昭和50年12月に行われたNWA主催による全日本プロレス「オープン選手権」は
運営側のジャイアント馬場を含めた元NWA世界王者4人、
現・元NWA世界ジュニア王者2人を含めたNWAテリトリーのトップレスラー、
加えてAWA圏からB.V.ラシク、H.ホフマン(ホフマンはヨーロッパ代表の意味合いもあろう)
さらに国内からは国際プロレスの主力3人の参加と
当時空前といわれたメンバーで開催されたシリーズである。
また昭和41年の東京プロレス旗揚げ以来、執拗に馬場に対戦を要求していたアントニオ猪木に対して
馬場の側から対戦のチャンスを用意した最初で最後の事例であること、
開催期間が全12戦と短期間であることから、
全選手が対戦するのは不可能ということで採用された対戦方式が複雑なこと、
あるいは途中リタイアの選手が多数出たこと、などから様々な伝説が生まれ
30年近くが経過した現在でも語り草になっている大会である。
長年切鮫と千里眼の研究対象であったが今回ここに現在までの成果を書く次第である。
なお写真は時にことわり書きのないもの以外はゴング昭和52年2月号より。
1.発表から開幕まで
昭和50年9月29日 記者会見における企画発表(声明文)
同 記者会見における質疑応答
10月3日、大会開催準備委員、参加資格基準発表 13日、新日本不参加表明
11月4日〜5日、参加選手発表
11月5日、芳の里委員長の一文 11日、ルール・組み合わせ方式の発表
11月14日、ファン投票応募要項 11月26日、ファン投票結果、主要カードの発表
2.大会試合結果
第1戦 12月6日 東京・足立区体育館
第2戦 12月7日 埼玉・川越市民体育館
第3戦 12月8日 広島県呉市体育館
第4戦 12月9日 福岡九電記念体育館
第5戦 12月10日 岐阜市民センター
参考 12月11日 力道山13回忌追善特別大試合 東京・日本武道館
第6戦 12月12日 三重県・鈴鹿市立体育館
第7戦 12月13日 福井市体育館
第8戦 12月14日 山形県・米沢市営体育館
第9戦 12月15日 仙台市宮城県スポーツセンター
第10戦 12月16日 長岡市厚生会館
第11戦 12月17日 千葉公園体育館
第12戦(最終戦)12月18日 神奈川・川崎市体育館
3.公式戦参加選手別シリーズ試合一覧
(ファン投票ランキング順)
ジャイアント馬場
D.F.ジュニア
A.T.ブッチャー
H.レイス
ジャンボ鶴田
ラッシャー木村
大木金太郎
H.ホフマン
D.ローデス
B.V.ラシク
ザ・デストロイヤー
D.マードック
ヒロ・マツダ
D.L.ジョナサン
P.オコーナー
M.レスリング
マイティ井上
グレート草津
K.マンテル
A.ヘーシンク
4.終章
星取表
謎、雑感、総括
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