No.38
ジャケットマッチ列伝 3
↑ゴング昭和49年8月号より
ヘーシンク対モンスーンの柔道ジャケットマッチは74年6月13日、旧東京体育館で行われた。
実はこの試合、見てません。当時の専門誌で結果と写真を見た記憶のみで書きますので、
細かい間違いもあるかもしれませんがあしからず。
ルールは5分3ラウンド3本勝負、
通常ルールの3カウントフォール、10カウントKOに加えて特別ルールとして柔道の押さえ込み20カウントが採用された。
一本目はヘーシンクが押さえ込み20カウントで勝利。
二本目はモンスーンが胴締め(ベアハッグ?)でギブアップ勝ち。
三本目は激突した両者がノックダウン、
レフェリーが10カウントを入れわずかに早く立ち上がったヘーシンクがKO勝ちということになったそう。
ヘーシンクはこの後もD・L・ジョナサン(袈裟固めで勝利)、
C・ハリケーン(ハリケーンの凶器攻撃で反則勝ち)と2回の柔道マッチを行ったがさして大きな話題にはならず、
75年のオープン選手権開催中にオランダに帰国した。
昭和40年代といえばNWAが業界内に大きな力を有していた時代、異種格闘技戦など夢物語、劇画の中の産物でしかなかった。
柔道から完全に脱却できないヘーシンクを全日本がもてあましたのもやむをえないことだろう。
その中で発案された柔道ジャケットマッチも
相手の外国人レスラーが柔道着に対応できなければ所詮鑑賞に堪えられるものとはなり得なかった(ジョナサンは柔道の経験あったらしい)。
しかしこのわずか3〜4年後アントニオ猪木対モハメッド・アリという異種格闘技のスーパーファイト実現の副産物として、
柔道ミュンヘン五輪2階級制覇、「オランダの赤鬼」ウイリエム・ルスカと猪木の
史上初の「格闘技世界一決定戦」が行われることになる。
★1974(昭和49)年6月13日 東京体育館 全日本プロレスMSGシリーズ第16戦(最終戦)
▽柔道ジャケットマッチ5分3ラウンド3本勝負
○アントン・ヘーシンク(2-1)ゴリラ・モンスーン●
1・ヘーシンク(上四方固め、4:08)
2・モンスーン(胴締め、2:34)
3・ヘーシンク(カウントアウト、1:47)
★1974(昭和49)年11月5日 東京・大田区体育館 全日本プロレス第2弾ジャイアントシリーズ
▽同
○アントン・ヘーシンク(1-0)ドン・レオ・ジョナサン●
1・時間切れ
2・ヘーシンク(袈裟固め、5:09)
3・時間切れ
★1975(昭和50)年1月25日 横浜文化体育館 全日本プロレスNWA新春シリーズ
▽同
○アントン・ヘーシンク(1-0)カリブス・ハリケーン●
1・時間切れ
2・時間切れ
3・ヘーシンク(反則、1:55)
↑別冊ゴング昭和50年3月号より
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