No.326
全日本で行なわれていた4対4イリミネーションマッチ
昭和59年6月14日

1986(昭和61)年3月に行なわれた新日本対UWF 5対5イリミネーションマッチを「史上初」と書いたが
2年ほど前の昭和59年に全日本がイリミネーションマッチを開催していたことが判明。
しかしルール・人数に若干の違いが見られ、そういう意味では新日本の試合を「史上初」と表現してもいいかも。
試合は全日本側対T.J.シン軍団の4対4で行なわれた。


◎1986(昭和59)年6月14日・全日本プロレス後楽園ホール
イリミネーション8人タッグマッチ(時間無制限?)

○G馬場、J鶴田、天龍源一郎、P.トンガ(一人残り)T.J.シン、上田馬之助、B.タイラー、鶴見五郎●
1.○鶴田(体固め、9:21)タイラー●
2.●トンガ(体固め、2:37)シン○
3.○天龍(片エビ固め、0:34)鶴見●
4.●天龍(片エビ固め、0:09)上田○
5.○馬場(片エビ固め、0:31)上田●
6.▲鶴田(両者リングアウト、2:17)シン▲
*シン組全滅、馬場の一人残りで全日側の勝利。

表記ものちのイリミネーションマッチのようなランニングタイムではなくて通常のタッグマッチのように1本ずつ。
3本目以降は秒殺の嵐で全体で15分前後の決着。人数が4対4と少ないことも短時間決着の要因だろうか。
4本目喉突きで上田が天龍をフォールすると馬場、鶴田対シン、上田の2人ずつ。
上田が馬場を抑えたところにシンが凶器突き、しかし馬場がかわして同士討ち、上田がフォールされてシンが残った。
鶴田とシンが場外戦で両者リングアウト、馬場が一人残って勝利。
この試合はリングアウトに関してはのちの新日本対UWFで採用された「リング外に落ちたら失格」というルールは採用されなくて
通常のリングアウトカウント(PWFルールだと10カウント)が数えられたらしい。
しかしあまりにも印象の薄いこの試合、何で?って考えたら
「昭和59年6月14日」は蔵前であの暴動の「第2回IWGP」が行なわれた日でありました。なるほど・・・。
(2007.0815)


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