月での退院
セカンドオピニオンの医師を造るのも必要だと思います
今回の二次障害の入院・オペを通して兄家族には言葉では言えない感謝を
しなけれはならないと思います。
入院により甥・姪の関係が深まったのも事実です。
療養型の病院が少ない為家での療養となった
口腔ケアの徹底「歯科衛生士」の協力を仰ぐ
病院でのADLと家でのADL活動範囲の違いで
首筋「小後頭神経」の痛み
肩・背中「僧帽筋」の痛み
首に負担がかかり後頭部・首・肩「特に左肩」の痛みが強い、想定外の痛みです。
右手外側のしびれ「肩から指先」
左手・左足の麻痺が残る
障害のある仲間の情報があまりにも少ない為、今後障害のある仲間・医師・療法士の
情報交換が大事だと考えます
リハビリ等によりストレッチとリラックスをしております。
移動手段としてある車いす・車の振動がこんなに首にくるとは思いませんでした。
2006年09月11日NTT東関東病院にてオペ後の検査

2006年12月26日NTT東関東病院にてオペ後1年後の検査

2007年06月22日NTT東関東病院にてオペ後1年半後の検査

2007年12月26日NTT東関東病院にてオペ後2年後の検査

この次からは頸椎の異常は認められず、年1回の検査になりました

2008年12月26日NTT東関東病院にてオペ後3年後の検査

1枚目
2枚目

2008年12月26日NTT東関東病院にてオペ後3年後の検査
NTT東関東病院での検査終了
・下出整形外科部長による診察、3年間経過観察をしてオペの時に使用した
セラミックは、骨に適合しておりこれ以上の経過観察はいらない。
しかし何か変化があった場合は、連絡くれればすぐ対応するとの事
カルテ記録は、10年以上残るので問題ないとの説明有りました。

・2010年に変化が見られた。
左脚の可動域狭くなった経緯
2010月6月半ば頃から左脚の可動域狭くなったので
7月31日坪中先生と会った時頸椎から来ているとの事で
直ぐOPしたNTT東関東病院に行けとの事で
8月の始めにNTT東関東病院の下出先生の受診予約を電話で
取り
2010月8月31日(火)NTT東関東病院に予約が取れました
その前に神経内科の清水先生に見てもらおうと
2010年8月28日堀ノ内病院で清水輝夫先生の受診を受け
清水先生は、直ぐOPしろとの事で
NTT東関東病院宛の診断書を書いてくれた
それを持ち
2010月8月31日(火)NTT東関東病院での診察
XP(レントゲン)での確認によると3年前のXPとは変化は見られないとの事
このオペ自体CP=脳性小児麻痺の症例が少ないので答えは出ない
との事でMRIを撮りたいが当院ではMRIは混んでおり他で撮ってきてとの事
9月2日(木)別の病院でMRI撮る事となった
9月15日(水)NTT東関東病院にて読映し今後の方針決める
神経障害のためDrの対応も早いと思われる
前回のオペと違いダメ元はあり得ないため
下出先生が顔を曇らしていました。
9月15日(水)NTT東関東病院にて受診
MRI画像により頸椎の圧迫と判明
OPが出来にくい部位につき頸椎装具を付け
進行を止める為頸椎装具の着用をする事となった。
本日は、装具技師が来ていないので掘ノ内で侭田先生に装具依頼してもらって
くれとの事で話は終わった。
この固定が出来るかどうかは不明
その足で堀ノ内病院へ行き
堀ノ内病院で院長と整形外科Dr税田と話したが下出先生から紹介された立派な
頸椎装具付けないだろうとろで納得した。
税田先生は、肩が上がらなくなったらOPしたらどうかとのアドバイス有り
又NTT東関東病院の下出先生も進行があれば受診来るようにとの事でした。
MRIの写真添付します。
2011年2月11日突然首に盛り上がる様に痛みが走る
6月29日NTT東関東病院にて受診
   NTT東関東病院の下出先生に、君はドクターをいろいろ知っているから
   そっちで見てもらっても良いのではないかとも言われた
   7年に渡り堀ノ内病院にて経過観察を経て
   2018年8月に新座市の堀ノ内病院で

    MRIの写真添付します。
   診断結果がでた    現在、PTによるリハビリ等を実施している