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1947(昭和22)年東宝(モノクロ・スタンダード)
監督:谷口千吉
製作:田中友幸
脚本:黒澤明
音楽:伊福部昭
出演:志村喬、三船敏郎、河野秋武、若山セツ子、小杉義男、高堂国典
<あらすじ>銀行強盗を犯し現金を持って雪山に逃げ込んだ野尻(志村)、江島(三船)、高杉(小杉)の三人。
高杉が雪崩に飲み込まれ行方不明になるも、下界と隔絶した山小屋に辿り着いた野尻と江島であったが
小屋の老人(高堂)、孫娘・春坊(若山)、そして調査で滞在している登山家・本田(河野)らの素朴で暖かい心に触れ
野尻の心に変化が起きる。しかしそれを拒絶するように江島は本田をピストルで脅迫し、山越えの道案内を強要する。
08年8月、上野スタームービーの特集で見る。
三船の映画デビュー作であり、伊福部昭の映画音楽初作品。
第1回伊福部音楽祭でタイトルの音楽を聴いたが、後年の「空の大怪獣ラドン」で
ラドンと戦闘機が空中戦を行う時のスリリングな曲と同じメロディー。
雪山=空、高い所のイメージか。
それから春坊と本田のスキーのシーンは曲の雰囲気で監督と作曲家が揉めたという日本映画史上曰くのシーン
(この部分の曲も第1回伊福部音楽祭で演奏された)。
確かにストーリー進行のこの時点では劇中の春坊と本田は野尻と江島が銀行強盗であるということに
気がついていないので(大人の本田は何がしか感じていたかも知れない)、
楽しげに滑るシーンでは軽快な曲をつけてもいいとは思うが、
のちのストーリー進行を考えると不吉な未来を感じさせるような悲しげな曲が、見ている観客の心にアピールするものがあると思う。
さて話の展開はヒューマニズムに溢れ、悪人の中でも善に目覚めた野尻と、あくまでエゴを貫く江島の対比でそれを強く描いている。
脚本が黒澤明で、自身の監督作品を彷彿とさせる出来。
野尻と江島が逃走の果てに山小屋に着いた時、
春坊が偶然かけていたレコード・フォスターの「ケンタッキーの我が家」(註1)がラストにもかけられ、
作中後半の悲みを内包した展開と劇判とを同時に活用させているところが素晴しい。
志村喬は改心したのに三船のデビューはヒールを貫いたってのも面白い部分。
(08.0831)
註1:アメリカ・ケンタッキー州の州歌であるが、フライドチキンのCMでもお馴染みの旋律。
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