No.207
日本プロレス奈良市あやめ池遊園地大会「観客動員数に関する謎」昭和36年5月7日


きっかけはバトル千一夜No.205で紹介した
1989年生観戦記「新日本プロレス1989年4月24日東京ドーム、’89格闘衛星★闘強導夢」だった。
筆者切鮫は試合結果などで「’97ゴングプロレス観戦パーフェクトガイド(日本スポーツ出版社)」の記録を参考にして
生観戦記を書いたのだが
この本の「’89格闘衛星★闘強導夢」の文章の中に
「昭和36年5月9日、日本プロレス・奈良市あやめヶ池公園大会の過去最高35,000人を破る53,800人の観客動員数を記録」
とあったのでそのまま引用した。

しかしこれを読んだ江戸川猛猛からSAMEDASU掲示板で
「文章を読んでいても
『あやめヶ池後援(ママ)大会』のことが頭からこびりついてとれませんでした。
29年間観客動員数を破らなかったこの(あやめヶ池公園)大会って、どんな大会だったのじゃろか??」

という半ば質問にも似た感想をもらった。
宿題の多い筆者切鮫は
「正式には『あやめが池』のようです。
書いたように『密林王』G.アントニオ人気が観客動員の重要要素のようです」

と当時の状況を踏まえたつもりで軽くレスしたのだが。

これに千里眼が着目。
「この大記録っていうのは、千里眼の私見ですが
密林王人気を煽るための力道山の仕掛けだったんじゃないでしょうか。
公園に集まったひとの数を全部観客数に入れちゃってね。
実際、力道山時代の地方試合では野球場や駐車場なんかで
開催された際には、会場周辺は大変な人だかりだったそうで、
千里眼の身内では
『長野善光寺裏の駐車場で行われた力道山の日本プロレスを観戦したことがあった』
というものがいましたが、満員の大観衆だったんだそうです。
ご存知の方にはお分かり頂けると思いますが
善光寺の駐車場が満員になったら、あやめが池以上のはず」

と「力道山の仕掛け」説を展開。「あやめが池問題」は俄然ヒートアップ。

そして・・・魔王参戦。
「で、俺様が何を言いたいのかちゅうと
昭和36年のあやめ池遊園地大会の期日はほんとに5月9日だったのかということなんだな、実は!(@´ )
というのも、ディープスロートから、
あやめ池の試合では猪木>珍のカードが組まれてたという情報が入ってるんだ( `@)/
にゃのに、日にちが微妙にずれてんだな、これが┐(´@`;)┌ 」
 

再び資料をあさる切鮫(苦笑)。
「A猪木名勝負38年史 闘魂大全集(日本スポーツ出版社 1998年)」によると

「昭和36年5月7日 奈良市あやめ池遊園地
▽20分1本勝負
○猪木寛至(体固め、17:13)ミスター珍●」


なるほど、魔王の指摘の通り9日ではなく7日にあやめ池大会が行われている。
ということで「’97ゴングパーフェクトガイド」の文章は日付が間違い。
魔王はさらにこのシリーズ「第3回W.リーグ戦」での馬場、猪木の連日のシングルのカードを掲示板に掲載、
改めてあやめ池大会が5月7日であることを証明。
魔王のネタ元は原康史(桜井康雄氏)の著作「馬場と猪木」らしい。
魔王の書き込み。

「第3巻の243頁にこう書かれてるんだな(⌒@⌒;)A
5月7日、奈良市あやめが池公園特設リングで行なわれた『奈良大会』には、何と3万6千余人(主催者発表)の大観衆が押し寄せた。
あやめが池公園は周囲を丘陵に囲まれている。
会場の外の丘にもただ見の客≠ェぎっしり立ちつくして、まさに全山人人人、という壮観。
さすがの力道山も会場に到着して周囲の人間の山≠見ると『ウーン…こいつは凄え!』とうなった。
『これほどのファンがいるんだ。下手な試合はできないよ』と言った力道山は、外人係も兼ねていた沖識名レフェリーを呼び、
『外人(レスラー)にこの黒山の人をよく見せてやれ。一生懸命ファイトしろと言ってやれ』と、しみじみした口調で伝えた」


魔王の資料により、あやめ池大会は会場の外の丘からタダ見していた客が万単位で存在していたことが判明。
タダ見の客まで観客数に入れるということは主催者発表の資料からしてもおかしい。
いよいよ切鮫は当時の東京スポーツの複写を入手。
奈良大会の見出し。

「プロレス国際試合奈良大会は七日奈良市あやめ池遊園地特設リングで約一万七千の観衆を集め2時30分から開催された。
選手権試合もいよいよ本格的熱戦にはいり好試合を展開したがメーン・エベントの力道組―]、ライト組のタッグマッチはまたまた血を呼び
力道がレフェリー東郷をリング外にたたき出すという荒れた試合となった」


当日の観客は「約1万7千人」。
この数字は切符の半券チェックから割り出されたのではないだろうか。
だとすれば、「会場の外の丘のただ見の客=vがカウントされるべきもない。
そして東スポ発表の「約」に、場外のタダ見客をカウントすることに対する水増し発表への未練が感じられくもない(笑)。
場内の観客数が1万7千人で、「馬場と猪木」の資料による発表が3万6千余人ならば、
36,000−17,000=19,000、約1万9千人が会場の外の丘のただ見の客=B
有料入場者数を超えている(笑)。

ということであやめ池大会の観客3万6千人という記録は
有料入場者数と場外のタダ見客を合わせた数字であることがほぼ判明した。
まるでパキスタンで猪木とアクラム・ペールワンが対戦した時、カラチ・ナショナルスタジアムで丘の上にタダ見の客が集まった、みたいな話だ。
「’89格闘衛星★闘強導夢」まで続いていると思われていた、
あやめ池大会の最高観客動員数記録は実は幻の記録だったということでいいだろう。
いつの世にも見過ごされている過去、あるいは記録というものはあるような気がする。
そういったことを既成概念にとらわれず、疑問に思ったことは確証していく姿勢、これが研究者には必要ではないかと感じた。
今回はいい勉強をした。猛猛さん、千里眼さん、魔王さん、田中さん、ありがとう。

(2005.0606)

日本プロレス「プロレス国際試合奈良大会」(第3回W.リーグ戦)
1961(昭和36)年5月7日奈良市あやめ池遊園地
試合開始午後2時30分
有料入場者数約1万7千人
*試合順不明。

◎20分1本勝負
○猪木寛至(体固め、17:13)ミスター珍●

◎30分1本勝負
○馬場正平、マンモス鈴木(首固め、16:58)吉原功、大坪清隆●

◎30分1本勝負
○トシ・東郷(逆エビ固め、5:46)大木金太郎●

◎変則タッグ30分1本勝負
○G.アントニオ(体固め、6:11)芳の里、長沢日一、土佐の花●

◎国際選手権試合45分3本勝負
○K.クラウザー(2-1)T.アーキンス●
1.クラウザー(エビ固め、12:27)
2.アーキンス(体固め、7:42)
3.クラウザー(体固め、3:15)
1本目はクラウザー足を取ってのエビ固め。
2本目はアーキンスの「尾てい骨攻め(アトミック・ドロップ?)」。
3本目はクラウザーのドロップキック。


◎国際選手権試合45分3本勝負
○遠藤幸吉(2-1)ヘラクレス・ロメロ●
1.遠藤(体固め、10:48)
2.ロメロ(体固め、1:00)
3.遠藤(反則、0:53)
1本目は遠藤ドロップキック2連発。
2本目はロメロのベアハッグからピンフォール。
3本目はパンチ、キック、顔面かきむしりでロメロが反則を取られた。


◎国際選手権試合45分3本勝負
△吉村道明(1-1)ロニー・エチソン△
1.エチソン(体固め、19:56)
2.吉村(体固め、15:14)
3.時間切れ引き分け
1本目はエチソンのニードロップ2連発。
2本目は吉村カウンターのドロップキック。


◎60分3本勝負
○ミスター・]、ジム・ライト(2-0)力道山、豊登●
1.○](足固め、37:01)豊登●
2.▲外国人組(両軍カウントアウト、3:45)日本組▲
3.○外国人組(反則、タイム不明)力道山●
1本目は豊登負傷した右足を攻められギブアップ。
2本目は両軍場外乱闘(ノーカウント?)。
3本目は力道山が2本目の判定を不服としてレフェリーのG東郷を暴行。

トシ・東郷はハロルド坂田、K.クラウザーはカール・ゴッチ、ミスター・]はビル・ミラー。
国際選手権試合はおそらくW.リーグ戦公式戦。

参考:「’97ゴングプロレス観戦パーフェクトガイド」
「A猪木名勝負38年史 闘魂大全集」いずれも日本スポーツ出版社
東京スポーツ昭和36年5月9日号


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