No.187 ツバ大王・永源遙対太陽王の一族


「GHCハードコア王者・丸藤正道に挑む
『史上最年長の挑戦者』永源遙(59)が17日、大一番
(23日、兵庫・神戸ワールド記念ホール)に備えて
「サウナ&梅干し特訓」を敢行」

東京スポーツ2005年1月19日付け(18日発行)7面の記事だが
この記事の中に永源のパキスタンでの試合のことが少し書かれている。

「29年前にはアントニオ・猪木とともにパキスタンで戦った永源は
『10万人の敵の前で試合をする修羅場なんて、丸藤はくぐったことねえだろ。
ほかにも俺はいろんなところで戦ってきたぞ』とニヤリ。(後略)」

29年前(のパキスタンでの試合)とは、言うまでもなくあの猪木対アクラム・ペールワン戦(’76年12月)のことである。
猪木がアクラムの左腕を脱臼させて勝利したこと、地元の王者を破った猪木が英雄的に歓迎されたこと、
アクラムたちボロ一族のプロレスがこの後衰退していくことなどがすでに伝説として語られている一件である。
この「猪木対アクラム」の試合については映像が残っているし多くの文献にも見られるのだが、
セミファイナルで行われた永源の試合についてはあまり文章にはなっていないようだ。
千里眼氏が提供してくれた「月刊プロレス・昭和52年2月号」には永源のパキスタンでの試合が3枚のカラー写真で掲載されていた。
永源と対戦したのはボロ・ブラザーズの六男ゴガ(ゴガバナ)、当時39歳。
試合は5分6ラウンド1本勝負で行われた。
写真は永源にスライディング・レッグシザースを仕掛けるゴガ(写真の説明文ではローキックとある)、
永源の顔面にすくいあげるような欧州式のエルボーバットを打ち込むゴガ、
そしてゴガの腕をスタンディングで固める永源の3枚。
エルボーの写真では永源は後ろ向きで推測するに顔はやや下向き。

したがってパキスタンのリングでツバが飛んだかどうかは確認できず。

試合は4ラウンド37秒、ボディスラムからの体固めでゴガの勝ち。
一説にはメインの猪木対アクラムがシュートマッチになるという舞台裏の不穏な空気を察した永源が
危険を感じてあっさり寝た、とも。
リング上で試合しているのに、舞台裏のそんな空気が分かるなんて永源は超能力者か何かなんでしょうか。
それはともかく、この日のメインで猪木がアクラムの腕を折って完勝したため、
ボロ・ブラザーズひいてはパキスタンのプロレス興行は次第に衰退。
ゴガはこの永源戦からわずか5年後の’81年に44歳の若さで亡くなったという。
逆に永源はジャパンプロレスから全日本、ノアと渡り歩き59歳でGHCハードコア王座に挑戦。前座ながらしたたかに現役続行中。
29年前、パキスタンの超満員のホッケー会場で対戦した日本人レスラーとパキスタンのペールワンの、もうひとつの試合・・・。

(2005.0227)

参考:東京スポーツ2005年1月19日付け(18日発行)
月刊プロレス 昭和52年2月号 ベースボールマガジン社
スポーツグラフィックNumber 539・540号 平成14年1月 文藝春秋


ワンマッチセレクションに戻る
SAMEDASU扉に戻る

web拍手 by FC2