No.54
猪木対チャック・ウェップナー 真空蹴り、スカッと炸裂。新日本プロレス「格闘技世界一決定戦」

新日本プロレス「格闘技世界一決定戦」
1977(昭和52)年10月25日 東京・日本武道館
同行者=同級生



前座は2試合。長州力を初めて生で見る。
永源のタイツが花柄でなんだか海水浴のおっさんに見えたのが情けなかった。

坂口とアレンの柔道ジャケットマッチは全日プロでヘーシンクが行ったような「レスラー対柔道家」ではなく、
両者とも高名な柔道家であったため
柔道とプロレスがマッチされた新しい形式の試合の誕生の予感を感じた。
「柔道デスマッチ」とでも呼ぶのだろうか、欲を言えばこの日の試合はラウンド制でないほうがよかった。
柔道ジャケットマッチの特別レフェリーはW・ルスカ。
エキサイトして柔道着を脱ぎ捨てた両者に、柔道着を着て試合をするように促すなど公正なレフェリングをしていたが、
アレンが試合中坂口のブレークに不平を言ったりして不穏な空気が流れ
試合終了後アレン側のセコンドの日本人(註1)がルスカに殴りかかったが逆にルスカの足払いで投げ飛ばされていた。
この、ルスカとアレンの遺恨がこの年12月の「鮮血の柔道デスマッチ」へとつながってゆく。

猪木の格闘技戦はやや盛り上がりに欠けた。
この試合で猪木は延髄斬りを披露したが腰のひねり、間合いとも完成されたものではなく
その前の裸締め攻撃でふらふらしていたウェップナーの頭に当たることなく、その上を通り越してしまった。
しかしうまい具合に蹴り足の右とは逆の、左足のひざがウェップナーのテンプルを捉えボクサーはたまらずダウンした。
失笑に近い笑い声からすると観客は猪木の(右足の)延髄斬りが空振りに見え、なのにウェップナーがダウンしたように思ったのだろう。
そのあとは足を取っての逆エビ固め。いったんはロープブレイクしたがローキックで追い込んで再びリング中央で。
試合後リング上でのインタビューで猪木は映画撮影中(註2)に足の指を骨折していて厳しいコンディションだったことを告白。
翌日の東京スポーツには「出た真空蹴り」とあった。

(1984年6月頃のノートを元に再構成、2003・0806)
(註1)ジョージ・土門だったらしい。
(註2)映画は「がんばれ!ベアーズ特訓中」

新日本プロレス「格闘技世界一決定戦」
1977(昭和52)年10月25日 東京・日本武道館
観衆1万3500人=主催者発表

1.20分1本勝負
○木戸(エビ固め、11:08)木村聖●

2. 20分1本勝負
○長州(回転エビ固め、9:22)永源●

3.柔道ジャケットマッチ(3分10R)
○坂口(送り襟締め、5R2:07)バッファロー・アレン●

4.格闘技世界一決定戦(3分10R)
○A.猪木(逆エビ固め、6R1:35)C.ウェップナー●

坂口対アレンについては「ジャケットマッチ列伝」の5を参照→こちら

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