No.265 大阪・扇町プールに3万人 力道山vsL.テーズ戦の観客動員に関する話〜昭和32年10月13日
昭和プロレス掲示板(以下昭和掲示板)で「昭和最高観客動員試合」が話題となり
我がSAMEDASUの「あやめ池」の記事が直リンで紹介され
あらためて昭和36年5月7日、奈良市あやめ池大会の観客動員数がタダ見客の数を含めた発表であることがクローズアップされた。
ならば、真の「昭和最高観客動員試合」はどの試合だったのか。
昭和掲示板ではレッスル・アワーさんが鈴木庄一氏の文章を引用している。
「昭和36年の5月7日奈良県のあやめ池遊園地の3万6千人が「只見客含み」の参考記録ならば
有料入場者の昭和最高記録は、
昭和32年10月13日、大阪扇町プールでのテーズ対力道山のNWA世界戦、
主催者発表で3万人がトップではないでしょうか?
(ちなみにその6日前、後楽園での同カードが2万7千人)
鈴木庄一氏著の「日本プロレス史」では、
『この観客数は空前で、30年を越える日本プロレス
の歩みの中でも、今もって更新されていない最高の観客動員数だ』とあります。
この本が発行されたのは昭和58年で、
鈴木氏は奈良あやめ池の観客数は、知らなかったのか、あるいは黙殺をしています」
鈴木氏はあやめ池の観客数がタダ見客含みの数だったことを知っていた可能性もある。
それはともかく、力道山vsL.テーズ戦は昭和32年10月7日東京・後楽園球場、同13日大阪・扇町プールで2連戦が行なわれ、
いずれも引き分けでテーズが世界王座を防衛したとされる。
「’97 ゴング プロレス観戦パーフェクトガイド」では後楽園での試合について次のような記述がある。
「当日の観客は3万人と発表されたが唯一、H新聞だけが独自の集計という事で2万2千人として掲載」
レッスル・アワーさんの2万7千人説の資料元は不明だが、後楽園の3万人説はやや水増しの様相。
では扇町プールは?そもそも「プール」に3万人も客を入れられるのか。
サイト「綱敷天神社」では扇町プールについて
「昭和25年に着工竣工し、
同年8月にあった日米豪国際選手権水上競技大会の会場として、
観客収容能力2万2千人を誇る全国屈指のプールであった」
とある。プール開催時の観客席は2万2千人入れられる大きな会場だったよう。
だが鈴木氏の意見とは反対に3万人説に異論を唱える方もいる。
SAMEDASU掲示板で魔王が貼り付けた、田中正志氏の記述。
「■追悼ルー・テーズ〜「日本人は特にファンタジーが大好きな国民性だから・・・
そもそも数字だって広報ギミックの手段なのだ。
あるいはそのカードの大阪での再戦は扇町プールで行われ、3万人の大観衆を集めたとされている。
もちろん筆者は、力道山もテーズもしらない世代、猪木世代の昭和のプロレスファンになるが、
たまたま小学校が都会のド真中にあり、その扇町プールを授業に使っていた。
もちろん現在は、その扇町プールも小学校もなくなっているが、
いくらなんでも3万人も入るハズがない会場規模だけは、たとえ小学生の記憶とはいえ断言してもいい」
「いくらなんでも3万人も入るハズがない」と「断言してもいい」そうですが。
しかしおいら切鮫はプロレスどころかスポーツでもない記録だがこんなん見つけました。
「原水禁運動の歩み(1) (ヒロシマ・ナガサキから原水禁運動の分裂まで)
大阪軍縮協をはじめとする関西各県の原水禁は
この年の9月30日「日本の非核武装と完全軍縮のための関西平和集会」(扇町プール)を開催した。
この集会は国際的な支持もあり、バートランド・ラッセル、バナールなどからもメッセージがよせられた。
広島県原水協からも代表が参加し、約3万名を結集する大衆集会となった」
3万人入った!(笑)約がついているけど。
野球場でやるプロレスや格闘技の興行などはフィールドにも客席を作るから場合によっちゃ野球よりも観客数が多くなる。
そういうところを田中氏は考えないで書いたのだろうか、まあ好意的に見れば「小学生の記憶」ですから(笑)。
ということで「昭和最高観客試合」は扇町プールの力道山対テーズ戦ということか。
・・・しかしそれは昭和のプロレスで最高ということ。
SAMEDASUはその他格闘技も扱っているのでそちらの方面まで調査しなければ。
ということで調べてみると、東京ドームがお目見えしたのがぎりぎり昭和63年。
その63年の唯一のプロレス・格闘技興行がマイク・タイソン来日試合の1回目、3月21日。
観客数5万1千人。おそらくこれがプロレス・格闘技昭和最高か。
鉄人から調べていった記録が最後は「アイアン・マイケル」に帰結した、っていうのもいいオチかと。
(2006.0311)
参考:
「’97 ゴング プロレス観戦パーフェクトガイド」日本スポーツ出版社
サイト「綱敷天神社の氏地」
サイト「核絶対否定のHP」
サイト「スポーツナビ.com 田中正志のコラム」
追記:後楽園・扇町プール2連戦の試合結果が判明したので記載しておきます。
報知新聞より。
日本プロレス「プロ・レス世界選手権試合」
1957(昭和32)年10月7日 東京・後楽園球場
観衆2万2千人(註1)
1.15分1本勝負
○金子武雄(片足固め、7:25)田中米太郎●
2.20分1本勝負
○ユセフ・トルコ(エビ固め、10:29)吉原功●
3.20分1本勝負
○竹村正明(首固め、9:06)玉ノ川正行●
4.20分1本勝負
○阿部修(エビ固め、13:22)長沢日一●
5.20分1本勝負
△駿河海(時間切れ引き分け)芳の里△
6.20分1本勝負
○遠藤幸吉(胴締め逆さ押さえ込み、5:17)吉村道明●
7.45分3本勝負
○豊登、東富士(1-0)ダニー・ブレッチェス、ハロルド坂田●
1.○日本組(反則、35:17)外国人組●
2.時間切れ
8.世界選手権61分3本勝負
△L.テーズ(0-0)力道山△
1.時間切れ引き分け
*テーズが王座防衛。
日本プロレス「プロ・レス世界選手権試合」
1957(昭和32)年10月13日 大阪・扇町プール特設リング
観衆3万人
1.20分1本勝負
○ユセフ・トルコ(片エビ固め、13:05)田中米太郎●
2.20分1本勝負
○長沢日一(体固め、13:07)玉ノ川正行●
3.20分1本勝負
○芳の里(体固め、12:00)阿部修●
4.20分1本勝負
○吉村道明(腕取り固め、9:45)駿河海●
5.20分1本勝負
○豊登(片エビ固め、5:00)竹村正明●
6.45分3本勝負
▲遠藤幸吉、東富士(1-1)ダニー・ブレッチェス、ハロルド坂田▲
1.▲日本組(両者リングアウト、34:24)外国人組▲
2.行われず?(ノーコンテスト?)資料に記載なし。
7.世界選手権61分3本勝負
▲L.テーズ(1-1)力道山▲
1.テーズ(体固め、15:00)
2.力道山(体固め、10:40)
3.(両者リングアウト、6:53)
*テーズが王座防衛。
(註1)3万人との記載の資料もあり。
また「‘97ゴングパーフェクトガイド」では
第4試合の勝者が逆になっている(どちらが本当かまではわかりません)。
*その後力道山対テーズ、矢尾板対ペレス、原水禁大会などが行われたとされる会場は
大阪プールという名前の、扇町プールとは別のプールだったことが判明。
(2006.0814)
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