、銀座・東急ホテルにおいて国外在住選手の参加メンバーと日程が発表された
(推薦者、タイトル歴は後述)。
D.F.ジュニア
H.レイス
A.T.ブッチャー
D.L.ジョナサン
D.ローデス
B.V.ラシク
H.ホフマン
K.マンテル
M.レスリング
D.マードック
P.オコーナー
ヒロ・マツダ
11月5日、同じ場所において日本側参加メンバーと大韓プロレス協会所属として大木金太郎の参加が発表された。
全日本プロレスから
G.馬場
J.鶴田
ザ・デストロイヤー
A.ヘーシンク
国際プロレスから
R.木村
M.井上
G.草津
大韓プロレス協会所属
大木金太郎
ヘーシンクの参加についてはプロレスでの実績で疑問符がつくところだが、
推薦人の馬場は
「資格を問うと確かにヘーシンクはいろいろあるが、彼の力がどこまでついたか、わたしはためしたい。
もし、私とぶつかるようなことにでもなれば、直接肌で感じることができますから・・・」
と語った。
これで参加選手全20人が決定した。
はNWA世界王座を4年間守った実績を持つ大レスラー。
攻め、受けの両方で強さを発揮するが父はシュート・レスラーで知られたシニア。
どこで秘めたる裏技を披露するやも知れない奥深さを併せ持つ。
AWAの帝王、バーン・ガニアがスカウトしてきたバロン・フォン・ラシクは
ナチススタイルでクロー攻撃を得意とする悪役ファイターだが
実はアマレスで世界選手権出場の経験のある、隠れた実力派だ。
ミスター・レスリングことティム・ウッズは元アマレス全米選手権者(AAU)。
流智美氏の著書(註1)では1967年3月、素人と対戦するアトラクションで左手薬指を食いちぎられ、
直後その報復に相手の片方の眼球を指でくり抜いたという伝説の持ち主。
63年ごろドリーのコーチを務めたこともあるとか(時期的にドリーのデビュー直後か?)。
人間台風ドン・レオ・ジョナサンは巨体に似合わずサンセット・フリップを披露するなど運動神経抜群。
ナチュラルな強さではゴリラ・モンスーンと双璧か。
呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャーは前シリーズから先が反り返った凶器シューズを着用。
流血してもひるむことなく動き続けるエネルギッシュなファイトが身上のラフファイター。
反則、奇襲、乱入、場外戦とどんな時でも仕掛ける油断の置けない喧嘩屋。
「ハンサム」ハリー・レイス、ダスティー・ローデスも本質的には喧嘩屋の範疇か。
ディック・マードックは喧嘩屋とテクニシャン両方の要素を持つといえるか。
外国人選手は一人ひとりが充分当時の日本の1シリーズでエースが勤められるような豪華なメンバーだが
上記のように実はシュート的要素を持つ名うての実力者&壊し屋が揃ったメンバーともいえる。
それは・・・新日本代表―もっとはっきり言えば猪木の参加を想定してのものではないだろうか。
馬場は自他共に認める慎重居士だ。大言壮語はしないがやる時はやる。
こういう呼びかけをしてもまず猪木は出てこない、そう踏んでいる、日程的にも裏づけは取ってある。
それでも猪木が出場を表明したら・・・。
その時の用意のためのメンバーではなかったか。
さらにザ・デストロイヤーの存在である。
おそらくデストロイヤーは、猪木がもっとも苦手にしているレスラーの一人ではないだろうか。
この文章を書くに当たって猪木の試合のDVDを見た。
「闘魂伝説」日本プロレス時代の猪木の試合が収録されたDVDだ(友人の千里眼が貸してくれた)。
そのDVDの中にデストロイヤーと猪木の対戦が含まれている。
昭和46年5月19日大阪、日本プロレス第13回Wリーグ戦決勝進出戦である。
この試合猪木は緊張しているのか全く覇気がない。
逆に魔王は試合中にも大きな声を出したりして、魔王の試合としては普通の試合のように感じる。
中盤でスモールパッケージ・ホールドを失敗した猪木の胸板に膝を載せて威嚇するデストロイヤー。
筆者の手元にある「スポーツグラフィックNumber」昭和55年6月20日号はプレミアがつきそうな一桁数字「5」号だが
プロレス特集でデストロイヤーのインタビューが掲載されている。
デストロイヤー:
(前略)一方、猪木も1963年にオレゴンにやってきて、プロレスラーになった時から知っている。
そこでたぶん百回も彼を負かしただろう。
とにかく彼とは二百回くらいやって負けたのは一度きりだと思う。
でも、いつもいい試合で、僕は面白かったよ。
彼もすばらしいレスラーで、いい根性している。
勝敗の数字は多分に誇張されたものだとは思うが、魔王が猪木に対して自信を持っているのは事実のようだ。
昭和46年のWリーグ戦決勝進出戦では4の字固めを決めて両者場外リングアウトにもちこみ猪木の決勝戦進出、対馬場戦の夢を潰している。
かように一筋縄ではいかない強豪ぞろい、猪木が参加しても二重三重の罠が隠されることになったと思われるがそれは後述する。
註1:このM.レスリングのエピソードでは別冊宝島「プロレス読本FILES Vol.1」1997年宝島社、「超一流になれなかった男たち」1995年ベースボールマガジン社を参考にした。
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