No.56
猪木、グレート・アントニオを制裁!&ルスカ対アレンの流血柔道マッチ
新日本プロレス「第2弾闘魂シリーズ第32戦(最終戦)」

新日本プロレス「第2弾闘魂シリーズ第32戦(最終戦)」 
1977(昭和52)年12月8日 東京・蔵前国技館
同行者=同級生数名



このあたりから荒川というひょうきんな選手の存在を知る。
「力道山!」と声がかかると空手チョップをやるところとか何か観客の要求と自分の役どころを心得ていて
こんな楽しい前座もあったのね〜と私、再認識してしまう。
長州、木村健、藤原、小林邦らの選手はこの観戦に関してはまったく記憶なし。
休憩の時間に新間さんがリングに上がり、小沢正志の海外遠征の決定を伝える。坊主頭の小沢が大変不安げな表情でした。
その小沢が次に日本の土を踏んだ時、人は彼を「キラー・カーン」と呼ぶようになっていたということは周知の事実。

さて!問題の柔道ジャケットマッチ。この試合は確かにテレビ放送されたのだがなにやらマスコミの扱いは弱く、
歴史の影に埋もれてしまった感じがする今日この頃である。
選手紹介のときにルスカがいきなりアレンに飛びかかり、ストンピングの雨。
この試合前アレンは新日本に正式に入門していたため両者の憎悪は前回の武道館での一件から一気にヒートアップ。
当初、この試合は前回の坂口-アレン戦同様3分10ラウンドのラウンド制で行われるはずだった。
しかし、奇襲攻撃後のルスカのアピールで時間無制限1本勝負に変更になる。
ロープ際でのルスカのラフファイトに怒るアレン、場外でルスカの柔道着の襟を両手でつかんで顔面に頭突き。
これがルスカの前額部に命中しルスカ大流血。
白い柔道着が次第に朱に染まってゆくさまは過去に前例がないであろう凄惨な光景。
しかしルスカのセコンドについていたP・パターソンがアレンになにやらクレーム。
それにつられて背を向けたアレンにすかさずルスカのバックドロップ、
そのまま後ろから押しつぶすような送り襟締めが決まりアレン失神。
柔道マッチというよりは、格闘技のプロの殺し合いといった感がした血も凍る一戦であった。この日のハイライト。

猪木-グレート・アントニオの一戦は賞金をかけたデスマッチということだったが、あっけなく猪木が勝つ。
顔面への蹴りが出ては、猪木の独壇場。
なおこの試合、当日会場にて「どちらの選手が何分で勝つか?」というクイズが出されていて自分は「猪木が4分」で投票して
(結果は3分49秒で猪木の勝ち)時間きり上げ計算なら完全に当たっていたのに、
後日になって賞品は「5分」とか「10分」とか書いていた一緒に観戦した当時の同級生たちばかりに郵送されてきて、
この種の試みのずさんさを証明したばかりかまだ若かった筆者を憤慨させる結果となった。

(1984年6月頃のノートを元に再構成、2003・0806)

新日本プロレス「第2弾闘魂シリーズ第32戦(最終戦)」
1977(昭和52)年12月8日 東京・蔵前国技館
観衆9000人=主催者発表

1.15分1本勝負
○大城(エビ固め、10:03)小林邦●

2.15分1本勝負
○荒川(体固め、11:03)栗栖●

3.20分1本勝負
○永源(逆さ押さえ込み、11:47)藤原●

4. 20分1本勝負
△星野(時間切れ引き分け)木戸△

5.30分1本勝負
○M・ジョーンズ(体固め、10:08)木村健●

6. 30分1本勝負
○長州(体固め、6:19)G・ファルコン●

7.柔道ジャケットマッチ(3分10R→時間無制限1本勝負に変更)
○W・ルスカ(送り襟締め、9:16)B・アレン●

8.NWA北米タッグ選手権戦(60分3本勝負)
○坂口、S小林(2-0)P・パターソン、S・ライト●
1.○小林(リングアウト、16:52)ライト●
2.○坂口(アルゼンチン式背骨折り、5:10)ライト●
*坂口、小林組が2度目の防衛。

9.時間無制限1本勝負
○A.猪木(KO、3:49)G.アントニオ●



このパネルが文中に出てきた「賞品」である。
友人から譲り受けたものが2003年暮れの我が家の引越しの際発見された。

ルスカ対アレンについては「ジャケットマッチ列伝」の6を参照→こちら
生観戦記1977に戻る
SAMEDASU扉に戻る

web拍手 by FC2