1.色文字は昭和50年11月28日付の東京スポーツで「事前発表」された「夢の対決」公式戦カードとタッグマッチ。
以後この試合は公式戦、タッグとも「事前発表カード」と呼称する。
2.公式戦のあとの()内の数字はファン投票「夢のカード」30傑のランキング順。-は30傑ランク外。
3.試合結果のあとの数字は順に1・当日の公式戦の数、2・公式戦内のファン投票上位30傑「夢のカード」の数、3・2÷1=当日の公式戦内の「夢のカード」占有率。
試合内容の詳細は「プロレス」増刊号を参照、見てきたように書いてすいません。
ただしリアルタイムでのテレビ中継は当時見ました。
1976(昭和50)年12月6日(土)東京・足立区体育館
観衆3200人
1.15分1本勝負
○淵正信(首固め、4:57)園田一治●
2.20分1本勝負
○肥後宗典(体固め、6:19)大仁田厚●
3.公式戦30分1本勝負(−)
▲M井上(両者リングアウト、15:32)M.レスリング▲
4. 公式戦30分1本勝負(20位)
○D.L.ジョナサン(リングアウト、8:00)A.ヘーシンク●
5. 公式戦30分1本勝負(−)
○大木金太郎(体固め、12:58)K.マンテル●
6.タッグマッチ30分1本勝負
△J鶴田、ザ・デストロイヤー(時間切れ引き分け)D.マードック、H.ホフマン△
7. 公式戦30分1本勝負(29位)
○H.レイス(体固め、10:41)D.ローデス●
8.公式戦30分1本勝負(2位)
○A.T.ブッチャー(反則、10:20)D.F.ジュニア●
*ドリーのイス攻撃がレフェリー誤爆。
9. 公式戦30分1本勝負(28位)
○G馬場(片エビ固め、8:09)B.V.ラシク●
*6、4、66.6%。
金銀を織り込んだ錦絵巻のような!絢爛豪華な開幕戦入場式のテレビ中継は鮮明に記憶している。
「日本テレビのスポーツテーマ」に乗って次々に入場してくる世界の強豪たち!
公式戦参加選手20人全員がリング上に終結したような印象があるが
実際には国際プロレスのビッグ・ウインター・シリーズ最終戦伊東大会と日程が重なったため
国際勢は木村、草津が不参加で井上のみが登場。
またオコーナーはニュージーランド在住の実姉の急病という理由で第6戦12月12日鈴鹿大会からの参加。
そのあおりでかマツダが欠場(入場式には出ている)。
【レスリング対井上】
井上の空中殺法をレスリング受けとめ勢い余って両者場外転落、乱闘から両者カウントアウト(PWFルールの場外10カウント初適用)。
【ジョナサン対ヘーシンク】
すくい投げ、タックルの応酬から場外戦、殴り合いからヘーシンクを押し倒していち早くリングに戻ったジョナサンの作戦勝ち。
【大木対マンテル】
ロープ上段からのダイビング・プレスを自爆したマンテルに大木の一本足原爆頭突きが炸裂。
【レイス対ローデス】
ローデスのエルボードロップを自爆させたレイスがするするっとコーナーに上りダイビングヘッドバット。
【ドリー対ブッチャー】
花道でブッチャーがドリーに先制攻撃。怒るドリーがチョップとエルボーで反撃、ラフ攻撃にも強いところを見せる。
中盤ドリーがブレンバスター、ブッチャーの巨体を真っ逆さまに担ぎ上げやや横崩れながら投げ落とす。テレビ観戦していたが大興奮のシーン!
最後は振り回した椅子がレフェリーに当たりドリーが開幕緒戦を落としたが、非常にエキサイティングな試合だった。
思えばこの試合が日本におけるファンクス対ブッチャー、シーク組の血の抗争シリーズのオリジンだったのかも知れない。
【馬場対ラシク】
初顔合わせ、ラシクのストマック・クロー、パンチ攻撃、ストンピングが炸裂。
しかし32文ドロップキックで馬場のフォール勝ち。
テレビ生中継が途中で切れたような記憶もあるがはっきりしない。
ロープ際でのラシクのストンピング攻撃は印象的。BGMコモドアーズの「マシンガン」がもっともフィットする映像(笑)。
第1戦終了時得点上位5位まで
1.G馬場
1.A.T.ブッチャー
1.H.レイス
1.大木金太郎
1.D.L.ジョナサン
*各2点、1戦1勝
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