No.382
千里眼作:「2009年6月13日・三沢光晴を襲った死亡事故について考えたこと」
当たり前のように普通に終るはずだった6月13日は深夜になって特別な日になった。
それから1週間が過ぎて、事故は「突然」ではなく、「必然」かのように語られるようになり、ますます悲劇性を感じる「三沢の事故」。
2月に個人的に今回の三沢とほぼ同じ箇所である頚骨の亀裂骨折という事故と長期の入院生活を経験したことから、
改めて沸き起こる死との距離の近さに当初は動揺が大きかったが、
事故報道からある程度時間も経過し、情報もそれなりに出てきたところで、まとめた雑感を残しておく。
1 対戦相手だった斉藤彰俊は「下手」
これを他人に語るのは、かなりな誤解を覚悟しなければならないのだが、あえて。
彼の責任、という死亡事故なら世間で当たり前な問題点はかき消され、
彼も被害者かのような報道まで出始める(もしかしてノアの統括本部長様のミスリードかもしれないが)。
まずもって「許す」か「許さない」か、は残された遺族に与えられた判断であり、まぁそういうことは遺族から公には語られないだろうが、
だからと言って第三者が我先に、と発言するものではないはず。
インターネット上で「斉藤は悪くない」だの、まして「手加減は失礼」だのと素人が書き込むことに怒りすら感じる。
私見としては「斉藤は悪い」。
「悪い」と言う言葉が不適切なら「斉藤は下手」。
ただ、この言い方は6月20日時点では指摘するひとがいたとしても「バックドロップのやり方が下手」になっているように思える。
背中から落とすドリー式ならよくて、ルー・テーズ式の脳天逆落としならNG、みたいなことになっている。
そうではない。どちらもプロレス界が現在まで育んだ「必殺技」の代表格でありその格付けの話しではないはず。
問題は
1 斉藤程度(言い方が不適切かもしれないが)のレスラーでもバックドロップを使うように、
それも繋ぎ技として使うようになってしまったこと。
それも結果は相手の「受けの技術に頼る」、という危険極まりないものが公認された状態なこと。
2 そもそも、相手レスラーの体調に異変を感じたら、
脳天から落下させる技を使用するのではなく、グラウンドの展開あるいは絞め技や固め技の攻防に一度戻す、
というのが熟練プレイヤーの判断なのではないか。
斉藤はそれができなかったのではないか、ということ。
もし、噂される統一協会が出来て、プロレスラーライセンスが発行されるとして、
1ないし2に対してどういう判断基準あるいは認定基準が敷かれるのだろうか。
2 統一協会って何を解決してくれるの
業界を統括する団体が今回の事故をきっかけに創設される動きが、
なんと自民党という政権団体の呼びかけからはじまってきたとのこと。
この動きについて批判と受け取られかねない話も注意が必要な雰囲気だが。
三沢という言ってみればA級の選手が見舞われた事故に対する対策が、
「主に新人に与えられるライセンス」の話にすり替わってないか。
もし解決策がそうであるなら、今回の事故の当事者に新人レベルのものがいた、ということなのか。
そしてその当事者たる斉藤のライセンス剥奪、とかいう結論になるのか。
斉藤の選手生活の継続を支持する方々には、こういう理論は受け入れられないだろうが、そうつながらなければ変に思える。
また、噂されるライセンスに「体調確認あるいは管理」の要素が入るなら
(ボクシングで言えば浪花のジョーさんに試合をさせるかどうか、の判断問題)
ライセンス剥奪はむしろ以前から体調不良の兆候があったとされる三沢のほうになるのではないか。
もしかして箱舟の統括本部長様は千里眼が上げたポイントに気がついているかもしれない。
「斉藤の家に心無いいたずらが」とか言い出したのは、斉藤も反省してるんだから選手生活は継続、
そしてライセンス問題っていうのは新人対象の問題でライセンス交付済みのベテラン選手の体調問題とは関係ない、と言う風に
統括本部長様がプロレスマスコミを使いどんどん流れを作っている証のように見える。
もしも、サーカスの空中ブランコで落下事故による死者が出たら、
「全国サーカス統一協会」の結成が叫ばれるのだろうか。
奇術師が脱出芸に失敗し、不慮の死を遂げたら「日本脱出組合」が出来るのだろうか。
できるかもしれない。しかしそれで解決になるものだろうか。危険に挑戦するものは後を絶たない、のではないか。
3 対戦相手の体調はどうやって「量る」のか
これからはお医者さんにお任せしましょう、というのが流れのように思えるが、
経営的に危機が叫ばれるプロレス団体は、一時的には医療関係者をリングサイドに待機させるかもしれないが、
どうせそのうちパンフレットの片隅にリングドクターとされる医師の顔写真が載るだけになる。
また、そのことについてプロレスマスコミは何も言わない。言ったら取材拒否、なんだろうな。
だってプラム麻里子の事故後にはプロレス団体間で同じようなことが提唱され、
実施もされ、うやむやになり、そして今回の事故、である。歴史は繰り返されるだけ、だろう。
では、今まではレスラーはどうやって相手の体調を推し量ってきたのだろうか。
おそらく昭和のプロレスでお約束として試合序盤戦で行なわれた巻き投げや首投げの応酬が、それのひとつだったのではないか。
初歩的な受身を相手にとらせることで相手の技量や体調を量れるのが職人肌のレスラーだったのではないか。
で、現在の日本のプロレスはそういうものを(見ていてつまらないから、という理由で)
一切排除して試合序盤から落下技、頭部への打撃技を繰り出すようになった。
悲しいのは、そういうプロレスを推進してきたうちのひとりが三沢本人だ、と思われていることだ。
そうかもしれないが、そうでない部分もあったのではないか。
よくよく三沢のプロレスを思い出すと、少なくとも全日本で鶴田に対抗しだしたころの三沢は、
フェイスロックのような絞め技の導入、相手の受身を量るような序盤のドロップキックの使用、
回転エビ固めや丸め込み技での決着、といったものをやっていたわけで、
例えば鶴田戦で鶴田を脳天からマットに叩きつけてノックアウトしてメインにのし上がったわけではないはず。
「脳天落下合戦」のエスカレートが止らなくなくなったのは四天王時代からノア結成後、
三沢のまわりが若手も前座も他団体もみんな真似しだしたから、ではないか。
「俺の真似すんな」と、なぜ三沢が言えなかったんだろうか。
あるいは三沢が言えないなら、かわって言うのが統括本部長とかいう役職の方、なんじゃないのだろうか。
もっと派手にやれ、もっともっと派手に決まるまで試合を止めるな、それが観客の声だ、
と陰で囁いていた(これは妄想がすぎるか)ひとりであろう統括本部長様に、商売優先になってたんじゃないの、
という批判が出ても、もう取り返しはつかないが。
4 で、どうすればいい、と言いたいのか
プレイヤーでも関係者でもない、一観客に具体策があるわけではない。
しかし、三沢と、あるいは今のノアの主力選手とほぼ同体型なアントニオ猪木が
昭和の時代にドリー・ファンク・ジュニアやビル・ロビンソンと繰り広げた戦いを
平成の時代に見直すことに答えのヒントがあるのではないか。
猪木とドリーの二度にわたる対決を見直してもらいたい。
スピニング・トーホールドも卍固めも出ない、
足を取るか手を取るか、だけの攻防で60分繰り広げられる試合に熱狂する観客。
1度限りの猪木対ロビンソンの1本目はどんな技でどう決着したのか、思い出してもらいたい。
そこにはロビンソンの逆さ押さえ込みが決まるまでに至るプロセスを、まるでホームズ物のミステリーでも読んでいるような起承転結で、
観客に丁寧に見せているから決着後に不満など一片もないではないか。
どちらも「プロ・レスリングの技術」で魅せていた。
だから今でも見直して飽きないのであり、あれを「時代が昭和だから」、などと位置付けて終らせてはならない。
しかしこの意見は現状では誰からも「ノアに猪木の真似をしろ、というのか」と受け取られかねない。自分の説明力不足が残念である。
5 それでも三沢は評価しなくてはならない
自業自得だ、みたいな話になりかねない話題になってしまったが、
三沢光晴というプロレスラーは評価されていいはずだ、という考えは変わらない。
ジャイアント馬場というあまりに巨大な存在
(例えばゴジラやウルトラマン、あるいは長島茂雄や大鵬とかとおなじくらいあまりにも世間から見て一目瞭然な存在)と、
それをとりまくジャンボ鶴田や天龍、個性豊かな大物外人レスラーが結集して繰り広げる世界を、
一般人よりちょっと体が大きいかな、程度の若者が受け継ぎそして追い越そうとするときに、
必要だと考えて選択したものを今更外野がどうこう言えたものではないはず。
観客席にしか座れない我々にできることは、ジャイアント馬場から三沢光晴へ、と続いた壮大なドラマを同時代に、テレビで、
そしてもちろん会場で見ることが出来た幸せを噛み締めること、これからも決して忘れることのないよう心がけることしかない。
世界中で、そして歴史上で、この時代に生きた日本人だけが立ち会えたドラマなのだから。
(09.0621 )
*一部内容を変更させていただきました。1109切鮫
「三沢光晴選手の死、そしてプロレス、ノアの今後」はこちら
レスラーズに戻る
SAMEDASU扉に戻る