No.6【コンテスト】グレート小鹿が語る「ジャイアント馬場対大木金太郎」


↑別冊ゴング昭和50年12月号より

6月20日付け(19日発行)の東京スポーツ6面に「吾がプロレス交遊録」の記事。
現在は大日本プロレスで活躍中のグレート小鹿が語る2回目だった。
内容は75年10月30日、東京蔵前国技館で行われたジャイアント馬場対大木金太郎のシングルマッチについて。
以下記事より引用、グレート小鹿の語り口。

75年のことだよ。あのころ、大木さんは新日本で猪木さんと試合して、どこも満員さ。
我が全日馬場軍はあまりお客が入っていなかったんだよね。
そしたら馬場さんがオレに「おい、金ちゃん、どうかなんないか」って。
「新日本に出ているんですよ」と言ったら「そこをお前の顔で」と馬場さんにくどかれちゃってさ。

大木さんは専属でなくても新日本との契約で試合に出ている選手だからね。
定宿の渋谷ステーションホテルに行って会うわけにもいかないし、近くの喫茶店を5〜6軒回ったんだ。
「大木さん、来ますか」ってね。

(中略)

最初はスシ屋。あの人(筆者注:大木のこと)日本酒が飲めなくて、焼酎ばっかりだったな。
で、徐々に「今度のシリーズ、いつから」と聞いていったわけさ。
その後、2〜3回接待して、もちろん自腹でね。ようやく
「大木さん、新日本はいつまで」って尋ねたら、
「ボクはシリーズに行きたくなくなったら、行かなくていいんだ」って。
それで「馬場さんのところに来て試合しないですか?」って切り出した。
そんなことから大韓プロレス協会の招待で馬場さんらと韓国に行く機会があってね。
そのとき、大木さんが「やるよ」と承諾したんです。

長々と引用したがいささか古い話だしいきなり本題に入ってもわからない人もいると思うので。
実際行われた馬場対大木のノンタイトル時間無制限一本勝負は両者がほとんど組み合わない、 技を出さない、
「何が起こるかわからない」という異様に緊迫感がかもし出された試合で
馬場の試合の中では自分としては高評価の試合のひとつだ。
結果は6分49秒、必殺のフライング・ネックブリーカードロップを決めた馬場のフォール勝ち。

しかし当時の記憶や伝えられている史実からすると、事の発端はこうだったはずだ。
「大韓プロレス協会の招きで渡韓した馬場が小鹿とともにレストランで食事中に大木が乱入してその場で挑戦を表明。
馬場はその場での即断は避けたが帰国後に挑戦を受諾」

まあ大木の突然の挑戦表明は今で言うアングルだったわけだ。
対戦までの経緯がアングルだったことについてどうこう言うつもりはない。
しかしWWEの株式上場という出来事、ミスター高橋の業界暴露本などが横行する現在進行のこの世界で、過去のアングルを
当時の関係者に直接語らせるということを業界を何十年も引っ張ってきた東スポが行うということはどういう意味があるのだろうか。
「過去の幻想を破壊して新しい価値観を構築する」と考えれば聞こえはいいが、
こういう記事が今後どんなヴィジョンを考えての発表なのか、東スポの真意を現状では読み取ることができない。
先に指摘した和田京平レフェリーの質問コーナー「決してリングアウトにはならない場外カウント」の件といい、
世代交代した東スポの記者は「夢を売る商売」プロレスをもう一度考える必要があるのではないか。

この記事を読んで批判ばかりが思い浮かんだわけではない。
当時新日本に出場して猪木・坂口との遺恨試合が大きな話題を呼んだ大木を、どういう契約内容だったのかは知る由もないが
小鹿の待ち伏せ・接待攻めで全日本のリングに上げた馬場。
これよく考えると引抜きじゃない?
昭和58年、だったかアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本登場に端を発した新日本-全日本のいわゆる「選手引き抜き問題」は
自分としてはブッチャーを引き抜いた新日本が先に仕掛けたものだという認識があったので
最終的に全日本が当時新日本のエース外国人だったスタン・ハンセンを獲得したことについても
「そりゃあやられたらやりかえすわな、仕方ないよな、先にしかけたの新日本の方だもの」
と、考えて納得していた。
もし大木の全日本登場が「引き抜き」ならばプロレスの史実も書き換えなければならないだろう。

そういうことから考えると、「人間風車」ビル・ロビンソンの全日本登場も疑惑を感じる、猪木戦のあとだし。
文章の出目は記憶してないが、馬場-大木戦と同じ年の12月に行われた猪木-ロビンソンのNWF世界ヘビー級選手権戦では
もしロビンソンが猪木に勝った場合、国技館外に全日本側が用意していたタクシーがあって
それに乗ってNWF新王者(もちろん全日本では認知しないだろうが)となったロビンソンが
同日日本武道館で行われていた全日本・国際・日本プロレス合同の「力道山十三回忌」大会に出現する予定だった、
という暴露記事を読んだことがある、もしかしたら創作なのかもしれないが。
しかし三本勝負1-0で有利に試合を進めて逃げ切り体勢に入ったロビンソンに、猪木が強引に卍固めを決めて
それでもギブアップしないロビンソンから時間切れ寸前強引にレフェリーストップをもぎ取った状況を考えると話の信憑性はありそうだ。
ちなみに大木もロビンソンも新日本出場時猪木と、全日本登場後馬場とシングルマッチを行っているが
お互い初対決に限定すれば馬場の試合のほうが試合時間が短い。
そして大木もロビンソンもフライング・ネックブリーカードロップという、共通の技で馬場にフォール負けを喫している。

今回のこの東スポの記事を読んで、馬場が小鹿に依頼して大木を待ち伏せ・接待から
全日本のリングに上げるように画策していたという新事実を確認して
世間一般では善人で通ってる馬場のダークサイドを見た思いがした。

(新演撃カフェ 2003/06/26  【12168】 )

追記:120122
近年新情報が以下のブログで発表された。

猪木vsビル・ロビンソン戦の舞台裏で乱れ飛んだキナ臭い怪情報の正体
猪木ファンも嘆いたビル・ロビンソン「カネに転んだ英国騎士道」の顛末


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