解説1
長野での初生観戦は、わたくしが資料を調べているうちに偶然その日の試合が掲載された新聞記事を見つけ、
次に彼に会った時にその新聞記事のコピーを渡してやったら
「そうそう、これだこれ!」と大変喜んでいたのを覚えています。
上京しての日大講堂での鶴田vsジャック・ブリスコと叔父さんのエピソードは何度も聞かされ
掲示板の方でも書かれていた。紹介する。
212 Re:エキサイト 千里眼 2004/12/19 16:55
> それにしても「千里眼」てカッコイイHNですね。
いやぁ照れます。
隅田川様は「隅田川」と名乗っておられますが
日大講堂なんていう会場覚えてます?
わたくし、日大講堂で「鶴田対ブリスコ」見ましたよ。
214 Re:エキサイト 千里眼 2004/12/20 07:27
> UN選手権ですか!生でご覧とは…スゴイですな。
> 両国日大講堂は全日の旗揚げ会場ですよね。
旗揚げは町田ですよ。
「UN王座決定戦」は当時東京で学生だったおじに
連れていってもらったんですが、
同行したおじは前座のショーマン振りに憤慨。
(ウルフマンがかなりまずかったようでした)
違う意味で千里眼ははらはらしたんですが、
鶴田とブリスコの正統派マッチがおじに気に入ってもらえ
違う意味で喜んだ覚えがあるんです。
3333 Re:本物の人 千里眼 2010/02/07 17:05
> 他の皆さまもブリスコに関する書き込みどうぞ。
PCのご機嫌が悪いようで、前段は失礼しました。
改めて、千里眼です。
ジャック・ブリスコ氏の訃報は大変に残念な思いであります。
千里眼にとっては思い出深いレスラーのひとりでありました。
ブリスコというと、馬場や猪木との試合を思い浮かべる方が大半だと思うのですが、千里眼は昭和51年の8月に
日大講堂でやったジャンボ鶴田戦が思い出の名勝負でした。
私的な話ですが、この日は千里眼としては初の東京での生観戦でした。
千里眼は地方在住でしたが、叔父が東京にこの頃ひとりおりまして、毎年遊びにいくのが楽しみでありましたが
この年は是非ともこのビッグマッチを観戦したいとリクエストして観戦が実現した次第でした。
ところが、叔父がプロレスが嫌い、という予想外なことが当日判明し、
なんとか会場に連れていってはくれたのですが、
席につくなり「どうせショーだろ」といういきなり冷たい台詞。
そうじゃないんだ、と反論したい自称加藤清四郎風な少年・千里眼でしたが
なぜかこの日は「プロレスはショー」を証明するかのような最悪な外人メンバーが続々登場。
まず最初の外人レスラーがなんと、ウルフマン。
「ワオー!」と叫びながらの登場に叔父は冷ややかな視線。
「お前、怪獣の次はこういうのが好きになったのか」と浴びせられる冷たい台詞。
そのあとが、ビッグレッド。
「なんだ、服着たまま試合やるのか。まさにショーだな」と、いよいよぶち壊しな展開。
馬場さんとボボ・ブラジルが登場するタッグ戦になっても
「いい年してまだやってるんだ」とまたしても冷水浴びせられる展開。
「わしは、こういう外人は呼びとうなかった」と叫びたい気分でした。
で、その最悪な展開を改善してくれたのが、ブリスコなんです。
ジャンバー着こなし、登場しただけで
叔父が口にしたのが「おぉ、これは本物の人だね」という台詞。
試合が進み、四の字固めがどうなるか、を主題にした
試合展開に叔父も完全に魅入られたようになり、
最後は鶴田がブリスコに勝つ、よりも立ち上がって拍手してくれるほど叔父がプロレスを好きになってくれたことのほうに、安心を感じた千里眼でした。
チャンピオンベルトの巻き方がどうのこうの、とベテラン記者には
不評なレスラーのようでしたが
素人にも一目でわかる本格派なレスラーのひとりで、
だからこそUWFでも通用する、と思われたのではないでしょうか。
ご冥福を祈ります。
実はこの文章に出てくる叔父さんという方が
今回わたくしが駆け付けた時対応してくれた遺族の方でして
千里眼さんの母上のお葬式の時、わたくしがお線香あげに行ったのを覚えてくれていました。
背の高いところといい(千里眼さんは公称185センチ)風貌といい千里眼さんによく似た方で、血は争えないものだと思いました。
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