軍隊とは。
「プルガサリ 伝説の大怪獣」

プルガサリ~伝説の大怪獣~ [DVD]

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1985年朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)製作
原題:不可殺/PULGASARI
監督、製作:チョン・ゴンジョ(実際には申相玉)
脚本:キム・セリュン
音楽:ソ・ジョンゴン
出演:チャン・ソニ、ハム・ギソプ

<あらすじ>高麗王朝末期、圧制に苦しむ民衆。政府軍に反抗した鍛冶屋の父は牢に入れられる。
父は娘が塀越しに投げた米粒を使って小さな人形を作る。
父は牢で死んでしまったが、娘が形見を手にした中に米粒で作られた人形が。
娘が針仕事をするとうっかり針で自分の指を突いてしまう。
指から滴った血が針道具の中に入っていた人形にかかると
人形(プルガサリ)は生命を持ったように動き出し、針など鉄を食べて大きくなる。
娘の恋人のレジスタンスの男が処刑されそうになるとプルガサリが飛び込んできて救出(しかしその後男は処刑される)。
プルガサリはいったん山に入って行方不明になるがその後再登場、レジスタンスの先頭となり戦いを繰り広げる。
鉄を食べたプリガサリは山のように大きくなり、政府軍の謀略により娘が捕らえられると自ら檻に入り火に焼かれるが
真っ赤に焼けたプルガサリは反撃し川に焼けた体を入れると川は熱を持ち、船に乗っていた政府軍の兵士は煮えて全滅してしまう。
政府軍は超能力者を使ってプルガサリを谷に誘導し岩を落として生き埋めにしようとするが失敗。
遂に政府軍は新兵器獅子砲、将軍砲で攻撃するがプルガサリには通じず
プルガサリに紫禁城のような城に攻め込まれ主権者は殺され、革命は成就する。
しかし・・・戦争が終わっても鉄を食べ続けるプルガサリのために人民は鉄を授け続けるが、
遂に生活に必要な農具、鍋釜までも差し出すようになってしまう。
このままプルガサリが鉄を食べ続けたら人民の生活に深刻な影響を与えてしまう。
悩む娘は遂に決心し、早朝村の外れの鐘を撞く。鉄の音を聴いて空腹のプルガサリがやって来る・・・。

議会制民主政治が確立する以前の、古代国家における政治主権の移動には武力による制圧が必然だった。
圧制に苦しむ民衆にとってプルガサリはまさに軍隊そのものの戦力となった。
そして民たちの軍は勝利する、プルガサリは本来なら革命を成就させた英雄だ。
しかしこの映画の本質は戦いが終わった後にやってくる。ここがこの映画と他の映画の驚くべき差異だ。
戦争が終わった後のプルガサリは、民が農具や鍋釜として必要な鉄を食べ続ける厄介者と化してしまう。
革命の後敵がいなくなった武力を生きながらえさせることは困難であり莫大な負担がかかる。
それはまさに現在の北朝鮮、
将軍様が国軍に力を入れるあまり末端の民は飢饉にあえぎ、川を渡って他国に亡命を求める。
プルガサリは革命には必要な圧倒的武力だが、平和の世にあっては民衆の生活を圧迫するというまさに軍隊の具象化だ。


この映画の存在は随分前から知っていたが、北朝鮮製の映画を見る機会もなく時期が過ぎていた。
しかし住まいの最寄の駅のそばのとあるレンタルビデオ屋(現在はない)で字幕版がレンタルされていたのを発見して借りて見たのが最初。
何度もダビングしたような劣化した画像でまず鑑賞した。
民衆を救うために巨大な守り神が権力者を倒す、というコンセプトは日本・大映の「大魔神」に似ているが
前述したようにこの映画は悪の勢力が倒されてからの後日譚がより意味深い。

その後キネカ大森で公開され劇場で見る。隣ではハリウッド版ゴジラが上映していた。この対決?も興味深い(笑)。
映画が始まる前の場内のBGMはなぜか「ガメラ対バルゴン」(細かいねおいらも)。
レンタル版の オープニングはハングル語のタイトルが出て何やら光が点滅するというものだったが
キネカ大森で見た劇場版はタイトルと共にプルガサリ(大きくなったバージョン)が姿を見せる。
タイトルバックの音楽は両版とも同様の物悲しい印象の曲。

ラスト、娘が鳴らす鐘の音を聞いて空腹のプルガサリが村の外れにやってくる。
娘は鐘の中に姿を隠す。そうと知らずにプルガサリは鐘を握り潰し、食う。
プルガサリの腹の中に入った娘はつぶやく。
ここ初めて見たレンタル版では「プルガサリ、(一緒に)行こう」という字幕だったが
劇場版では「おまえのせいでみんなが困っています、引き際を考えてください」といった感じだったと思う。
この声を自分の体内から聞いたプルガサリは、血を与えて命を授けてくれた親のような立場の娘を食べてしまったショックからか、
それとも特別な反応が生じたか、
全身が崩壊して崩れ落ち土くれの山と化してしまう。
・・・その上を赤ん坊のような鳴き声をあげて歩く小さくなったプルガサリ。
その姿は光となって飛び、土くれの中に倒れこんでいる娘の胸で消え去る。
穏やかな表情で倒れている娘、その目は開かず息絶えているように見える。
このシーンではオープニングと同じ曲がかかっていて、娘の顔がゆっくりアップになって映画は終わる。
レンタル版の字幕の方が娘とプルガサリの間の仲間意識というか
血でつながっている親子の縁のようなものを感じさせ
プルガサリを生み出した娘が共に責任を取るというより深みを感じる結末になると思うが、
研究書などを読むと劇場版のセリフの方がより原版に近いような意見が多い。

またこんな見方も出来よう。
多くの歴史において、既存の価値を破壊し革命をもたらした破壊者は
その後為政者とは成りえない(なったとしてもその後の運命は決して明るくない)。
足利幕府を滅亡させ戦国時代を終結させようとした織田信長は志半ばで斃れ
豊臣秀吉を経て徳川家康は江戸幕府を興し三百年の太平の世を築いた。

その徳川幕府が大政奉還後、新政府軍の西郷隆盛は江戸城無血開場で維新の立役者となったが
その後大久保利通、岩倉具視らと対立、下野し西南戦争で逆賊の汚名をきせられ自決した。

北朝鮮の映画なのに日本の歴史からの引用ばかりで恐縮だが、
既成権力を破壊したプルガサリは英雄となったが
戦後処理を司る為政者としては軍隊の具象化たる彼は失格者であり、
その英雄譚は逆にその姿が消滅することによってしか完結することが出来なかった。
せめてこの世に生を受けさせてくれた母親のようなスタンスの娘と共に逝くのは
その母性に包まれての最期だったから慈愛に満ちたものとなり
娘もプルガサリもほんの少しだが救われるラストだったような気がしてならない。

北朝鮮製ということもあるが非常に特異で面白い映画。
軍隊のあり方という視点で考えるともはや怪獣映画という枠を超えている作品なのではないかと思う。
プルガサリを攻略するために政府軍が次々と対抗策を講じてくるのは怪獣映画の定番の展開であり、
この辺は日本の怪獣映画の影響があるのかもしれない。
なにしろノンクレジットながらこの映画には東宝の特撮チームが中野昭慶以下多数参加しており
またここで語るほどでない有名な話だがプルガサリのスーツアクターは平成ゴジラの薩摩剣八郎氏である。
巨大化したプルガサリと共に民衆の軍が進撃するシーンの人数の多いこと多いこと。
ここは見せ場。将軍様の一声ですごい数のエキストラが集結したということか。

*監督の申相玉は北朝鮮でこの映画を製作した後ヨーロッパでアメリカ大使館に駆け込み亡命を希望。
北朝鮮への入国が拉致だったことをのち手記で明らかにして死去。

(08.0618)



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