記者
「ズバリ、猪木が出場してきたら、当然対戦するのですか」
馬場
「そういうこともありますなあ・・・・・」
記者
「国際プロレスが出場申し込みをしてきたとしたら、
ラッシャー木村やグレート草津と馬場さんが対戦することも・・・」
馬場
「あり得ますなあ」
記者
「・・・・・」
馬場
「力道山先生の13回忌は今年だけしかないでしょう、
それとアメリカの建国二百年に当たるのも今年だけ・・・・・。
八月のNWA総会で、一九七六年二月二十八日までの間に、記念行事を各テリトリーでやろう、
と申し合わせたので、まあ僕としても全力をあげて大きい事業をやりたい・・・・・。
やるからにゃ、過去日本のプロレス界でやれなかったような大きな企画でなければ意味がない。
いまはまだ準備段階なので、オープン選手権をやる、という程度しか発表できませんが、
とにかく全団体に呼びかけてレスラーを推薦してもらうつもりです。
記者
「外へは、各組織、そして内へは各団体、新日本や国際にも申し入れるんでしょうね」
馬場
「外国の団体へは正式の文書を出しますが、
日本の団体は、ここでこうして私が発表し、皆さんが記事にしてくれることでわかるでしょう、
だから招請状をあえて出さなくても・・・・・」
記者
「レスラーならだれでもいいんですか」
馬場
「原則的にはそうですが・・・・・
でも皆さんがよく知っている○○○○・○○のようなのが参加したいといっても、
これはファンに怒られるだけでしょう、だからダメだと思うんですよ。
いずれ大会の開催準備委員会を作って選手選考をやってもらうつもりです。
そこで、この大会に出場するにふさわしいレスラーを選んでくれるでしょうな」
記者
「他団体の選手が出ても、テレビとの契約問題がからんでるから、
全日本と関係のある日本テレビでは放映できないんじゃないですか・・・・・」
日本テレビ・原プロデューサー
「日本テレビ側としては、大会開催の趣旨が力道山追悼と、日本のプロレス界と密接なつながりのあるアメリカの
建国二百年記念、という大きなものですから、これは全日本と日本テレビといった狭い視野でモノを考えるのではなく、
場合によっては他局へビデオテープをお渡ししてもいい、と考えているところです」
記者
「馬場さん、チャンピオン・クラスを集めたらそのファイト・マネーだけでも大変でしょう、
いったいいくらくらいの予算を組んでるんですか」
馬場
「フフフ・・・・・まあ、お金にはいとめをつけない・・・・・とだけいっておきましょう(笑)」
〜記者会見終了〜
同日、ジャイアント・シリーズ参加のため同ホテルに滞在していたA.T.ブッチャーが参加を表明。
しかしこの時点でまだ参加資格が決定していなかったため、ブッチャーの参加は保留された。
この時点ではどんな選手が参加するかということまでは発表されていないが
日本プロレス界のもう一方の雄アントニオ猪木の、
昭和41年の東京プロレスからの挑戦、
昭和43年第13回ワールド・リーグ戦決勝戦終了後の控室での挑戦表明と
これを常に黙殺してきた馬場が、大会に参加すれば対戦もありうると
初めて自分の方から対戦の機会を設けた画期的な発表である。
この発表に対して猪木は
「趣向には賛成するが現段階で具体的なものが何もないので
馬場の方から具体的な話があれば参加するという方向で
検討してもいいと思っている」と表明。
実はこの時点で馬場と猪木の意見はすでに食い違っていて
前述の通り馬場はこの記者会見が国内の団体に対する表明で、
特に馬場の側から文書で参加依頼などすることはない旨を発表している。
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