No.259
「芳賀和昭」日本のハイデンライク?黎明期の詩人レスラー

   
昭和33年のプロレス アンド ボクシング誌に「芳賀和昭」という聞き慣れない名前のプロレスラーを発見した。
昭和5年3月、青森県南津軽郡出身。
高校で柔道に興味を持ち、日本武徳会2段。
さらにアマボクシング東北六県大会などで好成績。
国体の相撲個人戦で3位、優勝を経て力士時代から憧れであった力道山道場の門を叩く。
彼が記事に取り上げられたのはレスラーのイメージからは程遠いその異能ぶりからである。
芳賀は詩、短歌、小説を作るのが趣味だという。

「そもそも作歌のはじまりは、彼が柏木農業高校時代体重を減らそうとして、病気になった時で、
終日寝ている間の淋しさに、正岡子規や吉田絃二郎の随筆を読んだのである。
特に、正岡子規の『ガラス障子』という一節を読んで、彼と同様病状の身にありなから(ママ)
詠んだ歌に、非常に心をうばわれた
それで、自分もさっそく詩歌によって自分の空虚な心をなぐさめようとした。十五才のときである。
彼の作品は、短歌が現在五千首ぐらいある。詩はどのくらいか、はっきりわからない」(プロボク誌より抜粋)

「日本のハイデンライク?」とタイトルをつけたが、
WWEに出場していたハイデンライクのようにリング上で自作の詩歌を披露する、ということはなかったと思う(笑)。
まあ当時のマット上でそういうことしたら控室で力道山の鉄拳制裁が待っていたのでは。
プロボク誌には芳賀の作品が掲載されている。


短歌八首(東京歌集より)註:八首とあるが実際は七首。

○静寂(しじま)なる壁を破りて通り過ぐる都電のあとに五時のポー聞く

○飛沫(しぶき)あけ雨降る宵なり深更のろじ裏ぬれてチャルメラの鳴る

○酔客のくゆらす紫煙にいざなえる咳にたえつつさりげなく笑(え)む

○何となくものうき日なり寝ころびて天井にタバコの煙吹きをり

○いたつきの療(い)えたるのちか咳ばめる青きみ顔よかなしきたつき

○寒々と静けき夜はくらやみに汗ばむ手もち君吐いきする

○逢初めの夜はめぐり来じ卓上の像は無心にわれにほほえむ


詩 「背戸の柴山」

背戸の柴山
とぶ鳩は
炭焼く煙に
むせたのか
オロロンふた声
鳴きました

木枯山に
栗はじく頃
枯れた軒場の
きびの葉で
月を眺めてコオロギが
コロコロ悲しく
鳴きました

絃月冴えた
寒いよる
いろりで爺さん
榾をくべ
長いキセルで
スッパリコ
天井のランプに
ユラユラリ
思い出残して
消えました

思い出残して消えました・・・・
この後芳賀が誌面に登場したのは僅か一回。
短歌を作る繊細な感性は、荒くれレスラーがたむろする合宿所には合わなかったのか。
それとも何か不祥事があったのか。
いずれにしても芳賀のレスラー生活は相当短かった様子。
昭和5年生まれというと、のち国際プロレス社長の吉原功と同年齢。
当然馬場、猪木より早い入門である。

(2006.0205)

09年8-9月、遺族の方が資料・貴重な写真を提供してくれました→こちら

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