No.169
ブッチャー戦わずして敗れる。
新日本プロレス 「闘魂シリーズ第24戦(最終戦・創立10周年記念興行第4弾)」

1981(昭和56)年11月5日 新日本プロレス
「闘魂シリーズ第24戦(最終戦・創立10周年記念興行第4弾)」
東京・蔵前国技館
同行者=同級生数名



チケットの中央にはアブドーラ・ザ・ブッチャーの顔写真が大きく印刷されているが
彼が興行の主役になることはなかった。
また前回の蔵前で禍根を残したR木村ら国際勢の名前がチケットにはない。
対抗戦は一回限りの予定だったのかもしれない。

【木村健‐寺西】
テレビ放送はされなかったが寺西のドロップキック、バックドロップ、
健吾のブランチャーなどスピーディーな攻防が目に付いた好勝負。
最後は健吾が回転エビ固めでピンフォール。
両者共に白のトランクス、シューズだったのが印象深い。

【タイガーマスク‐G浜田】
タイガーの四次元殺法と浜田のマリポーサが激突!
浜田がダブルアームスープレックス、タイガーはジャーマン気味のバックドロップ。
最後はリング下のタイガーに浜田がコーナー最上段からの場外ダイブを敢行したがやや自爆気味。
間一髪でタイガーが先にリングに上がった。

【藤波‐A浜口】
休憩中にリングに上がった新間氏のスピーチにより
この日から藤波がヘビー級に転向したことが発表されたため、
これが「藤波ヘビー級転向第1戦」となった(WWFジュニア王座もこの日返上)。
浜口のバックフリップ、藤波のドロップキック、ボーアンドアローが交錯。
場外でスリーパーをかけた藤波を浜口がフェンスの外に投げ出してフェンスアウト負け。



さて、この日のセミファイナルはD.マードック&D.ブラボー組対ブッチャー&B.アレン組が予定されていた。
ブッチャーが一人で登場すると場内発表。
アレンが手を負傷したためタッグマッチが中止。
ブッチャー対D.マードックとD.ブラボー、のどちらかというシングルマッチに変更になった。
そしてなぜかブッチャーに対戦相手の選択権が与えられた。
マードックとブラボーもいつのまにかリングへ。
当然大物対決マードック対ブッチャーが実現するかと思われたがブッチャーは若いブラボーを指名。
場内は騒然、観客席からは「マードック・コール」。
マードックは不思議そうな表情で微笑んでいる、その横でブラボーは何考えてるんだか豊登よろしくかっぽんかっぽんと腕を振り回す。
リング下の坂口が困った表情、マードックが坂口になにやら声をかける。
マードックが大きなゼスチャーでブッチャーを挑発するも選択は変わらず。
ブッチャーはマードックを嫌っているようだった。
75年の全日本プロレス・オープン選手権鈴鹿大会ではインスタント・タッグを結成した二人だが
マードックの人種差別が顕著なため実は犬猿の仲だったらしい。
マードックが名残惜しそうにロープをまたいで帰ろうとする、と客席から「アーッ!」と喚声。
驚いたように客席に目をやってリングに戻るマードック。
今まで見ることがなかったマードックの魅力が、日本の観客の心をとらえはじめた。
逆にブッチャーは時間が経てば経つほど孤立化して行く。
しかしこれが何度か繰り返されたが結局マードックは退場、【ブラボー‐ブッチャー】のゴングが鳴らされた。
ゴングと同時にブラボーが先制攻撃、パンチ、チョップでブッチャーの頭部を攻撃、ブッチャー早くも流血。
ブラボー、ブッチャーの巨体を抱えあげてバックドロップ。怪力だ。
と、セーターを着たアレンが乱入―確かに手に包帯を巻いている―、ブラボーに近づいて白い粉を投げつけ目潰し。
視界が利かなくなったブラボーを場外に追い落としたブッチャーが鋭利な凶器を使用してブラボーを流血に追い込み反則負け。
結局この一件で最も支持されたのは試合をしなかったマードックであることに異論はなかろう。
この後ブッチャーは年を越えて新日本移籍の最大の目標であったろう猪木とのシングル戦を2度実現させるがいずれも不評。
新日本のマットでは凋落の一途をたどりのち古巣全日本にUターンすることとなる。
逆にマードックは85年のIWGPで猪木の最大の「目の上のたんこぶ」であったUWFの前田日明をリーグ戦で蹴落とした後は
猪木のタッグパートナーに転向。
ジャパンプロレスからの出戻りの長州力を
大阪でのイリミネーションマッチの1本目で場外心中で「消去」するなどの活躍を見せ日本側助っ人となり、
全日本参戦時には考えられなかった人気者の地位を得ることとなる。
ブッチャーとマードック、直接対決はなかったが両者の日本での立場が逆転した一件であり
試合はしなかったが二人の絡みは充分面白く一試合分の価値があったといえる。

【猪木‐R木村】
前回の蔵前で猪木が反則負けを喫した一戦の再戦。
猪木は「今度こそ木村の腕を折ってやる」と宣言。
木村はこれに対して「腕が折られてもギブアップしない」。
・・・もうこのコメントの時点で両者の格差が見えてしまった感がある。
シン戦、アクラム・ペールワン戦などで強烈な説得力がある猪木の「腕折り」というギミックではあるが
猪木が「腕を折ってやる」と来たなら木村はなぜ
「それなら俺はブルドッキング・ヘッドロックで猪木の首を折ってやる」と言えなかったのか。
「折ってやる」に対して「折られてもギブアップしない」という言葉は
折られることを前提にした受動的な姿勢である。
猪木がIWGP開催前のこの時点で日本人選手に2連敗することは考えられず
ランバージャックデスマッチという試合形式が決定した時点で、
木村の公開処刑で猪木ファンが溜飲を下げる為の試合になることは若かった自分でもある程度予想できた。
試合は序盤木村が猪木に奇襲の腕ひしぎ逆十字固めを仕掛けるも決定打とならず、
猪木は木村を一回場外に落として、上がってきたところをセコンドが少ない反対側に落とす高等戦術。
国際側のセコンドはルールを熟知しておらず猪木が場外戦(なぜかランバージャックマッチなのに)で鉄柱攻撃を仕掛けるのを傍観。
この場外戦で木村が流血した後は猪木の独壇場。
蹴り等を交えながら攻める猪木、徐々に木村の動きが鈍くなってくる。
猪木、ショルダー式のアームブリーカーで攻めてグランドに引きずり込んで腕ひしぎ逆十字。
木村は確かにギブアップしなかったが、セコンドがタオル投入して木村のTKO負け。
終わってみれば猪木の圧勝。
腕を吊った木村がセコンドだった浜口、寺西を「なぜタオルを投げた!」とばかりにエルボーで殴ったが後の祭り。
勝利者・猪木は再戦を約束し木村、浜口、寺西と握手して終わった。
しかし翌年の大阪大会での3度目の猪木‐木村戦はエプロンの猪木の足をセコンドについていた浜口が引っ張り
怒った猪木が浜口を追って深追いしたために(この時の浜口に対する猪木の鉄拳制裁は迫力あった)
木村が先にリングに戻り、猪木のリングアウト負けが宣せられたため国際軍団は再び息を吹き返すこととなる。

(1984年6月頃のノートを元に再構成、2004.1219)

新日本プロレス
「闘魂シリーズ第24戦(最終戦・創立10周年記念興行第4弾)」
1981(昭和56)11月5日 東京・蔵前国技館
観衆1万3000人

1.20分1本勝負
○荒川真(エビ固め、7:52)平田淳二●

2.20分1本勝負
○藤原喜明(体固め、14:18)前田明●

3.30分1本勝負
○N.ナバーロ、E.シグノ、E.テハノ(体固め、13:56)星野勘太郎、木戸修、G高野●

4.30分1本勝負
○木村健吾(回転エビ固め、12:18)寺西勇●

5.45分1本勝負
○坂口征二、長州力(体固め、7:28)B.クラッシャー、S.トラビス●

6.45分1本勝負
○タイガーマスク(リングアウト、17:01)グラン浜田●

7.45分1本勝負
○藤波辰巳(反則、12:30)A.浜口●
*フェンスアウト。

8.60分1本勝負
○D.ブラボー(反則、4:03)A.T.ブッチャー●
*B.アレンの負傷でD.マードック&ブラボー対ブッチャー&アレンが中止、
対戦相手選択権がブッチャーに与えられブッチャーはブラボーを指名。

9.ランバージャックデスマッチ(時間無制限1本勝負)
○アントニオ猪木(TKO、15:08)ラッシャー木村●
*セコンドのタオル投入。

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